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なぜ自分は同じ問題にぶち当たるのか?

なんだか急に大切なことに気づいた。

ここ最近、

5日前くらいからかな。。

人生でとっても叶えたかったことのとっても大きな一つが叶ってから

頭の中が宇宙のようにぐるぐるぐるぐる渦巻いている。


叶ったから空っぽになったとかではなくて

ぐわんぐわんしていた。


先日、

人生でいつかは行きたいと思っていて

でも難しいと思っていた、サムハラ神社奥の宮に参拝してきた。

これはものすごい偶然のご縁によって
叶ったことだった。

これに関しては大いなるものが働いていたように思うので
別途記事にする予定。


サムハラ神社は、この宇宙を作った神様が全員集合している世界で唯一の神社。


このあとも、
呼ばれて行かせていただいた京都の鞍馬寺に行き、
貴船も行き、そして行きたかった車折神社も行きました。


もしかしたら、この一連の体験によって

自分が人生の第2章を始める準備にかかっているのかなと感じていた。


それくらい、
ここ最近、

やるべきことがやれなかったり
超絶眠くなったり、

とにかくボケーっとして。

私のお仕事は、自分の軸がふらついているとできないお仕事で

1+1=2

のお仕事ではないから、

こんな状態じゃ、と、
できないでいた。


そんなとき、

今日、

はっ!とした出来事があった。


毎日続けているクンダリーニ瞑想をしていた時。


ふと、

なぜ自分は同じ問題にぶち当たるのか、

突然考えた。


様々な本を読んできたし、
自分自身経験してきた。

それを人にお伝えもしてきた。


でも、

上っ面じゃない、自分の心の奥底、

タンスの一番奥で、引き出しに引っかかって取れないみたいになっている
自分の部分、

ここを取ることがどれだけ難しいのか、

なぜ取れなかったのか、

そこに気づいた。


結果から言うと、


とても心が開いているようでいて、

実は他者を受け入れないようにしていた自分がいたということ。


なぜなら、

「思い込み」によって、「きっと私は傷つく」

と思っていたから、だった。


物事は捉え方次第。


自分を「自分って最高‐!!!」

って常に思っている人は、

例えその人が周りから見て不幸そうに見えていても

幸せ。

これは間違えがないこと。


逆に、

どんなに満たされているように見えても、

極上の美人でも(よく韓国女優さんに多いよね)、

誰も癒せない、心の傷があると、幸せではない。


で、私の場合、


「なぜ、自分を出せないのか?」


それは、

出したらきっと他人が何か批判的な目で見るだろうという
「思い込み」に支配されていたから。

この「思い込み」が、幼少期に作られたものだからこそ

心の根深い傷になっていて、

なかなかにはがせない。

物事の判断基準のデフォルト化しちゃってるんだ。


突然、
瞑想中に、過去、
私に「愛」を送ってくれた男性の方々が思い浮かんだ。


昔、

とっても素敵な人がいた。

その人は、

顔こそイケメンで、

とっても人気者だった。


性格がとっても良くて、明るくって、いつも笑っていて、

でも人に頼ってしまうような可愛い部分も自然と出せていて

みんなに可愛がられて、

でも、サッカー部のキャプテンだったりして、

人モテする人だった。


本当に素晴らしい男の子だった。

私も尊敬していた。



そんな方が、私を好き??

いやいや、そんなこと、ありえないから。


私はそう思った。


なんどもちょっかいかけてくれて、

いつも気にしてくれた。


ある時、再会した。


友達の結婚式だった。


10年ぶりくらいだった。


その時も、いつもそばに来てくれて、

あの頃のぽっかり空いた記憶を確認するように


質問してきてくれた・・。


それでも私は、素直な気持ちを伝えられなかった。


だって、今更・・

そう思った。


「俺、ずっと独身だから!待ってるから!」




そう言ってくれた。


次に続く。


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