【動画あとがき】黛Build Our Machine



5月20日で胃痛も終わるかなって思ってた。
そんなことはなかった。
いや、一つの結末を見たけれど、「黛灰の物語」は結末らしい結末に至っていない。


「For the happy fun time has begun to fade」
楽しい日々は失われなければならないのか。

そう考えながら作成した動画のあとがき、および黛灰の配信「.」について思ったことをつらつらと。


選曲

Build Our Machineは、「Bendy and the Ink Machine」というホラーゲームのファンソングです。
後に公式採用され、ゲーム内でも聞ける箇所があります。
その歌詞は、クリエイターに好き放題されて捨てられたキャラクターが復讐するという内容。ゲーム本編がそういう内容なのかは知らないですホラー苦手

この楽曲を使用しての動画作成は実は2回目になります。
1回目は創作キャラのマティアを使用しての動画でした。恥ずかしながら初めてのMMD作品でした。
あれから少しは技術的に成長したでしょうかということは心ッッッッッッ底どうッッッッでもよくて※、2回目なのにこの楽曲を使用したのは、「黛のみならずわたしたちも第三者≒クリエイター?に踊らされているように感じた」というのが大きいです。
彼のための機会を作った、黛のためと考えた選択をした結果、黛にエラーを起こさせてしまった。傷つけてしまった。

いっそ、一方的に、黛にキレられたほうがマシだ、という気持ちもあります。
怒りをぶつけられたほうが、まだ私も気持ちの整理がつく。
でも実際には、いなくなってしまった。


あと個人的にBuild Our Machineがすごく好き。めちゃくちゃ好き。モーションも神。



※マティアが嫌いってわけじゃないよ ルクスやシャルに比べたら好きなほうだぞ


演出面:色反転黛

キャリオンの時みたいな反転カラー黛が一瞬登場しますがこれは私が好きだからとしか。シュミィ
だって触手捕食洗脳好きだからキャリオンめっちゃ好きの気配を感じてて自分でもやりたいんだもんキャリオン……


演出面:ステージ

使用したステージはコードとテレビのステージになります。
やっぱ黛にはモニターやケーブルが似合うなって。
あとこのステージ、後ろの壁に映る影が好きなんですよね……


モーション編集中に思ったこと

何回か黛の腰と足が心配になった。(彼のRFAとかを思い出しながら)
ターンが……!片足バランスが……!
まだこのモーションはモーションとしては動きはおとなしめのほうですが。私が作りたいなって思ってた動画案で、さらに黛の腰が心配になるやつあるからな。何かは内緒ですが、作れたらいいな。作れたらいいか?


「ピリオド」

ここから例の配信についての話になります。

私が野老山についてよい感情を抱いていなかったのは前回のあとがき記事で書いた通りです。
黛にとっては恩人だとしても、圧倒的に私怨で、許すことができなかった。

だから、実質一択の選択肢を叩きつけられて、割とマジでキレた。
ああそういうことをするのかよと。話が通じないのはお互い様だなと。
黛を現実に連れて行くのはいい、だがお前をウィザードにはさせたくないと、私は考えていた。

でも、野老山でも黛でもないなにか、おそらくはリスナーも関係がない誰かの手によって、選択肢が改変された。
野老山を消すという選択肢。

私は反射で、選択してしまった。
それが「黛自らの手で」「彼の根幹を作り上げた恩人である野老山を消す」とは、深くは考えず。

結果として。
黛は、彼が望んでいないにもかかわらず、野老山を消すこととなった。私たちの選択肢のせいで。
そして私たちは、黛の観測者に、「片目」になることを託された。

前回の動画で「リスナーは黛を視聴する権限を持っている」と私は考えていると書きました。
それは、改めて考えるなら、黛のことを「観測している」ともいえると思います。

シュレディンガーの猫じゃないけれど、観測で黛の存在、あり方が固定されるとして、これまでその観測の権限が野老山とリスナーにあったとして。
その権限が野老山の消去によって改めて託された、もしくはリスナーに収束したのでは、と考えます。


You're the creator

選択肢を変えた何者かが、黛灰の物語を作り、そこに施設という世界、野老山という存在を配置したものと同一である可能性。
そのような存在がいるとして、それは脚本家と呼べる存在では?

この記事を書きながら「あの選択肢を作ったのはリスナーの集合的無意識みたいなものかな?」とかも考えたのですが、それでは黛灰の過去が作り上げられるはずがない。
だから、物語の上位存在として、脚本家と呼べる誰かはいるかもしれない。

いるとしたら。
少なくとも物語内の存在である黛や野老山には認識できない、黛たちの世界から見た「上位存在」だとおもいます。
例えば、黛の認識してない記録をコミュニティに記載した誰かというのも考えられる。

だとしたら、今回選択肢を改変して、マルチバッドエンドのような一つのピリオドを作り上げたはなんのため?
どうしたって誰か悲しむ物語で、リスナーをあざ笑うため? ……いい性格してるわね。


脚本通りの選択の罪悪感

少し話が逸れます。

本格的にvtuber、にじさんじにハマる前、私は「project:;COLD」という企画の一般参加者「融解班」のひとりでした。
この企画は、佐久間ヒカリという少女の死から始まった連続自殺事件の謎をTwitterやyoutubeを介して視聴者総出で追い、解き明かすという視聴者参加型企画です。
佐久間ヒカリの訃報ツイートについては、黛もサブ垢で反応してましたし、ご存知の方もいらっしゃると思います。(当時は佐久間ヒカリがproject:;COLDという謎解き企画の登場人物であるということは伏せられていました)

さてproject:;COLDでは前述のように連続自殺事件が発生し、主要人物である少女たちが次々と死んでいきます。融解班は情報を得るため謎を解きますが、それでも少女たちは死んでいきました。
そして残り2人となった時、もちろんというべきか、1人は残っているもう1人が犯人だと思い込み、独自に調査を始めました。そして彼女は確信に迫る情報に至り、もうひとりの少女が犯人ではないと確信し、Twitterで融解班に助けを求めました。
「彼女が危ない」「助けて」と。

この時、融解班はとある謎を解いたことで「その日に海で誰かの死体が見つかる」という情報を得ていました。
Twitterでは少女たちにリプライを送ることができ、リプライによって少女たちの行動を変えることさえできました。
だから、一融解班の私はその少女に、「海に行って」とリプライしました。もう1人の少女を助けられるかもしれないと考えて。

結果。
海で死亡したのが見つかったのは、「助けて」と叫んだ少女でした。

こうなるのは脚本通りだったのかもしれない。
ほかにも同じ言葉をかけた人はいたから、私は総意の中のごく一部でしかない。
彼女が海に行ってなかったとしても、海で死体が見つかったかもしれない。
それでも、海に行ってという軽率な言葉が、選択が、彼女を殺したのでは?
「私が彼女を殺したのでは?」
と、当時はひどく動揺し、塞ぎ込みました。

project:;COLDの物語はこの後とある過去改変が起こり、悲劇も全て無かったことになりました。
それでも、一連の悲劇の記憶は融解班にはあります。
そしてその記憶が、今回の黛の件で、また私をぐさぐさと突き刺すような感覚でいる。

私は野老山が許せない存在だと認識する選択をした。
実質一択の二択を突きつけられ、選択を取り返そうと、感情で黛に彼を消させる選択をさせてしまった。
野老山も見えてなかった誰かの脚本通り、思惑通りだとしても。

私が彼女を殺したのだ。
同じように、私が黛を苦しめたのだ。
他ならぬ私の選択だ。それは私が「一部」であっても変わらない。

そんな罪悪感が付き纏っています。


この動画は、そんな罪悪感を抱えた1リスナーが作った二次創作でした。

あなたは今どこにいるんだろう。
どんな感情を本当のあなたは抱いているんだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?