人間の敵はコロナじゃなくて人間になってしまった
新型コロナウイルスという言葉が出てきて、もう2年経っちゃいましたね。
この2年の間、沢山の出来事があって、経験したり見てきたりしました。
見てられない、見たくもないような出来事も沢山ありました。
Twitterに突発的に書くと誤解も生みそうな事もあるのでnoteなら見に来てくれる人は限られるだろうと、色々と書いていこうと思います。
タイトルにしたように、人の醜いところが沢山見えたし、その中の人に、自分も居るんだと思います。
まず
2020年4月、最初の緊急事態宣言発令。
今になっては慣れっこになってしまって緊急事態宣言も、この頃はまだ未知の措置で戸惑いが多かったです。
僕は飲食店(バー)を経営してますが、この時の協力金はいつもの売上に対してとても少なく、こんなんじゃあやってけないよ、とプリプリしてました。
そんな中、僕の住む街高円寺では配信ライブをやっている(おそらく)ライブバーに「営業をするな」との張り紙と共にドアのガラスを破られた店があったり、「闇営業をやってるのわかってるから都に言うぞ」という張り紙がされる店があったりと、とても治安が悪くなってたのを覚えてます。
張り紙をした人が、同じ商店街の中で飲食店をやっている人間だなんて話も出てました。
この頃から、コロナじゃなく人間の方がよっぽど怖いよと思い始めました。
まだまだコロナがどういうものか分からなかった初期は、メディアへの取り上げられ方も悪質で、それこそライブハウスは悪、バーには今は行かないで、と都知事会見で言われるような事があって、友達のミュージシャンが楽器を持ってバスに乗っただけで、睨んでくる人がいるなんてことがありました。
東日本大震災の時の不謹慎との立ち向かい方と近い物があったと思います。
そして僕自身も、この頃その流れに巻かれてしまって、自分の店が営業出来てない状態で出てくるSNSの写真を見て、この時期にこういう写真載せるのかぁなんて負の感情が巡ってきました。結構危なかったと思います。
でも、他人の気持ちを逆撫でするような書き込みはしたくないし見たくないと思いました。これに関しては人それぞれの解釈やポリシーもあると思うので、難しいですよね。
2020年9月頃、新宿二丁目でもコロナが猛威を震う。
僕を育ててくれた街、今でも大事な街。
いろんな場所のスタッフさんがコロナになったというのをSNSで見掛けました。この時に僕の友達も何人かが感染してしまいました。
入院して辛そうな友達もいて、本当にコロナが憎かった。
そんな中、何人かのコロナ感染者を出してしまった場所が叩かれる出来事がありました。
僕は二丁目でお店をやった時に5ちゃんねる(当時2ちゃんねる)に凄く書き込みをされるような店にしてしまったので、その時から確認作業で見てしまう癖がついていました。(悪い癖ですね)
その時見ていた中で、もしかしたら関係者がいたり、行った事があるけど無下にされたと思ってる人はいるのかもしれないのですが、大半は憶測だけでその事を叩いたり勝手な想像力を働かせたりする書き込みを見て、この人達は対してその場所に恨みもなく、行きもせず、勝手に書き込んでるだけなんだろうとも思いました。
あと、たとえばそこが凄く華やかに見えたとしてそこに入れない人は羨ましいと思ったりして、その人間の「羨ましい」という感情は物凄い凶器になってしまうんだとも思います。これは僕自身は20代の時経験してしまったのでわかります。そこら辺はまたいつか追々。。。
そして書き込みをしてる匿名の人達は、何か事が起こると、鬼の首を取ったぞと言わんばかりの叩きをはじめたくて、それを探して生きているんだろうか。だとしたらとても心が弱ってる人達なんだろうか。
そんな事を思って、悲しくなりました。
その場所の中で、スタッフさんとお客さんとの信頼関係が築けているのであれば、それはもう部外者は口を出すべきではないと、今は思います。
そして今、その場所は遠目で見ててもその信頼関係が明確に見えてます。
本当に良かった。
コロナに罹った人は遊び回ってるなんて扱いをされていた時期がしばらく続いていました、多分今もそう思ってる人もいるんだろうなと思いますが、家から殆ど出歩かないでもコロナに罹ってしまった人が僕の周りにもいます。
コロナに罹ってしまった人に対して、物申すじゃなく、大変だね、お大事にね、と言えない人が沢山いるんだなと思った日々でした。
2021年、飲食店協力金貰いすぎと叩かれる。
これも高円寺の銀行の前に貼られてました。
(ひょっとして高円寺の治安が極端に悪い?)
こちらとしては、従ってお金を貰っても叩かれ、
お金もらわないから営業しますと言っても、非国民と叩かれ、どうすれば正解なの???とまあまあ荒れてました。
何より人は働けないとこんなにメンタル弱るんだとも思いました。
もう充分休んだので、死ぬまでずっと働いてたい。理想は週4。
2021年は通常営業を出来る日の方が格段に少なく、休んだ日もかなり多く、1年があっという間に過ぎ去ってしまいました。
2022年1月、イベント開催に物申し勢多々。
しばらく落ち着いていたコロナ陽性者数がオミクロン株によって過去最高を更新し続けている中で、決行したイベントを批判する人が、これは5ちゃんなんかじゃなくSNS上にも沢山見受けられました。
たしかにこの時期のイベントはリスクも勿論あるだろうけど、そんな中悩み通した上で開催されたイベントが僕は良かった、とただただ思いました。
この期間、イベントを企画する側は、自分がいろんな事の天秤をかけて、開催できなかった事を踏まえて、開催するイベントにして過敏になることはわかります。僕もそれはありました。
結果イベントは盛況だったようだし、ラストを無事締めれて、行けないを選択した身としても、とても良かったと思います。
行けた人達、出演した人達がちゃんとお別れを言えて、楽しめたなら、それが一番良かった。
昔は、匿名で色んな事を物申す人というのは、身近にはいない目に見えない不気味な存在でした。
それが、僕が二丁目でお店をやってた時に2ちゃんに店への暴言を書いてた人の中には、明らかにお店に来た事のある人もいました。
実は、目に見えないのではなく、こちらが見えてなかっただけで身近にいる存在なのかと思って、とても人間が怖くなりました。
その時点で僕の性格はそういう媒体を見るべき人間ではなかったんだとは思います。
そして、コロナ渦になって、色々な事をいう人は明らかに目に見えるようになりました。
そんな中で、自分は一体どう振舞うのが正解か。
SNS上でいかに下手こかないか、と過敏になったりもしました。
おかげですっかりSNSが楽しくなくなったりもしました。
そんな事をnoteに書くようなヘタレです。
それこそTwitterで見かけたんですが、
「押すと10万円貰えるが嫌いな相手に20万円入るボタン」と
「押しても何も手に入らないが嫌いな相手が10万円失うボタン」だと後者を選ぶ人の方が多いみたいです。僕は絶対前者なんですけど。
それほど、嫌いな他者への干渉する人が多いって事なんでしょうね。ワイドショーとか見てても、人を中傷する話題が多過ぎて、殆ど見なくなっちゃいました。
嫌いな人は僕もいますが、自分の嫌いの感情に向き合わないように干渉しないようにしちゃいます。
嫌いに過敏に干渉する人が多いんだなぁと思っちゃうし、
世の中には分かり合えない人がまあまあいるんだとも学びました。
そんな人たちが、殺気だった書き込みをしないで済むようにあーだこーだ言えるような人が周りに現れて書き込みとかしなくなりますように。
そんな人たちが出来たら僕の周りにはいませんように。
そんな人たちの心の免疫力が上がりますように!(上手い事言ったと思ってる)
他人を物理的にも精神的にも傷つけちゃいけない。
簡単に人は傷つくものです。
新型コロナウイルスとどう向き合ってくか、
よりも、コロナに対する意見で人といかにぶつからずに済むか、そんな事が優先順位が上になってしまっている自分がいて歯痒かったので、Twitterなんかでは書くのを躊躇った事を、自分の振り返りの為にもまとめて書いてみました。
僕自身の考え方もまた変わっていくのかもしれません。
でもこの2年思い続けてるのは、何よりも一刻も早い新型コロナウイルスの収束を願っています。
みんな、元気でいてね。
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