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トッキーが死んで「悔しい」から「寂しい」になった話

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2007年、僕とトッキーは出会った。
僕が元々大ファンで追っかけをしていた「みみずくず」というバンドの「林レイナ」さんと仲良くなることができて、レイナさんが住んでた高円寺で飲ませてもらう時に、友達と紹介されて飲んだのがトッキーだった。一見寡黙そうで、酔うとグデってなっちゃう所がチャーミングな人だなぁと思った。

レイナさんと飲むような関係になってすぐにレイナさんが妊娠して飲めなくなった時、僕はトッキーとサシ飲みをする機会が増えた。何故あんなふらっとサシ飲み出来るようになったのかはもうあんまり覚えてないけど、多分、僕とトッキーは「みみずくず」好き「林レイナ」好きという共通点があって、その話で尽きなかったんだと思う。
トッキーは高円寺の色んな店に通ってて、どこに行っても「おっ、とっきー!」と店員さんに声かけられてて、めちゃめちゃ皆に知られてるなぁと感動したのも覚えてる。
終電を逃した時には泊めてもらったりもした。起きたらコーヒーを出してくれた、いい女だった。

出会った頃は高円寺に住んでなかった僕も、元々高円寺に憧れがあったけど
トッキーやレイナさんと飲めるんだったらと高円寺に引っ越した。

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トッキーは高円寺AFTER BEATという音楽スタジオで働いてた。
「来てくれたらコーヒー飲めるからいつでも来なよ」と言ってくれて、スタジオを借りるわけでもないのにたまに顔出してはコーヒーを飲み、みみずくずをトッキーが流してくれて「とらちゃん、もうすぐ私上がれるから、ちょっと飲み行こうよ」と飲みによく行ってた。トッキーが連れてってくれる店はどこもとてもリーズナブルで、気軽に行けた。

高円寺の楽しみ方をとにかく教えてくれる人だった。

家にも招いてくれてご飯食べさせてもらったりもした。
トッキーのご飯はとても美味しかった。
酔っ払ったらよく、ももいろクローバーの動画と岡田有希子が亡くなった時のワイドショー動画をよく見せてくれた。
「これ脳みそ出てるんだよぉ」って言ってた。怖かった。

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それからちょっとしてトッキーとレイナさん達で「Gスポーツ」と言うバンドを組んだ。最高のバンド。アー写を撮らせてもらったり、MVを撮らせてもらったりした。嬉しかった。

僕がずっとお世話になってた阿佐ヶ谷NEXT SUNDAYというライブハウスでの店長のバースデーイベントに呼ばれて、トッキーと僕(ボーカル)とのぶおでバンドを組んで歌ったりもした。


「トキノトブラ」練習も本番もその後飲むお酒が楽しみなバンドだった。

2014年、僕は新宿2丁目でevergreenという店を任された。新宿に引っ越した。トッキーはよく来てくれた。高円寺の「まるから」という唐揚げをよく差し入れてくれた。美味しかった。高円寺で暮らしたいなぁとも思ったりしてた。evergreenは2年間やった。
新宿を離れるのを決めて、家も高円寺に戻ろうと思って、トッキーに紹介してもらった不動産屋さんで引越し先を探して、内見にも付き合ってくれた。
「ここから見る夜空が好きでさぁ」なんて、高円寺の公園の滑り台の上で深夜に2人で缶チューハイを飲んだりもした。
「青春みたいっすね」なんて言ったりして笑いあった。

そのまま店舗物件も探すようになって、それもトッキーは付き合ってくれた。不動産屋さんで働いてる「シモちゃん」とトッキーは仲が良くて、僕も一緒に飲んだりした。

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2016年、ようやく高円寺でお店が出来た。「とらんぽりん」というお店。トッキーにはオープニングスタッフとして入ってもらった。
色んな場所にトッキーはフライヤーを持ってってくれた。通ってる整骨院やそれこそ「まるから」や。通ってるパソコン教室や。ありがたかった。
不動産屋さんのシモちゃんも、とらんぽりんのスタッフになってくれた。

新宿2丁目から高円寺に移動して、集客は苦戦した。
ゲイバーと名乗るなら安いけど、バーとしてなら高円寺としては高いとかも言われた。トッキーも色々アドバイスしてくれた。色々試行錯誤してた。

この年、トッキーは色々なことが立て続けにあった。
長く働いてたAFTER BEATが年内に閉店。それ以外にも色んな事が一気に。
トッキーが「ごめん、今日しんどくて働けなそう」と連絡が来た。レイナさんに相談した。「トッキーどんなに飲みすぎたりしても仕事休まない人だからそれよっぽどかも」と。

ここら辺から僕はトッキーのことを心配し出した。

とらんぽりんは徐々にライブイベントが増えていった、トッキーはスタジオで働いてるしPAできない?って無茶振りでお願いした。「私が?できるかなぁ」なんて言いながらやってくれた。そこからトッキーはPAのことを色々調べてくれて、勉強してくれてた。ありがたかった。
普段聞かないような音楽のPAも沢山してもらった。
「今日のライブは凄いアイドルだったねぇ」なんて言ったりして、大変そうながら楽しんでくれてそうだった。

トッキーの47歳の誕生日、シークレットゲストにトッキーが大好きな「とんちピクルス」さんをお呼び出来た。バースデーの格好で魔女の宅急便のキキの格好をしながらトッキーは、少女のような満面の笑みで喜んでくれた。

この頃沈みがちな事が多かったトッキーが本当に楽しそうだった。

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トッキーがウクレレを演奏してとんちさんと2人でコラボしてて、それを見ながら僕はワンワン泣いた。トッキー良かったね。そう思ったんだと思う。

2017年、トッキーから連絡が来た。「とらちゃんごめん、体が動かなくなった」と。トッキーの家まで行って近所のクリニックまでおんぶして運んだ。トッキー、こんなに軽いんだなぁって思った。
クリニックに行ってもこれは大きい病院ですね、と救急車を呼んでもらって一緒に乗った。2人とも人生初の救急車で、ちょっとはしゃいでいた。
この時は。
低カリウム血症、栄養失調とのことだった。
レイナさんにもすぐ連絡をして、2人で家にあるものを取り行ったり、お見舞いにも行ったりした。そして、退院できた。
今は色々しんどい時期だけどこれは今だけだろう、って思っていた。

退院後もとらんぽりんではPAや、周年ではピンクレディーを踊ってもらったりした。色々無茶もしてもらった。トッキーが楽しんでたらいいなって無茶振りしといて思ってた。

気づいたら僕は、トッキーを心配する人、になっていた。
一回りも上のお姉さんに対して。

たまに冷静になって、なんでこうなっちゃったんだろう、って思ったりもしてしまった。それからしばらくは、トッキーは元気そうだった。

2018年、トッキーから電話がきた。「とらちゃん、助けて…」
明らかに去年とは違うしんどそうな声。「救急車呼べる?すぐ行くから!」
家に向かうと救急車が来てた。友人です、乗せてください、と乗った。
去年とは全然違う緊迫感のある救急車、僕は手を握ることしかできなかった。去年入院した病院に着いて、すぐレイナさんに連絡した。来てくれた。心強かった。急性膵炎だった。
僕はトッキーはもうダメなんじゃないかとも思ってしまった。

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それでもトッキーは、はやく元気になるよ、と言ってくれた。
トッキーが元気になりたいなら、それを応援する側でいたいとも思った。

これからのトッキーについて、レイナさんと色々話した。
トッキーにお酒を飲まないで欲しい、とお願いした。

そしてその時に、僕とレイナさんはトッキーに対して共依存状態でもあると、医療に詳しい人にも言われた。この時は正直ピンと来てなかった。

退院後、少しして元気になってトッキーはまたPAとしてとらんぽりんで手伝ってくれた。お店にもちょこちょこ来てくれて、今日はどうだった?とか、最近は誰か会ってる?とか、ご飯食べれてる?肉分けたいよとか、話した。

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引っ越しの手伝いなんかもしてもらった、トッキーは掃除のプロだった。

トッキーは「とらちゃん、いつも心配かけてごめんね」とよく言ってた。
お互い様だよ、と言ったりした。
トッキーにごめんね、と言わせる事が増えてしまった。

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トッキーとレイナさんでご飯をする事もあった、愛おしい時間だった。

トッキーはとらんぽりんのPAをずっとやってくれて、ミュージシャンからも来てくれるお客さんにも「トッキーさんPAだと心強いです」とか「とらんぽりん音良いですね、PAさん凄いですよ」なんて言ってもらえたりした。トッキーに報告すると少し恥ずかしそうに「えー、そんなこと言ってもらえたのー!」なんて嬉しそうにしてた、それを見るのが僕は好きだった。

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2019年、トッキーの50歳の誕生日、イベントやろうよと言って、ポスター用の写真を僕が撮った。逆光写真も撮ったら「なんか遺影写真みたいじゃーん」って言って笑ってた。

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トッキー半世紀生存生誕祭。「とんちピクルス」さん「林レイナ」さんとトッキーの好きなお2人を呼んだバースデーイベントをできた。トッキーもウクレレを弾いてて楽しそうだった。凄くホッとしたのを覚えてる。

2020年、コロナ禍がはじまる。暇が増えちゃいそうだなぁってぼやいてたら「とらちゃんウクレレはじめれば?私貸せるのあるから」とウクレレを貸してもらった。みみずくずのサイン入りのウクレレ。僕はウクレレを始めた。先生はトッキー。一緒に弾いたりもした。楽しかった。

トッキー、と楽しいを共有できるのが久々な感じでとても嬉しかった。

3月からお店でオープンマイクがはじまった、トッキーがPA。色んな編成をその都度作るから大変そうだった。お客さんからも「トッキーさん休ませてあげて」とも言われて、ゆっくりやりましょうという感じになった。
いいお客さん達。トッキーは「皆優しいねぇ」ってよく言ってた。

それから緊急事態宣言が出てお店が営業できなくなって、トッキーにも会えなくなって、大丈夫かな、と心配したりしてた。
けど、コロナもあるし家に行くのも違うかと、会う頻度は減ってしまった。
あと、僕自身、コロナの最初の頃は精神的な余裕が無くなってしまってた。

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51歳の誕生日、トッキーを店に呼び出してお花をプレゼントした。
トッキーは誕生日にいつもお花をくれる。そういえば自分がお花をプレゼントした事がないやって渡してみた。とても喜んでくれた。これが生前最後の誕生日祝いになるなんて思ってもいなかった。

2021年、ライブもちょこちょこ再開できて、ちょこちょこ会えたりしてた。「全然食欲ないんだよね」なんて言ってて、ちょっとは何か入れたほうがいいよーと僕が作ったカレーを出したりして「あー、この小盛りなら食べれそう、ありがとうとらちゃん」なんてやりとりもした。ちょっと前よりは明るい感じがしてて、安心もしてた。

2021年4月4日(日)、とらんぽりんでの灯君のライブのPAをやる予定だったトッキーから、体調が悪くてPAが出来なそうという連絡が来た。その日は演者でもあった うっしーさんに出演兼PAをお願いしてなんとか乗り切れた。
その後腸炎だったという連絡が来た、2日間絶食だよー絶食人生wなんてLINEが来た。元気になったらとらちゃんとご飯行きたいな、って言ってくれたから、食べれるようになったらよく一緒に行った阿佐ヶ谷のばんちょうに行こうね、って約束もした。「とらちゃんいつもありがとう。いつも心配かけてごめんね。」ってLINEが来た。結局最後にばんちょうは行けなかった。

2021年4月17日(土)、とらんぽりんのライブ、トッキーがPAをしてくれた。
少し元気になっていそうで、相変わらず素敵なPAをやってくれた。
とらんぽりんでスタッフもやってくれている「あびこめぐみ」ちゃんと、
「田井中翔」くんのライブだった。この日が最後のPAになってしまった。

2021年5月1日(土)、お店に遊びにいって良い?って連絡が来た。この時期は緊急事態宣言中だったので、短縮営業をしていた。あびこちゃんがスタッフの日で、色々話して帰って行った。あびこちゃんと、だいぶ元気そうになって良かった、って帰った後に話したのを覚えてる。
この日がトッキーと会う最後の日になるなんて、思ってもいなかった。

2021年5月21日(金)、お店のスピーカーをコラムスピーカーにしたいとお店でPAをやってくれる人達の LINEに投げた。参考動画も送るとトッキーから「動画みたよ。携帯のスピーカーで聴いたけど良い感じやん。」と来た。

2021年5月22日(土)、本当は翌日にオープンマイクをやる予定だったけど参加するって人が誰もいなくて、明日中止にするわ、ごめん!
とトッキーにLINEした。返事は来なかった。

2021年5月23日(日)、LINEの既読がついてないのに気づいた。急に中止って言っちゃったから「なんだよぉ」って思ってるかなとも思ったけど、電話をしても出なくて、大丈夫かなあと思った。
ただ、前も24時間寝続けてたぁなんて事もあったし、携帯が調子悪くて2日連絡つかないみたいなこともあった。そんな感じだといいなと思っていた。思うようにしていたのかもしれない。

2021年5月25日(火)、林レイナさんのライブに行った。
トッキーって連絡とってます?と聞いたら「うん、今日も来るって言ってたで」と。でも、ライブが終わってもトッキーは来なかった。
僕はこの時、トッキーは病院に運ばれたりしてるか家で倒れてるか、もしかしたら死んでしまってるんじゃないかと思った。

2021年5月26日(水)、この日は飲み会があって行ってたけど心ここに在らずな状態だった。相変わらずトッキーは電話に出ない、怖かった。トッキーは前回の入院から引っ越しをしてたんだけど新しい家の場所を知らなかった。以前共依存と言われて、住所を知らないようにしてた所もある。でも、これは自分が動かないといけないんだと思った。でも、果たして自分がそこまでするべきなのかと、葛藤してしまった。

2021年5月27日(木)、意を決してトッキーの友達でもあるシモちゃんに連絡した。シモちゃんはトッキーの家の担当の不動産屋さんでもあった。
トッキーと数日連絡がついてなくて、嫌な予感がすると話した。
大家さんとかに鍵開けてもらうのは可能か?その場合大ごとにしちゃう感じになるけど。と。
「可能です、たしかに大ごとにはなっちゃうけど、その状況は明らかにおかしいし、とらさんの直感なら多分開けた方がいいと思いますし。私と行きましょう。警察にも立ち会ってもらって開けましょう」と。
レイナさんにも連絡をした。私も行く、と。
20時頃、僕とシモちゃんが家に着いた。電気はついていた。大家さんと警察も来てもらって家の鍵を開けてもらった。僕らは玄関の前で見ていた。
レイナさんは道に迷っていて遅れていた。

鍵を開けると警察の人が「中にいらっしゃいます」と言った。

ああそうか…と思った。しばらくして警察の人が来て「これから救急呼びますけど、おそらく亡くなってると思います」と説明してくれた。
レイナさんは救急車と同じタイミングで来た。

僕の口から「トッキー亡くなってるそうです」と話した。
レイナさんはずっと泣いていた。
僕はなんてことをしてしまったんだろうと思った。
僕は、悔しい、と数回言った。シモちゃんはずっと気丈でいてくれた。
刑事さんもきて、家宅捜索みたいなことをしてた。

1時間半くらいして、刑事さんから、事件性がない事、座椅子に座ったまま後ろに倒れてることなど話してくれた。苦しそうな顔でしたか?とレイナさんが聞いた。そんな感じではないというような事を言ってたと思う。あまり覚えてない。
ご遺体は見せてもらえなかった。ご遺体を運ぶ時に談笑してる刑事にイラっとした。皆帰っていって、静かになった。シモちゃんとはそこで別れた。
僕はレイナさんと歩いて家まで送った。いろんな事を話したと思う。でも、あまり覚えてない。そこから、自分の家まで歩いて帰っていた。

この数日の動きを、人が来なくてもオープンマイクを強行してたら、もっと早く、トッキーと連絡つかないとおかしいと思っていたのか、そもそももっと早く行動すれば良かったのか。そんな事を考えていた。不思議と寝れた。

2021年5月28日(金)、レイナさん、シモちゃんとやりとりをしていた。
トッキーのご家族と特に連絡をとってない僕らができることはあるのだろうか、と。そしたらシモちゃんが、家の手続きの関係でご家族に連絡をとってくれた。東京で火葬してもらって、地元の青森でお葬式をあげるつもりだと話してたご家族に、トッキーは友達が沢山いてお別れしたい人も沢山いるので火葬の時に立ち合わせてもらえないか、と交渉をしてくれたと聞いた。そしてご家族の方もその言葉で、火葬の立ち会いを許可してくれた。火葬は5月30日になった。シモちゃんには感謝しかない。
トッキーと共通の友達たちに電話して、トッキーが死んだことを伝えた。
しんどかった。

トッキーの友達には、トッキーにはとらちゃんが居るから安心だね、なんて言われてたこともあったけど、結局僕はトッキーを死なせてしまったんだよな。って思ってしまったりしていた。

2021年5月30日(日)、火葬場に来てくれる人に僕が撮ったトッキーの写真を渡したくて朝からプリント屋に駆け込んだりしてた。
トッキーの火葬、懐かしい顔を沢山見れた。
やっぱりご遺体は見せてもらえなかった。
トッキーの棺桶の上に、お花やトッキーのゆかりの物とかが沢山置かれた。
GスポーツのCDも、とんちピクルスさんのグッズなんかもあった。
火葬の間の待合室、ご家族が来れなかったので、僕とレイナさんで、みなさんに挨拶をした。ここ数年のトッキー、ご遺体を発見するまでの流れを説明した上で、僕は発見が遅れて今日皆さんにトッキーの顔を見せれなかったことをお詫びした。今だにこの事を悔いている。
それでもその後に、お世話になってるこにたんが「謝ってたけど、謝る必要ないですよ。ときさんの人生だし、ときさんのぶんまで、飲んでください」と連絡をくれた。凄く、救われた。
そんなこにたんは、とっきーの骨を食べてた。ちょっと羨ましかった。

骨壷には没5月22日と書かれてた。そっか、オープンマイクやる予定の前には亡くなってたんだ。意地でもやれば良かった。

そういえばとらんぽりんのTシャツやタオルとかも連れてってあげたら良かったなぁと思って、また失敗したなぁとも思った。

火葬後、来てくれたチュウさんの家にみえさんとお邪魔して、とらんぽりんのTwitterで報告をする文章を一緒に考えてもらってた。ツイートする前に、思い当たる人何人かには直接LINEした。やっぱり皆ショックを受けていた。
ツイートすると、色んな人が色んな反応をしていた。PAの時こんな気遣いをしてくれる人だった、優しい人だった、とらの無茶振りをしょうがねえなって顔でするトッキーが好きだった。
僕が気づかないところもあって、不思議な感覚だった。
それと同時に、悔やんでくれるツイートを眺めながら、こういう事を書いてくれるんだったらもっとトッキーに会いに来て欲しかったなあ、その方がトッキーは喜んでくれたのになぁなんて思って少し腹を立てたりもした。
この時の自分のメンタルがやばかったんだって振り返ると思い知らされる。
その後、とらんぽりんに顔を出した。店でトッキーが亡くなったことを報告した。とんちピクルスさんが配信ライブをするので店で流した。友達が亡くなって、その人に向けて歌います。と歌っていた。泣きながら歌っていた。

僕は、そこで初めて泣いた。

トッキー、皆トッキーの事大好きだったんだよって。
僕はトッキーが大好きだって、伝え切れられたのか。
ひとまわりも上の姉さんに小言ばっかり言うようになってしまって、
トッキーに長生きしてほしいと思って、色んなことに口出して、
そしたらパッと死んでしまって、果たして自分がやってきた事はなんなんだろうとか。最後までトッキーとお酒交わしながら飲めていたらもっと幸せだったのかなとか。悔しいという思いがとても強く残ってた。
あと、もうトッキーのこと心配できないんだ、とも思ってた。

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その後、トッキーの追悼で皆で阿佐ヶ谷ばんちょうで飲んだり、トッキーのバースデーライブをやったりした。みんなトッキーのことを思ってくれて泣いたり笑ったりしてた。皆トッキーで泣いてくれてるよ。愛されてるねぇ、なんて思った。僕は自分がどの立ち位置かわからなくなっていた。

高円寺を歩いてると、目の前にトッキーっぽい人が歩いてて話しかけそうになった、でも、違う人だった。当たり前なのにトッキーじゃないのかぁなんて思ったりもしていた。そんな日々が続いてた。

2022年、僕は40歳になった。トッキーだったら「とらちゃんが40かぁ、そっかぁ」なんて言ってくれるんだろうななんて思ったりした。
トッキーがAFTER BEAT時代に繋がりがあった高円寺のShowBoatというライブハウスで40歳の記念ライブをさせてもらった。とってもいい箱だった。
トッキーの写真を連れていって、入り口に飾った。トッキー「私 ShowBoatだったら顔聞くから紹介できるよとらちゃん」って言ってたけど、紹介されないまま死んじゃったね。

トッキーも大好きだった藤井周くんが久々に音楽活動を再開してライブを見にいった。ライブはすごく良かった、と同時に、トッキーと見に来たかったなぁなんて思ったりした。トッキー、あまねのライブ良かったよ。ふじいあまねって平仮名に改名したみたいだよ、可愛いねって。

トッキーも大好きだった「アベトモ」さんのライブに行った。
前には2人で来たこともあるライブスナック、みたいな場所で。
1人で行った僕はアベトモさんのカバー曲を聴いて、急にトッキーと来た気分になって「トッキーこの曲知ってる?俺知らないわ」なんて脳内でトッキーに話しかけたりしてた。ちょっとヤバい人だと思った。
帰り道、トッキーともうちゃんとライブ一緒には来れないんだよなぁ、
って寂しくなったりもした。
トッキー死んじゃったよな、寂しいなって思う事がどんどん増えてった。

遺体を発見してちょうど1年の今日。ケジメでこのnoteを書こうと思って色々思い出そうと家を漁っていたら、数年前、僕のバースデーパーティーでサプライズでトッキーからもらった手紙が出てきた。
その時、とらんぽりんで音読された手紙は、トッキー文章力あるなぁなんて思って聞いてた、けど、改めて読んでみると、ハッとさせられた。

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僕は、沢山友達がいたトッキーの51年の内の、たったここ15年くらいの友人関係だった。
それでも、沢山の出来事を共有できて、沢山の思い出も、沢山の感情も、
沢山のごめんねも、沢山のありがとうもあった。
この手紙からトッキーの思いが変わっているかもわからないけど、こういう思いを持ってくれた事がある、それだけで幸せだと思えた。

2021年5月22日(日)、トッキーの一周忌。実家では法事があり、トッキーがこの日お墓に入ると妹さんから連絡をいただいて、とらんぽりんでもトッキーを知ってる人で青森のお菓子やお酒を飲みながらトッキー話をしてた。
とんちさんと演奏をしてる動画を見て、トッキー幸せそうだなぁって思ったらちょっと泣いた。気づいたらその場にいる全員が泣いてた。

無茶振りで魔女の宅急便のキキの格好をしながらウクレレを弾いてる動画の中のトッキーは、とってもとっても楽しそうだった。

トッキーに会いたいなぁ、って思った。

僕はトッキーが大好き。それはこの先もかわらず、人生の糧にします。
この人生に、トッキーと出会えてよかった。沢山沢山ありがとう。
トッキー、元気でいてね。僕も、元気でいます。
今度会う時は、ちゃんとお酒で乾杯しようね。

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最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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