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映画ドラえもんと僕のおばあちゃん

映画初日、映画ドラえもんstand by me 2を見てきた。

見た理由は先日、映画鬼滅の刃が始まる前に流れた映画ドラえもんの予告映像。そこである言葉のシーンの一瞬で泣いてしまったため見ることを決意したのである。

ドラえもんのおばあちゃんが言った言葉

映画ドラえもんではのび太のおばあちゃんに会うシーンがある。

のび太は自分の幼少期の自分に見つかりそうになったので、隠れ場所を探し、おばあちゃんに出会ってしまうのだが、その時におばあちゃんは、未来ののび太であるということを信じて、「のびちゃんのランドセル姿が見たいな」と言う。

そこでタイムマシンに乗って願いを叶えてしまうのだが、次第にエスカレートしておばあちゃんはある言葉を言うのである。

「のびちゃんの嫁さんが見たい、結婚式が見たい」

この言葉は予告編でも流れていたのですが、このシーンで泣いてしまいました。

僕のおばあちゃん

僕のおばあちゃんはとても優しくて、心思いで相手の立場に立って考えられる人でした。

僕が幼少期の時に小学校の徒競走があったのですが、なかなか良い結果を得られることができませんでした。

しかし、おばあちゃんは「元気な姿で走ってるだけで私はうれしいもんよ」なんて言ってくれて子供ながら、誰かの幸せになってるんだって思ったりしました。

僕は高校卒業後、浪人をしていて家で勉強することにしていたのですが、その時に察してくれたのか、勉強を陰ながら支えてくれて、そっとお菓子を机の上に差し入れしてくれました。

時が過ぎ大学決定の時、当時勉強鬱だったのか、幻聴が聞こえ心療内科に通うことになっていました。
第一に行きたい大学は京都にある大学一択、だけど、最後までおばあちゃんは「一人で大丈夫かい」「無理しないで」と心を労ってくれました。

そして大学のため京都に行った私は、おばあちゃんと話すこともなく、帰省をあまりすることもなく、夏休みはバイト、冬休みは旅行、春休みはサークル活動で会う機会が減りました。

大学2年になるとおばあちゃんは入院することになります。そこで重要な人生の選択をおばあちゃんは迫られます。

腎臓にある病気であまり手術例のない特殊なものであり、成功確率も低い大手術のようでした。

おばあちゃんは医者とお話ししている時に、「ペンギン(孫)の嫁さんを見て死にたい
それが私の生き甲斐」と言って、そこで誰もが辛い気持ちになりました。

最終的には手術はしないでその2年後の2018年の春、自分が大学4回生の時に亡くなりました。

自分は本当に申し訳ないことをたくさんしてきました。

反抗期には怒鳴ったりしましたし、大学に入っても帰省はせず顔を出さない、それでいて、おばあちゃんの衰えていく姿を見たのは入院してから(入院してからはおばあちゃんは会話ができなくなっていました)また、感謝の気持ちや親孝行でさえ何もできてない、お嫁さんも見せてあげられなかった。

後悔先に立たずはまさにこのことであったと亡くなった後に気付きます。

亡くなったことを京都で知って急いで当日実家に帰ると、入院中よりもさらに痩せ細った状態になり唖然としました。

入院したきっかけも足の骨折だったため、自分が少しでも見ていればなんとか長生きしてくれたかもしれない、そんなことを思っていました。

やはり棺桶の中で最後の顔を拝み、焼き場に入れられるところは、もう一生、会えない、後悔ばかりで、良い思いをしてあげられなくてごめんねと言う感情が湧き上がり大号泣してしまいました。

そのあと遺品整理をしているとへそくりや着物がたくさん出てくるは、僕のために定額預金を何個も作ってくれたりと自分が亡くなったあとのことまで考えていて、本当に悲しんでばかりではダメで前に進まなければいけないのだなとしみじみ思いました。

映画ドラえもんの伝えたかったこと

ラストシーン、青年のび太としずかちゃんの結婚式が行われる中、陰から見守るのび太、ドラえもん、そして、おばあちゃん、成長する姿を見守ることになります。

おばあちゃんはのび太の果敢にチャレンジして悔いのないように取り組む姿、幼少期から青年にわたって辛いことや悲しいことがあったけど、それに対して成長し、晴れ舞台で自分の役割を行う姿に感動します。

のび太は誰かか弱い人や悩みを持った人にその人の立場に立って考え、一緒に模索してくれる人なのではないかと思いました。

どんなに困難になっても、時に支えになってくれるスネ夫やジャイアンがいる、心優しく、勇敢なのび太だと感じました。

僕は自分の結婚式におばあちゃんを連れてくることもできないし、ドラえもんもタイムマシンも持ってさえいない。

だけど、この映画を見たことによって、ほんの周りのために手助けや助太刀をすることができるし、相手の立場に立って悩みを持っている人の話を傾聴することだって出来なくもない。

お年寄りや子供に席を譲る。
コンビニやバスに乗る時もお願いします、ありがとうございますなどのお礼を言う。

そんな些細な幸せを一日一つ良いことをするだけで、その場凌ぎでも、気持ち的に楽になる自己満足出来るのではないかと思いました。

それで心が満たされれば少しはマシになるのでないかと


おわり

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