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法の曖昧さを考えてみる:1.LGBT法について

昨今LGBT法が色々駒を進めているけど「法の曖昧さ」って本当困ったものだなって僕は思う。曖昧さは都合によってどうにでも解釈出来る危うさっていうものが常にある訳だから。何でも世の中、白黒つけられる事ばかりじゃないのは分かるけど、それだと困る事って結構あると思う。

曖昧な法律というと僕からすればいくつか思い当たるのでいくつかの記事にして書こうと思う。

今回はLGBT法について。


LGBT法は本来性的少数者(LGBTだけではなくQや+とされる人も含まれるはず)が性的多数者(異性愛者)と同様に扱われ、差別されたり不当な扱いをされないために作られたはず。だけど何か肝心な部分が抜けてしまっているので、余計LGBT差別や嫌悪に繋がりかねない事になっている。

その中で特に問題になっているのが公衆トイレや温泉施設での話。
僕みたいにゲイの場合はトイレでも温泉施設でも男性側の施設を使えるので問題は無い(一部のゲイが起こしている問題点は次の記事で)。だけどトランスジェンダーの人たちはどちらを使うべきか、という話でSNSのコメントは大荒れになっている。

そういうコメントを見て僕は改めて「当たり前の事って何なのだろうな」と思うようになった。トイレにしろ温泉にしろ、世界は性器によって分類されているという事実がある。心の認識とかそういう目に見えないものは分からないので誰が見ても分かるもので区別する。それは世界にとって当たり前の事なのかもしれない。

もし男湯に男性器と胸がある人、胸はあって男性器が無い人が入ってきたら本人のセクシュアリティがどうであれ僕でも動揺すると思う。これは「男性=男性器がある=胸は無い」「女性=女性器と胸がある=男性器は無い」という生物学的な面から来ている感情なのだろう。公衆に性器を晒す場所で生物学的に分ける意味は性被害を防ぐ事へ大いに貢献しているのは事実。混浴がある場所はそれを良しとする人が入れば良いからそれは全然構わないが、いつの時代であっても基本的な男湯とか女湯みたいな部分は変わらない方が良いと僕は思っている。日常的に使用するトイレは特にそうでないといけない。だからこそトランスジェンダーの人たちがこうした場所を利用したいと考えた時、どうあるべきなのかをきちんと定義づけする事が必要だと感じる。


男性が女性として生きていく為の条件はこれ。
女性が男性として生きていく為の条件はこれ。
といった感じに誰でも分かり納得がいくように定義する。
それが必要だと僕は思う。
そうすればトランスジェンダーの人たちは今よりも暮らしやすくなるはず…。

だけど本当に問題なのは
トランスジェンダーを装った一部の人間が問題を起こす事。
それは本当に悪質で許せない事。
ただそれを防ぐ手段はあるのだろうか…。


SNSで騒がれている通り温泉問題はどうすれば良いのだろうと僕は考える。
まさか温泉に入る人の性器をいちいち確認するなんてバカな事は出来ないし、見た目で判断するなどましてあり得ない事だし、人間の性善説を何処まで信じるかの対応では今の有様だし…。

ハンコ注射(BCG)じゃないけどこれからの時代、手の甲みたいに誰でも見える部分に自分のセクシュアリティを判別出来る跡でも付けられちゃうのかな、なんて想像してみる。

少数派へ配慮し過ぎだ、という声もあるのは分かる。
みんながみんな多数派でいられたらどれだけ揉めなくて済むか、少数派にいればその事はよく分かっている。

だからこそ悩み、声を挙げる。
自分たち少数派の特権という感じになるのではなく、可能な限り多数派と共存する為に出来る範囲で。

僕もそうだけど僕は僕でしかなく一人のゲイでしかない。
僕の考えが世界の考え方じゃないしゲイの考え方じゃない。
あくまで僕という1人の考え方。

もうすぐLGBT法が可決しそうな感じだけど、本来あるべき姿に近付いてくれる事を僕は願っている。

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