あえてモノとして見られる事が幸せな場合もあると自分は考える(R18・引用あり)

「俺は性欲に支配された時、お前の事を男というモノとしてしか見る事が出来ない」

こんな事を自分が好きだと思っている男性に言われたらどう感じるだろう?と考えさせられる記事があった。

言葉の断片だけで捉えてしまうと
自分の事を男という人として見ているのではなく、性欲を満たしてくれる男というモノとしてしか見られていないのかな?と考えてしまうかもしれない。

もっと酷い言い方をすれば、性欲発散の為のモノとして見ている。
そう捉えてしまう人もいるのだろう。

自分はその人の事を人として好意を抱き、人として見られながらセックスしたいのにと考えていたのなら、その言葉をかけられた瞬間に絶望的な気持ちを抱くのかもしれない。
自分は相手の性的欲求を満たす為にだけ存在しているモノだと感じてしまうかもしれないから。

でももっと深い部分で考えてみると、それは愛と信頼故にそう思うことが出来るのかもしれないと自分は感じた。

セックスをするという事は、相手の事を好きだと感じていて相手を信用しているから出来る行為だと自分は思っている。
人として信用をしていなければそんな大胆な行為など出来ないだろう。
自分の性的な部分を相手に曝け出し、時には体を繋げて1つになるのだから。
人として嫌だと思うのなら、そんな行動など出来るはずもない。

相手に自分の事を人としてではなくモノとして見てもらえる。
それは自分の事を人として見なくても良いからだと。
言葉足らずだけど愛と信頼があって人として何一つ疑う事をしなくて良い、
ただ目の前に自分の性的欲求を満たしてくれる素敵なモノという存在がある。

そう考えているからこそ、そういう表現になっているのかもしれないと自分は思った。

自分が好きだと思う男性がそんな考え方をしていて、自分の事をセックスの時にモノとして扱ってくれたら自分はとても幸せだなと感じる事だろう。

自分は相手の性的欲求を満たしてあげられる存在であるという事。
愛と信頼があるからこそ、あえて性欲を発散出来るモノとして自分を扱ってくれている事。
相手に自分の事を人として見なくても良いよという安心感を与えられている事。
モノとして見られる事で相手が性欲を発散する為に集中出来るという事。


自分は求めるより求められたいと思う気持ちの方が強いので、セックスの時にあえてモノとして扱われる事で、相手への愛や信頼を表現出来ると自分は思っているので、こんな考え方をしている人がとてもステキに感じてしまう。
以前も話したことがあるけど、性に関しては相手に色を与えて欲しいと考えるタイプなので、セックスの時はあえて性欲発散のモノとして扱われた方が幸せだと感じてしまうのかもしれない。

今回、この記事を書こうと思ったのはこの作者の記事を読んだから。

作者独特の考え方や想いがあるけれど、
全て読み終えた時にはその想いを理解する事が出来るかもしれない。

言葉の見た目とは違う
温かい心と純粋な性欲への想いを感じ取れる。

性欲に関して真剣に考えているからこそ
あの表現に辿り着いたのだと自分は思っている。

人生限界太郎さんへ
とても素敵な記事を書いてくれて本当にありがとう!!

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