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実在しない少年の性的表現に対して、少年愛者として想う事(R18)

全ての少年愛者が大人になってからその考えを持つようになったとは考えに
くい。少なくとも自身が子どもの頃にその素質が何処かにあったはず。


大人の今では少年相手にセックスをしたいと望んだところで叶えられるわけがない。だからこそ今1度、子どもの頃に戻ってみたいと考える人もいるだろう。
自身が子どもならばその望みが叶えられる可能性だってあったわけだ。
自らが子どもであれば同年代の少年相手にセックスをしたとしても、子どもながらにお互い同意があれば、誰もその行為を裁く事など出来ないのだから。
もしそれを裁く事が出来るのだとしたら、この世界にいる少年少女は罪深い存在になってしまう。大人たちが知らないだけで子ども同士セックスをしているのも事実だし、自らがその経験者だって人もいるだろうし。
その現実を知った少年愛者の大人は今頃後悔しているのだろうなと私は思う。

大人と少年では互いが惹かれあい、愛し合っていたとしても当事者以外が認める事はまず無いだろう。それがこの世界の宿命。

とすればその大人たちが少年に対して欲情してしまった時、どうするか?

完全な代替行為にはならないものの、その1つに2次元・実在しない3次元での性的表現が存在するのだと私は思っている。

2次元では立体感が無いものの、表現の自由を行使し現実世界では不可能な場面も描くことが可能である。
これは3次元でも同様の事で、実在する人物で表現しなければある程度はリアルに近い表現も可能だと感じている。

実際に少年同士や少年と大人、少年だけを描いた性的表現のイラストやCGは数多く存在する。肌の質感や性器の表現がとてもリアルなものまであって、表現者の才能には頭が上がらない。

ただ「実際に存在しない架空の人物」に対する性的表現に関しても、最近規制が厳しくなっていると感じている。

実際にそれらを見たことがある人なら分かると思う。
例を挙げるなら、イラストで描かれた男性の性器に何らかの修正処理がなされている。
黒線や白線を足し性器を少し隠す。
モザイクがかかっているようにドットを荒くして描く。
性器全体を白塗り。
以前は修正が弱かったイラストでも、時間が経つにつれて性器への修正が変わっているものもあった。
以前より線の数が多くなったり太くなっている。

せっかく性的な場面を表現しようと性器を描いたのに白塗りで消されてしまっては、その意味さえ危うくなってしまうと思うのは私だけだろうか?


確かに現実の人物ではなくイラストやCGとはいえ性器をリアルに表現されているものも事実あり、そのままにしておくというのは難しいのかもしれない。現実問題18歳以上向けと表記があってもこの修正がなされているのだから、18歳以上向けの意味を改めて考えなければいけないとさえ思う。


大抵の大人がアダルト動画を見ながら性的欲求を発散するのと同じような感じで、少年愛者はそれらで性的欲求を発散するのが現状なのだろう。


私は自身に少年愛者の側面があると思っているので少しだけ気持ちを書くとすれば、性欲のベクトルが完全な形で成人に向いている人を羨ましいとさえ想う。
セックスの相手がいない時はアダルト動画を見る事も出来るし言葉は悪いが、相手がいて相手さえ良ければいつでも好きな時にセックスをすることが出来る訳だ。

それに比べて少年愛者の場合、相手がいて相手が良いと意思表示をしたとしても、セックスする事は許されない。それはすなわち実在の少年が関わっている性的動画も存在を許されないことになる。もちろん児童ポルノという考え方があるからだ。

動画やイラストを見ながらセックスを妄想出来るのはどちらも可能だが、実在の人物のセックスを見る事が出来るのと自らが体験出来るのは成人を相手にした場合のみである。

色々な考え方や想いが存在しているのは人として当たり前の事。
ただその中には実際に体験出来ない事、してはいけない事も多く存在している。
少年相手にセックスをしようとするのもその1つだろう。

全てが全て実現する世の中もカオスな世界になるだろうし、全てが全て規制される世の中もある意味カオスなのだろう。

少年愛者にとって代替行為の選択肢が少ないこの世界。
現実・非現実問わず性的なものは同じように規制されている現状。

非現実のものには規制を緩くしても良いのではとさえ感じる。
きちんと18歳以上向けとした上で。

少年とセックスしたいと思う大人の叶わない願いに対して、少しでも救われる何かがあっても罰は当たらないだろうと私は思う。。。

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