会計の世界史

 通っているコワーキングスペースにこの本があったため、読んでみた。ちなみに簿記二級は取得しています。

 とりあえず200ページほど読了。簡単に書いてあった内容をまとめる。

 14世紀頃のイタリアでは海洋貿易が発達。それに伴い海賊や難破の被害が増えたため、お金を直接持つのではなく、バンコ(今で言う銀行)が発行した為替手形を持つようになった。バンコは為替手形を発行する際、手数料を徴収。この為替手形が普及するにつれ、帳簿の作成が必要になった。また当時高価なものであった紙が、綿織物の発達とともに安価になったこともあり、帳簿が誕生した。

 バンコを営んでいる者の中にメディチ家がある。与信管理により着実に利益を重ね、規模を拡大し、支店を増やしていく。まだ通信技術が発達していない時代であるため、中央集権型の管理は難しい。そのため分権化が進んでいった(持株会社の発端?)。仲間が増えると裏切りも増えるため、約束事を紙に残す必要があった。交渉人という職業が力を持つ。

 ここで簿記のメリットが現れる。儲けの分配が楽であること、後日揉めたときに記帳の記録が証拠となることである。

 なおメディチ家は三代目であるロレンツォの時代に破産する。理由は自身の事業である毛織産業の衰退により、材料の羊毛輸入が減少。羊毛輸入を増加するよう王族へ要請した見返りに貸付を要求される(与信管理の消失)。そのまま踏み倒されてしまう。王族へ貸付けた後、踏み倒され倒産するというケースは実は珍しくなかった。

 15世紀、バスコ・ダ・ガマによりイタリアを通らずインドへ行くルートが発見された。それによりイタリアの貿易業は衰退していき、スペイン、ポルトガルの航海業が発達していく。

 16世紀頃、カトリックであるスペインに支配されていたオランダではプロテスタントが勢力を増す。独立戦争を起こし、勝利したオランダはネーデルランド連邦共和国を制定する。オランダのプロテスタントはカルヴァン派と呼ばれる、儲けを出すことこそが人類が救済される道であると信じる派閥が力を持つ。

 同時にプロテスタントであるため、教会の装飾も質素になる。それにより画家のパトロンが教会から裕福な市民へ移り、絵画が市場取引材となる。同じくチューリップの球根が市場取引材となり、異常な高値が付くようになる(チューリップバブル)。1日の取引値の変動が激しく、アムステルダムでは毎日終値表が作られるようになる。

 航海の分野でスペインやポルトガルに遅れを取らないよう、オランダは「東インド会社」を設立する。大量の帆船やインドへの現地拠点の作成など、とても個人では集めきれないお金が必要となる。ここで株式という考え方が誕生する。ストレンジャー株主へは儲けが分配され、責任は際限なく負わせない有限責任の考え方が採用される。ここで「所有と経営の分離化」が始まる。株式を売買する市場も作成し、インカムゲイン・キャピタルゲイン好きな方を選べるようになった。

 1799年「東インド会社」倒産。未成熟であった会計制度、気前よく配当を出した結果の内部留保の不足、ガバメント機能の不足などが原因であった。

 1666年、イギリスにて「ロンドンの大火」と呼ばれる大火事が起こり、木造の家より石造り・レンガ造りの家が増える。この時代主力の燃料は木炭であったこともあり、木造不足であることも一因だった。

 石造りを進めるうちに、石炭を発見。炭鉱作業が増える。炭鉱作業では地下水が溢れることがよくあった。それを取り除くため、ジェームズ・ワットにより蒸気機関が発明された。産業革命である。

 ジョージスティーブソン、トレヴィシックなどにより1830年蒸気機関車が発明された。当時のイギリスでは株式による会社の設立が認められていなかったが、鉄道や運河関係のみ、初期投資が莫大ということで株式会社化が認めらていた。

 ジョージ・ハドソンによりミッドランド鉄道という会社が設立される。先にも述べたとおり、鉄道、運河関係の会社は初期投資が莫大であるため、毎年のお金の動きのみで利益の計算ができない。そこで減価償却の考え方が現れた。現金主義から発生主義への移行、利益計算の誕生である。なお、同時に粉飾、黒字倒産なども誕生してしまった。自身の利益の計算の記帳でなく、人に報告するための記帳へと変化していく」。

 19世紀頃、じゃがいもの飢饉によりイギリスは新大陸を目指し、アメリカを発見する。アメリカへ移住し、鉄道設備の設営、それに伴ったサービスも誕生する。アメリカの会社は基本的に自己資本は低く、イギリスからの借入が大きいという自己資本比率が低いところが多かった。そのためイギリスの資本家がアメリカの会社の経営状況を注視し分析をするという、経営分析がブームとなる。

 まだ証券法や証券取引法がない時代であることをいいことに、インサイダー取引を重ね、ジョセフ・パトリック・ケネディは富を築いていく。1929年10月24日の大恐慌も難なく乗り越えていく。当時の大統領ルーズベルトはJPKをアメリカ証券取引委員会の長官へ任命する。ニューディール政策により、グラススティーガル法(銀行は預金を全て投資へ回さない)、新たな会計ルールが制定される。

 なお、新たな会計ルールは以下の通りである。

決算書の作成 監査のチェック ディスクロージャー(企業の情報開示)

 株式を公開するということはプライベートカンパニーからパブリックカンパニーへ移行するということである。責任は大きく異なる。U S.GAAPの遵守、CPAの設置など。

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