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3月11日という日

フォロワーさんも多くの方が忘れられない日になったのではないでしょうか。

10年前の今日、14:46に起きた東日本大震災

当時わたしはMで働いていて、店舗から30秒のところに住んでいました。

当時上の子(1号)は4歳、下の子(2号)は1歳で、2号はすぐ熱を出す子であの日も熱を出して家で母に仕事を休んでもらいみてもらっていました。

たまたま14-15時が休憩時間だったため、家に帰っていたその時にあの地震がきました。

茨城県出身のわたしは子供の頃からそこそこ大きめの地震は度々経験はしていましたが、あの日の地震は

「長いなーまだ揺れてる」

と思った瞬間の

ドンッ!!!


という縦の衝撃。

からの激しく長い横揺れ。

だったように記憶しています。

家の食器棚が倒れ、水槽の水はこぼれ、なぜか水槽の横に置いていたパソコンは水没。

わたしは2号を守りながら揺れがおさまるのを待ちました。


しばらくして揺れがおさまり、これは只事ではないとんでもないことが起きた…と思いながらも「お店に戻らないと」と思い急いで店舗に。

しかし母はパニック、部屋は食器の破片だらけ。

なので熱発中の2号をベビーカーに乗せ、ねこたちをキャリーに入れ、赤子と猫を抱えて店舗に戻るという異常事態へ。

倉庫にベビーカーとキャリーを置き、店舗のガスを閉めお客様の避難誘導、そしてパートさんたちを帰宅させ、店長とわたしのふたりだけが店舗に残ることに。

あの日店長もいてほんとによかったと心の底から思いました…。

厨房もフライヤーの油がこぼれたくらいでそんなに被害はなかったのが救い。

駐車場が広かったので駐車場に避難してくる人が多く、そこでまたくる余震で揺れる建物、電柱をみてみんな悲鳴をあげていたことを今でも覚えています。

1時間経たずして店舗営業再開。ドライブスルーのある店舗だったのでわたしはドライブスルー寄りで店長と手分けをしながらふたりで接客対応。

電話はつながらないので1号の保育園に連絡することも出来ず不安ななかでしたが、ラジオをつけ状況をできる限り把握しつつ働いているとあの大津波の情報が。

少ししてドライブスルーにきたお客様、窓口で「地震大丈夫でしたか?」とお声がけすると、自分は大丈夫だけど実家が岩手で連絡がとれない。家が海から近くてどうしよう…と泣きそうな声でおっしゃっていました。

いてもたってもいられないだろうなと。忘れられない会話のひとつです。

17時まで仕事のところを19時すぎまで残業し、1号を迎えに行って会えたときはホッとしました。


あれからもう10年。


子供たちは地震の大きさを覚えていないそうです。

先日の自信が今まででいちばんの大きさと感じたらしく、子供たちも大きな地震に備える準備をし出しました。


いつ来るかわからない震災。

心の準備はしつつも来ないことを祈っています。

あの日つらい思いをした方、今は幸せが訪れてるといいなと思います。




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