4. 入院生活と病気の経過

手術が無事に終わって2日目から歩行訓練が始まりました。

 えっ?
もう歩くの?
ここで頑張ると回復に大きな違いが出ると言うことなので
俄然やる気を出した私です。
とりあえず、病室からデイルームまでの往復ができればOKとのこと、なんとか立ち上がることが出来たので順調に歩きました。

いける


いける


と思った瞬間
スーーーーっと、血の気が引いて
30メートルくらいしか歩いてないのに、貧血に。

そういうことなの。
てっきり傷口が痛いとか、腹筋がないから歩くのしんどいとか
そんな事ばかり考えてたけど 貧血。


予想してなかったのでビックリ!

あと少しで倒れるところでした。


すぐに車椅子がやってきて、車椅子で病室に戻るはめに。
病室に着いたら汗がびっしょり。

 はーーーびっくりした。
できると思ってたことが出来ないという、手術の大きさを思い知らされました。


後は、ひたすら空腹との戦いでした。


私の場合は、3日目の朝から食事が始まる予定だったので丸2日間は何も食べれなかったんです。


体を少しは起こせるようになってたので、お腹が空いてしょうがなかったです。
水分だけは少し摂って良かったので、水分でなんとか乗り切りました。

私は運よく痛みがこの時は出てなかったのでラッキーでした。
背中に入れてる、硬膜外麻酔も効いてくれてました。


まだ2日目なので、点滴やらオシッコの管とかドレーンも2本入ってたので動きは制限されてて寝返り打つのが大変だったかな。


2日目の夜は、明日の朝から始まる食事の事ばかり考えてたので、意外と元気ですね。


3日目からは、ナースステーション前の個室から大部屋に戻りました。

最初に1日だけ寝たお部屋ではなくて、違うお部屋に。

4人部屋で私入れて3人でした。

癌の病院に入院していたので、お部屋の2人も癌でした。

みなさんカーテンを閉め切ってる病室だったので、同じお部屋の方とは交流が全然なかったんですが、ある日の夜。

21時を過ぎたくらいだったかな?

2人が何やら楽しそうに話をしてて。

私はカーテン越しに、なんとなく話を聞いてたんです。

2人はベットもお隣だったで、間のカーテンを開けてる様子。

私は向かい側のベットでした。

会話はずっと続いてて。

仲間に入れてほしいなー。

ここで私、勇気を出します。

カーテン越しに少し大きめの声で

私(以下A);「すいませーん」

2人(以下F);「あっっ!うるさかったですか?」

A;「いえ、仲間に入れてくださーい」

F;「いいですよー!歩けますか?」

A;「なんとか歩けます。」

F;「良かったら、こっち来ませんか?」

やったーーー。

お邪魔することに。

2人は食道癌でした。

色々手術後の対応とかアドバイスしてもらったのを覚えてます。

例えば

・咳をする時は少し前かがみになって傷口に圧力がかからないようにする

・抗がん剤の前に髪の毛を切った方がいい(当時の私はロングヘアでした)


2人は手術後の抗がん剤治療中でした。

私も抗がん剤治療が待ってたので、髪の毛の事とかも相談に乗ってくれて。

その時の会話で1番印象に残ってる会話があります。

当時の私は、自分の事しか考えられなくて

A;「私、5年生存率35%って言われたんです」

F;「パーセンテージに入れるだけマシだよ!私なんて余命伝えられてる」

2人はほとんど同じくらいの症状だったみたいです。

この言葉で結構私の考え方が変わりました。

その時までは自分だけ特別のように感じてたんだけど、全然特別なんかじゃないんだなって、普通の事だ!悲観的に思ってた部分がほとんどなくなりました。

がんセンターに入院したのは、私にとっては凄く良かった事でした。

入院している人、みんなが癌患者でした。

私だけじゃない!


歩けるようになってからは、朝起きたら3Fまでコーヒーを買いに行って自分の病棟の8Fまで戻ってデイルームで編み物してました。(10月だったので)

毎日デイルームにいるとお友達ができて。

面会時間以外でも病院で出来たお友達と話したりしてたので、寂しさはあんまり感じなかったかな。

※病院でできたお友達、特に仲良かったのは3人。3人は天国に旅立ちました。3人の分まで私が生きます。



ママが1日も欠かさず病院に来てくれて。

しかも面会時間の10時から21時までずっといてくれて。

その間に、いろんな人が会いに来てくれて。

毎日こんな感じでワイワイ。

本当にここは病院?

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人生初の千羽鶴。

インストラクター仲間のみんなが心を込めて作ってくれました。

マジで日本のトップインストラクターで本当に忙しい、この人たちが!

集まって作る時間がなかったみたいで、鶴を郵送でやり取りしてくれたみたいです。

この鶴のおかげで元気になれた部分も大きい!

なので5年たった今でも、この先も絶対に捨てれません。

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私の場合は本当に恵まれた環境、家族、友達、仲間のおかげで入院生活も出来るだけ前向きに楽しく過ごすことができました。

感謝しています。

これからも家族、友達、仲間を大切に楽しく生きていければいいなと。

正直あの時は5年も生きれるなんて思ってなかったんですが、今は死ぬ気がしません(笑)


時系列でのまとめ

2014年
10/27手術


10/28食事なし
歩行練習(30メートルくらい)
病室移動(ナースステーション前の個室から一般病室へ)

10/29 食事始まる(普通の食事)

10/30 硬膜外麻酔切れたので背中の管抜く (激痛始まる)痛みどめの点滴効かない
初排便
痛みの為食事できず、朝食食べれず昼食半分くらい
痛みどめの薬を色々試す(合う薬見つかって少しおさまる)
やっと洗髪
この日までは毎日病院の中を歩く練習
ベットのリクライニング機能は使うが1人でベットから起きれる様になる

10/31 尿の管抜く
病院の外まで散歩(20分くらい)

11/1  朝方 右のドレーンが漏れて点滴 前の日までは起きて歩いてたのにベットで安静の指示

11/3 便秘で悩む(10/30の排便以来1度も出ない)
座薬(出ない) 『力み過ぎないで』と言われる(傷口開く為)
浣腸(やっと出る)傷口開くかもと思いながら かなり力む
整腸剤を1日3回服用始まる

11/4  2本入っていたドレーン抜ける
シャワーの許可
主治医の診察で『術後 特に問題なく順調です』褒められる

11/5 少し出血(下から)手術の糸が溶ける頃なので問題なしとの事
リンパ浮腫の説明受けて毎日のマッサージ始まる

11/6 退院の日決まる
本当はこの日からハワイ旅行の予定(今思えば相当無謀)予約済み
もちろん行ってません(旅行代金も1円も戻って来ませんでした。本当に直前まで行こうとしてたので旅行のキャンセルをギリギリまでしなかった。主治医からは止めないけどリスクは大きいと言われてた)

11/7 排泄後や食事後に激痛が起こる様になる(痛みどめで対応)
下からの出血も相変わらずある

11/8 かなり回復してたので動き過ぎて発熱
退院後の生活について看護師さんから説明される(入浴や自転車NGなど)


11/9 退院
病院の中ではかなり元気だったので余裕で帰れると思ったけど、外に出た瞬間貧血になる
午前中の退院だったので、ママとトモ(妹)とランチ予定が無しに
車に乗ってるのも辛い(家まで1時間ちょっと)
帰ってきても回復せずにずっと寝てる状態
次回外来日 11/27

退院後 自宅

11/12 退院3日目でやっと体調が回復する(この日までは1日の大半を寝て過ごしてました)
病院の中と外ではこんなにも環境が違うと実感
排泄・食事後の激痛は続いてる(痛み止めで対応)

11/13 近所のカフェまで散歩(10分くらいの場所)
この日から目標を1日1回カフェでお茶することに決める(できる日もあれば、外に出られない日もあって一進一退を繰り返しながら徐々に回復して行きました。

11/27 初外来 病理検査の結果が出る日
ママとトモと一緒に主治医のもとへ、検査結果は2週間先延ばし。
理由はチームドクター達で意見が別れてるからとの事(不安でしょうがない。一応ポジティブな私は2週間も先延ばしにできるなら悪くないだろうと気持ちを落ち着けました。)
内診してもらうと、中の治りが遅かったみたいで細胞を病理検査に出す
血液検査
今後の治療日程をざっくり教えられる(12月末に1回目の抗がん剤を入院で、その後は月1回の抗がん剤を外来で全6回の予定)
整腸剤を1日3回から2回に減らす
次回の外来 12/11

12/11  2回目の外来
この日までの2週間は、めっちゃ不安でした。(病理検査の結果が気になって)
治療に向けての準備もしてました(ウィッグを買いに行ったり、何故かウィックは新宿アルタで購入・ギャル用)
この日はトモと2人で主治医の元へ
検査結果は『卵巣がん ステージ3C』予想はしてたけどキツイ
しかし主治医からこんな事を言われた
主治医(以下Y);「抗がん剤をやるかやらないかは自分で決めて」
私(以下A);「 えっ?」
理由は癌の種類が比較的おとなしい癌との事
私の癌は臓器の周りに広く増殖するタイプの癌で臓器の中に浸潤するタイプじゃないので手術で目に見える癌を全て取り切れてるから『抗がん剤をやらなくていい』と言う先生と『それでも臓器の中にあるかもしれないから抗がん剤はやった方がいい』と言う先生で意見が分かれたそうです。
主治医の意見はとういと
どっちを選択しても、メリットとデメリットが同じくらいなので説明するから自分で決めて!でした。
説明を聞いて1週間後に結果を教えてと言われました。
Y;「どっちを選択しても変わらずサポートするよ!」
信頼できる良い先生です(なんでも正直に教えてくれる)
診察室を出た瞬間
A;「 私、抗がん剤やらないよ」
妹(以下T);「 それでいいと思う」
A;「 ネイルしたい」
T;「ネイルして帰ろ」
『やらない』と決めはしたけど迷いがない訳じゃない、決意の証としてネイルをしたかったんです。
入院期間は大好きなネイルができなかったので、病院帰りトモに付き合ってもらってネイルして帰りました。


12/18  3回目の外来
主治医に抗がん剤やらない事を伝える
主治医からは『治療むき』と言われて『?』
精神的に強いからだって!←でも抗がん剤はやりませんよ。
この日から経過観察が始まりました

2015年2月 できないと思っていたレッスンという仕事に復帰しました。

その後今に至ります。


余談

めでたく5年を迎えたので、家族や友達から高額商品のプレゼントいただきました!5年も生きてるといい事あるね。←そこじゃないだろ!



経過観察の周期(実際の周期です)

1年目 2ヶ月に1回 定期検診 (診察 血液検査) 年1回 CT検査
2年目 3ヶ月に1回 定期検診 (診察 血液検査) 年1回 CT検査
3年目 4ヶ月に1回 定期検診 (診察 血液検査) 年1回 CT検査
4年目 6ヶ月に1回 定期検診 (診察 血液検査)
5年目 1年に1回  定期検診 (診察 血液検査) 年1回 CT検査



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