3. 怖かった手術!

ベット待ちする事1ヶ月くらい、やっと病院から連絡が来ました。


入院の日と手術の日が決まりました!
やっと治療に入れると言う安心感と、治療や手術怖いと言った恐怖感とで変な気持ちになり
大好きな仕事も出来なくなるなーと寂しくなり(この時はインストラクターの仕事には戻れないと思っていたので。)
かなり複雑な気持ちでした。


しかーしっ!ポジティブな私は、しっかり気持ちを切り替えて旅行気分で入院準備!
事前に用意していた、可愛いグッズだらけだったのでホントに病院に行く気は全くせず結構ウキウキでした。


でもやっぱり、入院当日の朝はかなり緊張で病院へ向かいました!

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初めての入院に戸惑い4人部屋の隣の人に挨拶をして、説明されるのを待っていたら主治医の先生が会いに来てくれて
主治医(以下Y);「明日やる事ないから、外泊して良いよ」
私(以下A)「?」
Y;「いても良いけど」
A;「 あっ 外泊します」
Y;「日曜日 昼過ぎに戻ってくれれば良いよ」
A;「 はい!」
なんのこっちゃわからず。
入院したのが金曜日!
手術は月曜日の午前!
病院は土日は稼働してないので、入院手続きは平日にしないといけないのね!
気合い入れての入院だったのに、いきなり出端をくじかれました(笑)
何故か自宅に戻るのもなーって事で、家族でビジネスホテルに宿泊!
なんだか久しぶりの家族団欒!
私が20歳の時にパパとママは離婚!
以来パパとママは18年ぶりの再会!
コレも何かの縁ですね。
病気にでもならないと、ゆっくり家族全員で集まる事なんてないと云う悲しい現実ですがコレもいい機会とポジティブに!
この1年後にパパは突然天国に行ってしまったので、ホント最後に神様がくれた贈り物になりました!


そんなこんなで入院早々のホッコリするプレゼントを貰って、日曜日のお昼!
病院へと戻って現実に引き戻されました。
何がって人生初の手術
(普段は、歯医者さんだってビビる私ww)
めちゃくちゃ怖い
人生の一大事にビビる私(笑)

病院に戻ってからは、急に忙しい。

主治医が来たり、麻酔科医が来たり、担当の看護士さんが来たり、癌専門の認定看護師さんが来たり、急に目の前で起きていく事についていけなくて!


主治医からは手術の詳しい説明を改めて家族と一緒に聞きました。

手術範囲や実際に摘出する臓器ことなど、主治医の先生を信頼していたので全てお任せしました。

思ったよりも手術範囲は広くて、予定ではみぞおちから恥骨までを開けると。

えっ?

ヘソ下を10cmくらいじゃないの?

勝手にそう思い込んでたので、ここでプチショック。

おへそを避けるか?1直線に切るか?って聞かれて。

「へそピーの穴は残したいので、おへそを避けるのとへそピーの穴を避けてください」ってお願いしました。

主治医は「あなた変わってるね!生きるか死ぬかの手術だよ」

とりあえずへそピーの穴は切らないと約束してくれました。



「不安はありますか?」って色んな人に聞かれて。

不安だらけだったけど、具体的に何が不安って?

直近の不安は「明日の手術が怖い」ってことだけだった!

その先の不安はもちろん、自分の身体がどうなっていくのかって事!

何もわからない。

癌患者さんのセオリーがわからない。

どれくらいで身体が動かなくなって

どれくらいで喋れなくなるのか

どのペースで自分の人生とのお別れの準備していけばいいのか

手術の前の日ってこんな気持ちなるんだなー!


そして不安な気持ちの間に物理的にやらないといけないことが「浣腸」です。

これに関しては、色んな人に脅されてました。

「手術よりも辛いって」

いい意味で辛い想像が大きかったみたいで、こんなもんかって感じでした。

卵巣癌という事実が大きすぎて、この頃は「治るならなんでもやってやる!」って思ってたからかな。


余談エピソード

卵巣癌と診断されてから、手術までの間は検査はあったけど特に治療はないんです。

気持ちは焦っていたので、何か自分でできる事がないかと色々調べます。

この時期はメンタルの浮き沈みが激しくて、1日の間で「死ぬのかな」と不安になる時と「やれる事は全部やってやる」みたいな前向きな気持ちになる時が次々入れ変わるような日々でした。

比較的ポジティブに過ごせてはいたので、アメリカの方で癌患者にファスティングの治療を取り入れてるところがあるって聞いて。


治療前にファスティングする事に。

本格的に指導をしてもらって挑戦しました。

スケジュールとしては10日間で断食自体は7日間。

脳みそが卵巣癌を治すモードに入っていたんでしょう、全く空腹を感じずに10日間を過ごしました。

※専門家指導のもと高級な酵素を摂取してましたよ。

もちろん10日間も断食してるので、体は見る見る痩せていったので心配される声もありましたし、手術前の自己血を搾取する時は貧血で倒れて点滴されました!

今となってはわかりませんが、ファスティングは私の治療に良かったと思ってます。

結論は、脳みそが治療モードに入っていたからなんでもできた!


本編に戻ります。

手術前日はとにかく忙しくて。

家族や彼氏・友達がみーんな病院に会いに来てくれて。

えっ?

お見舞いって少し落ち着いてから来るんじゃないの?

友達「手術にビビってると持って応援に来たよ!」

みんな〜。

ありがとう。

お守りや励ましのアルバムとかプレゼントして貰いました。

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周りでこんな素敵な準備をしてくれてたと感動。

手術前から号泣。

この時は「この人たちの為に生きなきゃ」って思ったの覚えてます。


プレゼントを枕元に置いて「手術よ早く終われ」という思いで寝ました。

これが手術前日に書いた実際の日記です。

字が汚いのは許してー。

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手術当日は早朝7時から家族が病院に集合。

多分少しでも不安がないようにと来てくれたんだと思います。

卵巣・子宮全摘出手術て、まあまあ大きな手術だもんね。

私も逆の立場だったら7時に行くもんなー。

正直、心強かった。

手術は9時から

朝の手術で良かった!

午後の手術だったら、ソワソワ・ドキドキで耐えきれなかったかも。


朝から看護師さんが来て、手術の為の準備をしてくれました。

準備の時に看護師さんに確認「へそピーの穴ココです」

手術前のカンファレンスでも主治医に伝えていたんですが、へそピーの穴を切らないで欲しいと。

朝、へそピーを外したら穴なんて小さくて見えないんじゃないかと心配だったので看護師さんに伝えたんです。

看護師さんはわかりやすくマジックでマークしてくれました。


いよいよだな!

ドラマでしか見た事なかった手術。

ストレッチャーで運ばれると思ったら、歩いて行くのね!

ストレッチャーで運ばれてドアの前で、家族に見送られると思ってた!

自分の足で手術室に入って行くの怖かった、引き返したかった。

でも治るならと。

家族に不安を悟られないように、笑顔で「いってきます」とやせ我慢してた。


手術室の前室みたいなところで、頭に帽子を被されて腕のバーコードを読まれて、されるがまま。

そして更に奥に進み、ずらっと並んだ手術室のドア。

これからか。

自分の足で手術室に入り、手術台の上に登りました。

1番怖かった、背中の麻酔「硬膜外麻酔」

自分的にはここが難関。

難なくクリア。

後は先生に頑張ってもらうだけ!

「谷さん麻酔入れますよ」が眠る前の最後の言葉。

数を数えるってよく言うけど、数えたのかな?

5時間の手術。

最初の言葉

看護師「谷さん終わりましたよ」

主治医「へそピーの穴ちゃんと残ってるよ」

私「ありがとうございます」

私の感覚は手術時間1分。

手術室で起きたので、その後自分のベットに移されて。

これまたテレビでしか見ない(特にコードブルー)「1・2・3」の合図で!

一気に隣のベットに移った!

初めてされた。

今度はベットで運ばれて家族の元へ。

でた!

この感じ!

なんか面白い。

自分がこれの当事者になるなんて。

その後はナースステーションのご近所の個室へ。

家族はなんだかソワソワ。

きっとなんて声かけていいかわからなかったんだね!

私(以下A);「トモ(妹)早く写真撮って!」

妹(以下T);「えっ、うん。」

A;「1番重症ぽいところをね」

なんでだよ!

何枚か写真を撮ってもらいました。

その時の写真がこちら


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写真を要求した後は、しっかり目をつぶって病人になりきってます!


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写真撮ってもらうくらいの余裕はありました。

なんだかんだポジティブです。


とにかく手術が終わったことにホットはしたんですが、その後の主治医からの手術の説明に現実を突きつけられました。


主治医の説明

・目に見える癌細胞は全て摘出しました(両方の卵巣・子宮・大網・リンパ節)

・開けたらかなり困難な手術だったので、2回の手術は無理と判断してリンパ節も切除しました

・思った以上に広範囲に広がってて時間がかかりました

・小腸に斑点があって、卵巣癌の転移なのか判断できなかったので細胞を病理検査に出してます。転移だったら再手術、最悪人工肛門になることを覚悟してください。

・5年生存率35%


わかってたことだけどキツイ。

小腸のことは聞いてないし。

最悪人工肛門って。

なかなかの人生の試練。

その日は、手が動かせなかったので頭でネガティブなことを考えてばかり。

その後は、手が動かせるようになったタイミングで「人工肛門」を検索しまくり。

最終的には「技術が進歩してるから人工肛門でも周りに気付かれずに生活できるらしい」と自分を励ましました。


例にもれず、夜に発熱。

お仕事終わりで会いに来てくれた彼氏にも速攻で帰ってもらって。

なんだかんだママがいい。(当時38歳いくつになっても子供)


なんとか手術を乗り切りました。



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