秘密の扉を

 小学5年生のとき、ちょうど今ごろの季節だったと思う。クラス替えで親しくなった友人の家で遊んでいると、高校生になる彼女のお姉さんに声を掛けられた。

 あさみちゃんこういうの好きだと思うから。差し出された本の表紙では、男のひとがふたり、絡み合っていた。半裸で。

 なにがどうしてそんなことになったのか。(当時の僕にとっては)あまりに刺激的な表紙のインパクトの前に、細かいコンテクストは既に脳裡から吹き飛ばされてしまっている。一緒に遊ぶはずだった友人がその時どこにいたのかすらよく覚えていない。お姉さんとはその時が初対面ではなかったが、かといって親しく話したことがあるわけでもなかった。彼女がいかなる眼力によって本人も自覚していなかった内なる衝動を見抜いたのか、あるいは僕が一方的にそう思い込まされてしまっただけか。そのあたりの機微も今となっては知る由がない。確かなことはただ一つ。結果として僕はそれが好きになり、今に至っているということ。どうにも作り事めいていると自分でも思うけれど、事実そのようにして僕は目覚めた。

 ずいぶん長いこと僕は、誰もがそのようにしてこちらに足を踏み入れたのだと思っていた。ある日突然現れた「お姉さま」に導かれ、秘密の扉を開いたのだと。そこで新しい自分に出会ったのだと。いつかは自分も導く側となり、これと見込んだ少女に運命の一冊を手渡すのだと。これぞ中二病の極みだが、ボーイズラブなんて気の利いた言い回しもなく、オタクという言葉が今よりはるかにネガティブな響きを持っていた時代、息を潜めるように存在していたその文化がそのような形で受け継がれるのはとても自然なことに思えた。

 当然のことながらそんな乙女ちっくな秘密結社は存在せず、お姉さんとは〝スール〟の契りを結ぶこともないままあっという間に疎遠になってしまった。その後に知遇を得た同好の士はみな自力で鍵を手に入れ、あるいは扉をこじ開けて入ってきた猛者ばかりで、そのことは僕に借り暮らしめいた引け目を感じさせた。壁は分厚く扉は重く、誰かの手を取って再びその扉をくぐることはほとんど不可能に思えた。

 〝ふつうの女の子〟に擬態するのは服を着るのと同程度の必然だった。ルーズソックスを履いて制服のスカートを折って。通りいっぺんの付き合いはするけど、あんまり話すとボロが出るから休み時間はなるべく本を読んだ。鍵を渡すべき友を探す気は端からなかった。今でいうところのぼっちに近い学校生活で正直しんどかったのだけど、後に同窓会で聞いたところでは「ミステリアスな感じがいい」とかで一部の男子にはそこそこ需要があったらしい(ただし過去形)。俺きいてないよ。頼むからそのときに言ってよ。人生唯一のモテ期だったかもしれないのだよ。

 僕が扉の奥に引きこもっている間にも、どこからか人は入ってきて、どうやら着実に増えているようだった。ふと辺りを見回すと、ごった返す人波に紛れて壁も扉も、見えなくなっていた。

 先日、特にオタクでも腐女子でもない友人に水城せとなの『失恋ショコラティエ』を貸した。松潤目当てに月9を見たが、原作にもハマったと彼女は言った。

「面白かった!他のも読みたいんだけど、何が面白い?このネズミがなんとかっていうの(『窮鼠はチーズの夢を見る』)はどう?」

「失恋好きなら面白いと思うけど、わりかしガチのBLだから…苦手じゃなければ貸すよ」

「そっかー、うーん、でも貸してくれるなら読んでみるかなあ」

 その時、僕が彼女に渡したのは秘密の鍵だったのか。たぶん違う。もう扉はないのだ。同人出身の作家さんが大勢活躍していて、商業と並行して二次創作したり、BLの売れっ子がPNそのまま他ジャンルに進出したり(そしてそこでも活躍したり)。鍵はどこにでもいくらでも転がっていて、扉を閉めるのも馬鹿らしい。誰もが気軽に覗いて、手を振って。もちろん敷居はそれなりに高いけれど、越えるのは造作もない。それが良いとか、悪いとかの話ではなくて。ただ単純に、子ども新聞に載ってる『昭和元禄落語心中』から『新宿ラッキーホール』までシームレスに到達できるって、なんかすごいことだと思う。今さらながら。

 あるいは最初から扉なんかなかったのかもしれない。壁は僕自身が築いたもので、お姉さんは幻だったのかもしれない。やたらフラットになってしまった世界を僕はぐるりと見回して、やおら歌いながら走り出すことはもちろんない。

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