私の恋人

 死んだ恋人がくまになって帰ってきた。
 にわかには信じがたい話である。
 しかし、ふわふわとした若干O脚気味の歩き方も、猫のように丸まる癖も、作ってくれた味噌汁に入っていたミニトマトも、へたくそなウインクも、すべてが私のよく知る彼女のそれだった。私と恋人の、ふたりだけが共有していたはずの決まり事や秘密、合言葉の数々も彼女は知っていた(少なくとも「ヨークシャテリア」という単語ひとつで腹を抱えて転げるくまを、私はほかに見たことがない)。
「もしも私があなたより先に死んだら、必ず生まれ変わって会いに行く」という在りし日の言葉を、彼女は鮮やかに果たしてみせたのだ。

 私たちは、以前と変わらぬ生活をこの家で送る。彼女はくまなので、人間の言葉を話すことは出来ない。けれど言葉そのものは理解できるので、彼女は私の話を聞きながら目を瞬かせたり、耳をぴいんとそばだてたり、人間の様に頷いたり首を横に振ったりする。生前の名で彼女を呼ぶと、ぐう、と決まって喉の奥を鳴らす。 
 彼女は家にやってきてすぐ、かつて身に纏っていた香水を化粧机の奥から引っ張り出し、クローゼットの奥で眠っていた衣服を仕立て直しはじめた。彼女のお気に入りは緑色のワンピースだ。生前の恋人が最も好んだそのワンピースは、私が彼女に贈った初めてのプレゼントだった。
 そうして一日の終わり。大きめのベッドで眠りに落ちる寸前、金木犀の香りを漂わせる彼女に私は身体を寄せる。彼女はくまで、私よりも随分と大きい。だから私の頭は彼女の胸のあたりにすっぽりとおさまることになる。私は恋人の心臓の音を聞きながら目を閉じる。
 私は知っている。隠しきれない獣の匂いと荒い息を携えた彼女が、湿った鼻を眠る私の身体にぎゅう、と押しつける夜があることを。月夜に照らされた爪と牙がシーツに落とす黒い影を。身を強ばらせてしまう私を残し、四つの足でそっと寝室を出て行く彼女の後ろ姿を、私は知っている。

 それでも私は明日も、彼女の隣で眠りたい。
                                     〈了〉 

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