選ぶということ

キリちゃんの恋人の意識が戻らない。冬に流行ったひどいインフルエンザに罹ったのだ。その人は治療のためコールドスリープに入ったけれど、それでも目覚める可能性は低いと医者は淡々とそう告げた。
半年後、あのひとが起きた時ひとりぼっちだと可哀想だからと軽やかに笑ってキリちゃんは自らもコールドスリープに入ることを選ぶ。
そんな彼女が最後まで気にしていたのは自分が目覚めた時にもミスタードーナツはこの世にあるだろうかという事だった。もっと他に大切な事があるだろうに。だけと、それだけ当時のキリちゃんはミスタードーナツ──とりわけオールドファッションに熱をあげていたのだ。シンプル過ぎない? とフレンチクルーラーを齧る私に向けて彼女はそこが良いんじゃないとよく熱弁を振るったものだ。
キリちゃんと彼女の恋人が目覚め、ふたりが感動の再会を果たしたのはそれから四十年後のことだった。久しぶりと私に笑いかけるキリちゃんは記憶の中の姿と全く変わらない。ところで四十年経ってもミスタードーナツはこの世に存在している。連れ立って店舗に赴いた私達はショーケースの中から迷いなくドーナツを選び取った。はち切れんばかりの幸福とともにキリちゃんはオールドファッションを頬張る。私は向かい側でフレンチクルーラーを齧る。それを見た彼女は変わらないねと嬉しそうに笑った。私はそうだね、と呟いた。そうだね。
実のところ私はここ数十年フレンチクルーラーなんて食べていなかった。六十過ぎの身体にこの生地はいささか脂っぽいし何よりクリームで胃がもたれる。今の私が好んで食べるのはもっぱらオールドファッションでちなみに私はその飾り気のなさを結構気に入っている。
だけど私は何も言わない。絶対に言ってあげない。
そうやって沈黙を守る口の端から甘ったるいクリームが溢れ、真っ白な皿を白く汚した。

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