目玉焼きに粉チーズかける君はチェーホフなんて読まなかった
キリちゃんが七人に分裂してしまった。混乱を避けるため、彼女たちは週に一日にずつ交代で外出することにしたらしい。
当初七人が演じるひとりの「キリちゃん」は端から見れば完璧に、つまり分裂前と何一つ変わらないように見えた。けれど不思議なもので彼女たちの間には時間が経過するにつれて徐々に個体差が生じるようになった。例えば月曜日の彼女は目玉焼きに醤油をかけるけど火曜日の彼女は決まってケチャップをかける。金曜日には読書中に必ずジャズを流すけど土曜日は絶対に静かな場所を選ぶ。それはどれも些細な差異だった。だけど以前の彼女と七人の彼女たちの隔たりを見つけるたびに私は暴れ出してしまいそうになる。
そしてある日、私はとうとうやってしまった。衝動的に投げた花瓶が水曜日のキリちゃんの頭とぶつかり砕け散った。唇にこびり付いた柔らかい感触を反芻しながら私は呆然とする。
だって、有り得ない──有っちゃいけない! 私の知る「キリちゃん」は私にこんな事をしたりしない。私はそれを知っている。そう、誰よりもよく知っているはずなのに。それなのに。
集中治療室に運び込まれた彼女を震えながら待つ私に「あと六人もいるんだからいいじゃない」と口を揃えた六つの顔を前にして私はひとつの可能性に恐怖する。
七人の内、ひとりでも欠けてしまったら元のキリちゃんは永遠に戻ってこないんじゃないか?
赤いランプが消えた。医者の制止も聞かず駆け込んだ病室で私が見たもの。それは水曜日の彼女ではなく「七人」のキリちゃんだった。私の背後からやってきた六人分の足音が病室に響き渡る。地面にへたり込む私に二十六の瞳が突き刺さり、十三の顔がなめらかに微笑した。
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