「記念日に花束って憧れるな」
脳天にホームランボールがヒットしてからというもの記憶力の低下が著しい。他人の顔と名前はちっとも一致しないし朝食べたものを昼に忘れているなんてことはざらだ。最近など自分の家の場所を思い出せなかったのだからやりきれない。
そんな私は当然のようにキリちゃんと恋人になった記念日も忘れてしまう。落ち込む私にキリちゃんは君が忘れても私が覚えてるから大丈夫だよとケーキの箱を取り出す。え、今日? と私が驚くと今日は私がチーズケーキを食べたいだけだよと朗らかに笑うから力が抜けてしまった。その後もキリちゃんはこういう類いのフェイントをたびたびかましてくる。突然サボテンの鉢植えやぬいぐるみを持ってきたかと思えば、身構える私に向かって今日はサボテンが可愛いからサボテン記念日! だとか今日はぬいぐるみデーってことにしようだとかとうそぶくのだ。こういうことが続いた結果、私の部屋には徐々にキリちゃんの気配が増していくしついでにふたりだけの記念日も増えていく。これはこれで楽しいな、と思いながら私はモアイ像の形をしたぬいぐるみを抱きしめる。
そんなある日、私は玄関チャイムの音で目を覚ました。あくびをしながら玄関に向かう途中で私はサボテンが開花していることに気付く。案外かわいくて嬉しい。そういえばこれってどこで買ったんだっけ? と首を傾げながら私はドアを開ける。
そこに立っていたのはひとりの女だった。花束を抱えて実に幸福そうに微笑む彼女の名前を私は知らない。
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