白い棺

その巨大な箱の中に躊躇いなく身体を滑り込ませる時、キリちゃんはたしかに「おやすみ」と言っていた。おやすみ? 我が家に持ち込まれた真っ白な物体をよくよく見てみると、それは巷で流行りの家庭用夏眠カプセルだということがわかった。一度入ってしまえば夏が終わるまでその扉が開くことはないそのカプセルは決して安価ではないのだけれど、近年の夏の暑さに耐えかねた人間はこぞってこの画期的な商品に飛びついた。そういえばキリちゃんは暑さに弱かった……ちぇっ。
私は昨日コンビニで買った花火セットをクローゼットの奥にしまい込む。まあいい。きっと冬にする花火も楽しいだろうから。
夏眠カプセルの製作会社が倒産したのは八月も半ばに差し掛かろうかという頃だった。ワイドショーのキャスターの声が切れ切れに聞こえてくる。「夜逃げ」「多額の負債」「重大な欠陥」「死者多数」「原因究明」「リコール」「訴訟」。
ニュースの話題が動物園で最近生まれたパンダへ移った後も、私は部屋の片隅の巨大なカプセルから目を離すことができない。
あれからどれくらい経ったのだろう。キリちゃんはまだ目覚めない。蝉の声が聞こえなくなった。キリちゃんはまだ目覚めない。そろそろカーディガンを出さなければならない。キリちゃんはまだ目覚めない。クローゼットの花火は湿気ていないだろうか。キリちゃんはまだ目覚めない。彼女の「おはよう」は、まだ。

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