断罪の刃

あいつが悪い!
自分は被害者だ!!

そう言い切ることは実に容易いが、はたしてそれはどうだろうか?
桃太郎に退治された鬼にも家族がいただろうし、なんらかの事情はあったはずだ。
その声に背景に気も留めず、一方的に自分の立場から罵るとしたら、それは幼児とあまり変わりないではないか、大人の知性とは言い難い。

僕らが向き合わなければならないのは、なぜ自分自身がいい歳になってなおテレビやネットのニュースや人の噂話に腹を立て、心中穏やかでいられないのかという、自身が育ててきた不快感の根源を知る為の努力だ。

その根っこは巨悪のはびこる政府や、一部の特権階級、既得権益の側にのみ存在するわけではない。

むしろ、それらの多くは、今を生きる普通の人々の営みの中にこそ無意識に存在している。

つまり我々が【当たり前】だと言って、受けいれている‥いや、多く場合そういうことにして目を逸らしてきた、まったく当たり前でもなんでもない歪な社会システムという身近なのに大きすぎて認知できていない様々な「歪んだ構造」とどう向きあうかということを考えなければいけない。

誰かを断罪する刃は常に自分自身にも向けられている。

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