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「人生は選択の連続だ」というけれど


祖母は強い女性だ。
なぜそう思うかって?

何歳になっても自分の意思がはっきりしているからだ。

「人生は選択の連続だ」というけれど
その全てに自分の本当の意思を込められる人はどれくらいいるのだろう。

自分で決断することは勇気がいることを私は知っている。
時に誰かに流されたら都合良く後から責任逃れできることを知っている。

祖母は生前「病院は嫌や!」とはっきりと口にしていたらしい。
葬儀に集まった親戚の人たちは口を揃えて
「もう少し早くに病院でリハビリをしていたら…」と言っていたけれど
祖母は祖父と暮らした愛すべきあの団地を一人で弱りながらも守り抜いた。
愛し抜いたのだ。

「せやなあ。そろそろ病院に行こうかなあ」
と曖昧な返事をしていたのならば、まだ交渉の余地があったのかもしれないが
祖母の意思はいつだって即答の「NO」

祖母は86歳360日の人生を
自分の意思でやってのけたのだ。
「良いものは良い」「嫌なものは嫌」
日本人はYESとNOをはっきりと決めきることを苦手とする傾向にある。
だが、生粋の日本人の祖母の信念はいつだって真っ直ぐだった。

祖母がいなくなった2021年11月10日
私に最後に残してくれたものは

「無償の愛」

祖母の家の遺品を整理していると
私の写真がたくさん出てきた。
幼い私が習いたてのひらがなで書いためちゃめちゃな手紙だって
たくさん出てきた。
大事にしてくれていたのだと理解するのに時間は掛からなかった。


東京から遠く離れた大阪で
祖母はいつだって私を思ってくれていた。
いつだって成長を喜んでくれていた。

近年家族の形は多様化しているが、
私が当たり前に暮らしてきた家族の形は幸せそのものじゃないか。

「ありがとう」とは「滅多にないこと」という意味の形容詞「有り難し」がウ音便化したもの

「無償の愛」は「当たり前のもの」ではない。
広い広い世界でみれば「滅多にないこと」なのかもしれない。
ただ私の25年の人生は愛に溢れている。
「愛されている」自覚がある。
私は「愛」を知っている。
これほどありがたいことはないのではなかろうか。

祖母から私に命が繋がったこと
ありがとう
感謝の気持ちを込めて
祖母の旅立ちを笑顔で見送りたい。
祖母が大切に保管していた幼少期の私のように。

けど不思議だ。涙が止まらない。
もし私が今、教師から女優という職業に転職するというのなら、「泣き」の演技はお手の物だろう。

祖母のような強い女性になるために
この別れも私の人生の財産になるだろう。
この寂しさも私に永遠なんてものはないことを教えてくれたのだ。
今目の前にあるものを大切に1日1日を過ごすことを教えてくれたのだ。

そう、世の中はいつだって変わっていく。
昨日存在した当たり前は、明日には通用しないことだってある。
新型コロナウイルスが世界中にパンデミックを起こしたように––––。

人生って すばらしい ほら いつもと
同じ道だって なんか見つけよう!
Ah すばらしい Ah 誰かと
めぐり合う道となれ!
I WISH / モーニング娘。(2000)

出会いがあれば別れがある。
だけど、別れがあったとしてもまた新しい出会いがある!

前を向いて
自分が笑える毎日を
歩もう。

ついでに周りの人も笑顔にしよう。
私のおばあちゃんのように。

おばあちゃん
お誕生日おめでとう。
2021.11.14

私はあなたの人生を次に繋げます。
私はあなたの愛を必ず他者に繋げます。
ひとりよがりにならない、思いやりのある愛を意識して。

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