英雄のいない昔話

眠れぬ森の美女

場末の工業大学の理学部化学科のオタサーで、大切に育てられた姫さまがいた。長い間不眠症に苦しんでおり、その症状は日常生活に支障をきたすほどひどいものだった。彼女は医者へ向かい診断を乞うた。簡単な問診の後、医者は「ストレス誘発性の不眠症ですね」と告げた。実際姫さまは、連日連夜の課題レポートで、限界まで追い詰められていた。理学部化学科とは、かくも厳しい世界であった。
事態を重くみたオタサーのサークル長は、姫さまを郊外の森へ連れて行った。そこは「眠れぬ人」の聖地として有名な場所だった。不眠に苦しむ現代人も、森の中のコテージに滞在すれば、たちまち良質な睡眠に支配される。そのような口コミが話題に話題を呼び、今では地域の観光名所として定着した。姫さまはコテージに着くなり瞼を閉じ、丸一日眠りについた。
再び目覚めた姫さまは、森の大気と各種樹木のサンプルを採取し、キットを取り寄せてパソコンで分析を始めた。ほどなくして結果が算出された。森に生えている水楢の木が発するフィトンチッドは、人間の睡眠を助ける特殊な物質を含有していたのだ。姫さまは知り合いの弁理士にメールを送り、特許申請を取り付けた。それから、起業の準備を始め、融資の相談に入った。ちょうど一年と三か月後、不眠症に対する森の大気の薬効が確認された。それは各地で飛ぶように売れ、姫さまは所得番付で日本人一位になった。サークル長はとても喜んだが、当の本人は不服そうだった。なぜなら姫さまは、起業と特許取得とその他もろもろの雑事で、全く眠れていなかったからである。

ネオ・桃太郎

二一XX年、銀河をまたぐ札付きのワルとして名前を轟かした桃太郎(本名:桃山リン)は新型電子麻薬三百五十二種類の密輸を咎められ、四次元島流しの処分を受けた。不便な環境下で奉仕活動を行わせることで、罪人を更生させようというのがこの罰の目的であり、かつては違法竹林のブローカーであるかぐや姫(本名:アンナ・カグヤ二世)も同様の処置を受けたことで知られている。桃太郎の島流し先は千年前の四国地方だった。退行装置で赤子の状態に戻された後、彼の意識は監視ロボットと共に時空をさかのぼった。桃型のテレポーテーション装置は運悪く水の中に転送され、優しいおじいさんとおばあさんがそれを拾い上げた。
桃太郎はしかし、狡猾だった。密かに持ち込んだ特殊成長ホルモンの効能で、すくすくと成長した。種から栽培した麻薬を動物に飲ませ、自らの管理下に置くと、村で暴虐の限りを尽くした。桃太郎と動物たちの狼藉に呆れ果てたおじいさんとおばあさんは、「鬼が出る」というデマを流して桃太郎を追い出した。行くあてもなくさまよう一行を監視ロボットが追いかけるが、凶暴化した犬はロボットを破壊した。桃太郎はロボットの残骸を未来人発見センサーに改造し、そのシグナルを辿って歩いた。やがて一行は孤島に到着した。島の入り口には赤い肌の大男がおり、彼は叫んだ、「あんたも未来から来たのかい?」皆、罪を犯して過去に流された同胞であった。彼らは怪物や妖怪に扮して、過去の人々の攻撃から逃れようとしていたのだ。出迎える一同を、桃太郎は刀でかっさばいた。ひとり残らず未来人を処分した後、彼らの首と財産を荷車に積んで里に帰還した。桃太郎はかの地の英雄として末永く語り継がれたという。

ネオ・花咲かじいさん

旧型の自律思考ソフト「シロ」のプログラムを銀河の塵から拾い上げたおじいさんは、彼をたいそう可愛がり、バグや故障などを丁寧に取り除いた。シロは Wang! Wang!と喜びのノイズを奏で、助けてもらったお礼として、おじいさんにあらゆる種類の仮想通貨をプレゼントした。それを見た銀河経済団体連合会の専制支配者・いじわるじいさんは、シロを内部から解体する電子ウイルスを放流した。ほどなくして、シロは修復不能な傷を負い、バックアップの甲斐も虚しく、プログラムは停止した。シロの死を悲しんだおじいさんは、仮想通貨をはたいてシロの葬式を行った。すると、わずかに残されたシロのデータは配列を変え、投資を予測するアルゴリズムへと変化した。おじいさんはまた巨万の富を得ることができた。
いじわるじいさんは銀河の中での投資を禁止し、取引の妨害電波をそこら中に発した。通信の断たれた宇宙貿易船は大混乱に陥った。おじいさんはいじわるじいさんの仕打ちに激しく怒り、シロの敵を討つため、妨害電波の妨害電波を発した。いじわるじいさんも応戦し、妨害電波の妨害電波の妨害電波を発した。二人の争いは何度も何度も繰り返され、銀河は強大な電波まみれになった。そこにはもはや、秩序など存在しなかった。空間を漂う宇宙ごみが時折電波に刺激されて発光し、まるで桜の花びらのようだった。民衆はおじいさんを、花咲かじいさんと呼ぶようになった。やがていじわるじいさんは戦いを放棄し、リゾート・プラネットに逃げ出した。おじいさんはその後、荒廃した銀河の再建に奔走した。支配体系は超越資本帝国主義から先進的超直接民主制へと変化し、おじいさんが死んだ後も平和な治世が続いたという。

ネオ・浦島太郎

環境保護活動家の浦島くんは連日連夜海辺のゴミ拾いをしていた。ある日、海辺で亀がいじめられているところに遭遇した彼は、機関銃でいじめっ子たちを掃討した。血まみれの彼らを海のほとりに埋めてから、浦島くんは亀に向かって「大丈夫だったかい?」と話しかけた。亀は「心意気に感心した。君を僕らの仲間に加えてあげよう」と言った。実は亀は地球の生物ではなく、亀の形を模した無人偵察機だったのである。
かくして浦島くんは、宇宙を旅する侵略型異星人の仲間になった。宇宙船リュウグウ号の中での生活は刺激的であった。連日連夜の飲み会に、一生かけても見きれない娯楽の数々。しかし、浦島くんは地上の様子が気になって仕方がなかった。とうとう浦島くんはリュウグウ号の乙姫隊長に「地球に戻りたい」と懇願した。しかし彼女は「同志よ、もう遅い」と呟いた。「時の流れは宇宙空間と地上で全然違う。相対性理論を習わなかったのか?」浦島くんはそれを聞いて、こっぴどく闇堕ちした。まず乙姫隊長に毒を盛り、手下の職員や偵察機を宇宙空間に放り出すと、生体探知レーダーをフル活用して、地球侵略を狙う辺縁の知的生命体群を、ひとつずつ絶滅させていった。足掛け二百三十年の清掃計画は成功し、辺りは異星人の残骸だらけになった。浦島くんはその塵を律儀に拾い集め、地球に持って帰った。白髪の浦島くんは英雄として迎えられた。浦島くんは青春期を戦いと共に過ごしたからか、名誉や金にあきれるほど無頓着であった。財産のほとんどを環境保護に注ぎ、宇宙の塵で建立した「リュウグウ・キャッスル」で余生を過ごしたという。

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