ほんとうのぼくの物語(前編)

ある日を境に、階段の夢を見るようになった。夢の中で僕は決まって泣いていた。なぜこれほど悲しいのか、どうしたらこの悲しみは消え失せてくれるのか、そういったことを考える暇も、余裕もなく、ただ目元からこぼれ落ちる液体を袖で拭っていた。涙に含まれる塩分のせいで皮膚が赤く染まり、その部分に痒みを覚えた頃合いで、僕はいつも目を覚ました。このような夢を見るようになったのは転校してからであった。別れの会を済ませ、級友から手渡された花束を、僕は車の中でも手放すことができず、薄桃色の紙とビニールと茎の感触を手に刻み込んでいた。いずれ消え去る思い出を手のひらに握りしめ、引っ越しという変え難い未来に抵抗しようとしていたのだろう。そんな僕を見て母さんは言った、強くなりなさい、こんなことで泣いていてはいけません、と。母さんに多分悪気はなくて、だからこそ僕はより深く落ち込んだ。
引っ越した先はクリーム色の大きな一軒家で、家族二人が暮らすには少々大きすぎた。僕は新しい自分の部屋に荷物を運んだ。窓が大きく、外から差し込んでくる陽の光が、目に染み入るように思った。部屋の壁紙は灰色で、大きな窓から差し込む光により、その一様な色には濃淡が描画された。僕はその壁と対峙する度に恐怖を覚えた、押し潰されてしまうような恐怖を。だから、想像の力をもって立ち向かった。グラデーションの複雑さに飲み込まれる前に、うつくしい風景を灰色の壁に探し求めた。僕はいつしか、壁に落書きをするようになった。試験用の鉛筆を、そっと壁の表面に走らせると、凹凸の感触が心地よかった。もちろんその些細な悪ふざけはすぐに白日の下に晒され、母さんは僕を怒鳴った。何度も、執拗に。
僕は家の階段に腰掛けた。えんえんと続く段差から目を背け、目尻の濡れるに任せてみる。その階段は、夢の中の無機質な階段と全然違ったけれど、寒々しいのに変わりはない。僕はその日以来、階段に苦手意識をもってしまった。やむなくそこを通らなければならない時は、息を潜め、目を閉じて、素早く段差を駆け下りた。ところが、階段に対する感情の濃度が増せば増すほど、夢に出てくる階段は鮮明になる。僕はこれを罰と捉えた。悪いことをしたから、悪夢が僕を苦しめる。善行を積まなければならない、と思った。それからというもの、僕は静かに歩くようになった。階段を使う時は特に。馬鹿なことを、と思う人がいるかもしれない。ならば逆に問おう、おどりばを踏む靴裏の残酷さに、あなたは一生気づかないのか。僕でさえ気づかなかった、友だちのマンションの階段で、潰れたてんとう虫が息絶えるまで。暴力の大部分は、無自覚に引き起こされる。
 転校先の学校に慣れてきた頃、友人のブログを目にする機会があった。そこには僕の知らない風景が広がっていた。僕が開けた穴は、新しい担任と別の転校生で埋まり、完璧な一枚絵のような集合写真は、無理に彩度を上げたのか画面の中でちかちかと輝く。担任は数学の教え方が下手らしかった。かつて友だちだった人々の放つ愚痴、それは耳の後ろ側を爽やかに通り過ぎ、僕はようやく向こうの僕が死んだと気づく。きのうまで確かだと信じてやまなかった現実、明日からも続く群青色の日々。
現実の泉に浸りきっていた僕が、過去に安寧を求めるようになったのは、初恋の人がきっかけだった。初恋の人というものは、一人につきたった一人しか存在し得ず、生涯に渡って脳の一部を占拠する。彼女の名前は新井ライフ。ライフという名前がよく似合う、利発で鋭い女の子だった。明くる日、ふと彼女の微笑みの角度を思い出してからというもの、僕はライフに二度目の恋慕を寄せた。今の顔も、どうしているかも知らないかつての同級生に。検索エンジンに名前を打ち込んで探してみたけれど、ライフの生存は確認できなかった。くるおしいほど追い求めたあの子の影、それはどうしようもなく曖昧で、曖昧だからこそ離し難い。僕は夕暮れまで彼女を探した、彼女の痕跡を探し求めた、しかしとうとう諦めた。けっきょく全ては不確かで、底の見えない穴に落ち、闇が溢れて夜が来る。夜が怖いから、人間は明かりを灯すのだと思う。少なくとも僕と、僕の家族はそうだった。
ライフは世界から雲隠れした。ライフの他にも多くの人が、雲の切れ目に消えていくのだと思う。実際僕自身さえ、自分のことを存在するとは言い切れない。世界に対する、漠然とした不信感。僕は家の前に引かれた道を写真に収め、それを破り捨てた。こんなにも、こんなにも、僕の世界は脆かった。印刷したての写真のインクが指に移り、それはまるで死人の皮膚のようで、気分が悪くなった。家に入ると、母親は取り乱して言った――戦争が起こった、父さんの母国で。それはこの国においてさほど注目を集めなかった。戦争という言葉ではなく、別の表現をもって報じられ、わずかな映像が放映されるのみであった。母さんは戦争の話題を食事の度に口にした。僕はどう反応すればよいのか分からなかった、なぜなら僕の周りには、暴力らしい暴力が存在しなかったからだ。遠い世界の出来事だと思っていた、血を流している人々の姿も、淡々と進んでいく戦車のことも。
僕は暴力を空に求めた。帽子も日傘も持たずに、炎天下の昼下がり、歩道を散歩し続けた。さんさんと照る太陽光線が網膜を焼く。けれども、訪れた皮膚の痛みは緩慢で期待外れで、太陽も案外こんなものかと残念に思った。海の向こうの戦争では、初めて光学兵器が用いられたのだという。それは民衆の身体に降り注ぎ、決して止むことのない明るい暴力。僕は夜空を仰ぎ見る。冷や風の吹くしずかな夜にも、毒の光は絶え間なく降り注ぐ。僕の知らない遠い土地で。
僕はそういったことに向き合うにはあまりに幼かった。父親と連絡を取る努力も、母さんを元気づけるため、何か気の利いたことを言う努力も怠った。僕は自分の人生にかかりきりで、他の出来事に同じだけの熱量を注げるほど器用ではなかった。気付かぬうちに報道の声も遠ざかり、新しい制服に袖を通す前に、戦争は終局を迎えた。
すいへいせんの向こう側で、命と命が伸び縮み、罪と縁のない普通の人々が犠牲になっていること。普通の人生が、奪われるということ。僕はそれらの現実から目を背けた。そして、罪悪感をごまかすように、時折父親の国の悲劇を思い出し、安っぽい感傷にふけった。知らなかったと言えば、全ては許され放免される。駅前でたまたま見かけたいじめっ子の父親も、無知を言い訳に処分を逃れた。彼は本当にそのことを知らなかったのかもしれないけれど、子供が犯した犯罪が消えるなんて、おかしな話だと思った。その父親は確か父母会の会長で、半年前に市長になった。僕は一度だけ彼の姿を見たことがある。ビール瓶を入れる容器の上に立って、たすきをかけ、ニコニコと笑いながら演説をしていた。正義、平等、公平、自由、耳に馴染む言葉はひっきりなしに雑踏に放たれた。せいぎという嘘くさい言葉が、新たな風をまとって走る。そういう時代に、僕たちは浸かっている。耳の後ろまで、どっぷりと。
実のところ、僕も、僕の周りの友だちも、傍観者であるという罪を負っていた。勇気を振り絞って学校の先生に相談したところで、言いくるめられるに違いない、そう察すること自体醜い進化であり、気色の悪い洗礼だった。そうして僕らは汚い大人になっていく。
なりたくもなかった大人への道はがっちりと舗装されている。僕を始めとした普通の子供たちは、そこを進むしかなかった。もし一度でも歯向かえば、確保されていた安寧は消え、寒々しい野原に放り出されてしまうから。

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