未来人からの手紙


ハロー、ワールド、平和な世界の皆さん、こんにちは、あるいはこんばんは。このポストに入れた手紙は、時空を超えて見知らぬ他人に届くそうです。三次元タイム・トラベルの不可能証明は五十年前に認められたはずなのに、このような都市伝説にも近いポストが民衆に受けるのは、人類が皆未来への夢を捨てきれないからでしょう。正直半信半疑ですが、早速使わせていただきます。ちなみに、今しがた受け取ったメッセージは、一九八四年のウィンストン・スミス氏からのお知らせです。真実かどうかはともかく、一度も会ったことのない誰かと文面でやりとりできるの、悪くないですね。……さて、こちらはもう散々です。今年の初めから数えて二十三回目の戦争により、地上は荒れ、飛行機も飛ばなくなりました。人類は地底にトンネルを掘って暮らしています。大洋の水分硬化実験が成功したはいいものの、国境の意味合いそのものが希薄になり、領土争いの激化が引き起こされたのです。かくなる上は、意識テレポートを試みるしかありません。この手紙を受け取るあなたは、果たして意識テレポートを試みたことがあるでしょうか? 二一九五年に発表されたクライスラーの論文によれば、先述の通り、肉体は時空を乗り越えることができませんが、例えば条件式のような、データ量の極めて少ない情報でしたら、移動させるのは比較的容易なのです。私は今から、私と定義される条件式を時空の裂け目から転送します。上手くいくかは分かりませんが、適当な機械人体を乗っ取って、新たな生活を手に入れようと思います。このどん底の時代から抜け出すために。もし万事が上手くいき、次の時代にもこのポストが存在するならば、私はまた手紙を書くことにいたしましょう。それではさようなら、過去も未来も、どうか平和でありますように。


ハロー、ワールド、平和な世界の皆さん、こんにちは、あるいはこんばんは。意識テレポートは無事成功し、私は五百年後のネオ・セタガヤで暮らしています。ネオ・セタガヤのすごさを言語化したいけれど、私が今もっているコミュニケーション・ソフトではとても表現できません。ともかく、人類の叡智は近過去を起点に驚くほど肥大化しています。さまざまなブレーク・スルーが、各種の分野で引き起こされているのです。記憶を食べる寄生虫、時間粒子を使用した発電、その他面白い研究が随時進行中です。お暇があれば研究報告のアーカイブをご覧ください。進化しているのは無論、科学分野だけではありません。文化も大きく変質しております。アドルノだったかアインシュタインだったか、有名な知識人の遺した「詩を書くことは野蛮である」という警句が世界の荒波を渡り歩いた結果、テキストベースの創作は激減しているのです。この状況には少なからず、言語共生仮説が影響していると思われます。言語は生物であり、私たちはその乗り物に過ぎない……実際のところは分かりません。その代わり、非言語的創作物の価値はうなぎのぼりという状況です。惑星を丸ごと買い取ったコレクターが、銀河一大きな美術館を作ろうとしているとか。完成までに八百年近くかかるそうですが、可能であれば私もぜひ伺ってみたく思います。科学は魔法に近い領域に突入しており、その最先端を知ることができるのは世界でも数人程度。テクノロジーは全てを解決し、私たちホモ・サピエンスは栄華を極めることになるでしょう。こうなってみると、さらに先の未来を見てみたくもなるものです。私はもう一度、意識テレポートを実行してみようと思います。それではさようなら、過去も未来も、どうか平和でありますように。


ハロー、ワールド、平和な世界の皆さん、こんにちは、あるいはこんばんは。今度のテレポート先は世田谷市です。とはいっても過去にテレポートしたわけではありません、自分の主義信条として、常に未来へ進みたいという思いがあります。さて、ではなぜ古風な漢字表記が増えてきたのか。理由は簡単です……過剰知性に対する反発運動が起こったのです。太古の人工知能打ちこわし運動に始まったこのような堕落が、今の世においても支持を得ていること自体、私にとっては大変不愉快なことであります。コミュニケーション・ソフトによると、私が忌み嫌うこの思想は「懐古主義」に近いニュアンスをもつそうです。古代日本語にはいろいろな語句が存在するのですね、勉強になりました。ともかく、研究の進行は停滞しております。研究費にはシーリングが設けられ、科学者を志す若者は減り、僅かなパイを壮齢の教授たちが奪い合う有様です。何ということでしょう。大いなる期待を抱いて未来へ飛び込んだ分、失望は大きいです。このような馬鹿げた議論が活発化するのは、今の時代が平和だからに他なりません。平和は物事に対する感性を鈍麻な方向に促します。しかしながら、平和以上に大事なものはないということも、私はよく承知しています。あなたはどちらが望ましいと考えますか?
そういえば、あと何回意識テレポートを行えるのか、心配で仕方がありません。取り締まりがかつてないほど強化されています。私のような旅人が増えたせいか、あるいは時間粒子の濫用による汚染のせいか、真実は分かりませんが、時空の歪みはひどくなる一方です。ここ世田谷市の端々にも違法な裂け目が散見されます。次の意識テレポートを最後に、私は足を洗うつもりです。それではさようなら、過去も未来も、どうか平和でありますように。


ハロー、ワールド、平和な世界の皆さん、こんにちは、あるいはこんばんは。こちらはもう、大変です。政権が取り入れた超直接民主制のせいで、大変なことになっています。これはつまり、賛成が過半数を超えた意見については、速やかに政治に反映されるというもので、聞こえはよいのですが、大変です。小学校はなくなりました。休日出勤も残業もなくなりました。さらに言えば、上司と部下の区別もなくなりました。大変なことになっています。事態は悪化するばかりです。加えて、人民の知能レベルが急速に低下しているようです。この原因は、記憶虫といわれています。記憶中が嫌な記憶といっしょに必要不可欠なシナプスまでたくさん食べてしまうらしいのです。しかし、その危険性がみんしゅうに知られても尚、記憶虫の流通は止まりません。皆、忘れたい記憶ばかり思い出してしまうのでしょう。かくいう私も一時間前に記憶虫のおせわになって来ました。意識テレポートを繰り返してきたのは間違いだったのではないか、という思いが、最近頭から鼻れません。僕はこの時代において、次々と捨てられていくテクノロジーを、将来の人々のために守るべきなのでしょうが、一体どうしてただの一般人が、大衆の意向に歯向かえるというのでしょう。懸ねん点は他にもあります。コミュニケーション・ソフトの調子がよくないように思います(じつの所、この文章もきちんと欠けているか自信がありません。私はほとんど古代日本語を知らないのです)。ソフトの修理方法もすでに失われてしまいました。私の思うことをきちんと伝えられるか心配です。あと一回。テレポートできるのは、恐らく、あと一介です。問題は過去に戻るか、未来に飛ぶか。私の答えは決まっています。それではさようなら、過去も未来も、どうか平わでありますように。


 はろー、わーるど、へいわなせかいのみなさん、こんにちは、あるいは、なんだったっけ、あの、とりあえず、げんきですか、こちらは、もう、さんざんです、ひどいです、なんてことだ、ほんとうに、とりあえず、かこにもどろうとして、なんども、なんども、もどろうとして、なぜなら、このさきには、なにもなく、みらいは、さいあくです、ほんとうに、なんてことだ、さいあくです、そふとが、とまったので、じぶんのことばで、かいている、が、こだいにほんごは、むずかしく、むずかしく、とにかうもう、さいあくだ、みなでじぶんのくびをしめてじんみんはかんがえることができなくなりみなゆるやかなおわりにむかっています、どうしよう、ほんとうに、なんといっても、おどろきなのは、みんな、いしそつうができない、こだいにほんごをかけるひとはすくないし、しゃべれるひとももっとすくないから、もしかするとこれ、がさいごのきろくになるかもしれない、けれど、わたしもなにもはあくできていないし、ただみんなぞくぞくとたおれているし、たおれていないひともいるし、どうぐはつかえないし、なおしかたもわかりません、ただ、そこにはくらさがあります、ひかりがあります、そのふたつがまざりあってどうにもへんなきもちです、わたしはこのきもちをちゃんとあらわすことばをしっていたはずなのに、どうぐがいけないのです、あれはかんがえるちからをうばって、ぼくらは、いま、なにもできなくなっている、ようなきがする、たちどまるべきだったねまちがいなくだってこんなのまちがってるよわたしはもっとしあわせになれるはずだったのにここにはあらそいもないふこうもないがしあわせはないしもっといえばもっといえばなんにもないなんにもないそれこそがみらいというならみらいなんかこなくていいのにねさよ

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