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「普通」ってなんだろう?

どーもあちゃこです🍀 

普段は会社員、普通のOLさんしてるんですが、
たまに、国内で開催される柔道の国際大会の運営のお手伝いに
呼び出されて数日間体育館に缶詰めになることがあります。

今年は世界柔道が日本開催でしたので
例年冬に行われるグランドスラムと合わせると
年に2回も国際大会を手伝う機会がありました。

私が担当するのは練習会場。
基本的には試合前のウォーミングアップをする場ではありますが
各国代表選手たちがある意味「くつろぐ場所」でもあり、
大会期間中は「居場所」になるので、
それはまぁいろんなことが起こりますし、いろんなことを聞かれます。

その時、すごく感じるんです。
「世界の常識、日本の非常識」「日本の常識、世界の非常識」を。
そしていつも思うんです「普通ってなんだろう?」って。

いつも国際大会の手伝いに行くたびに、
「そんなことある?」「そんなやつおる?!」のオンパレードで
大会期間中は、どんなありえないことが各セクションで起きたのか
そして、それを改善するためにはどうすればいいのか
という熱い議論が酒を酌みかわしながら熱く語る日々が続きます。

おかげ様で、寝不足の日々となりますが
自分の中で凝り固まったものが次々と見事にぶっ壊れてくれます(笑)

国が違えば生活様式が違い、文化が違い、価値観がちがいます。
なので、海外から来た人には、「知らないんなら教えてあげればいい」
という意識が働き、親切にできることもあるでしょう。

「知らないのなら仕方がないね」という寛容さが
日本人同士になったとたんに「そんなこともできないなんて恥ずかしいね」
に切り替わってしまう不思議もたくさん見てきた。

これは、身内になるともっと顕著で
「そんなこともわからないなんて、なんたバカなの?!」
と旦那に言いたくなる妻の気持ちのようにもなる(笑)

ゴミ箱のゴミ袋を変えるまでがゴミ捨てです。
洗濯物は干したら取り入れるまでがセットです。
食事は食べ終わった食器をシンクまでもってきて終了です。

などなど、「家につくまでが遠足です」みたいなことを
伝えなければいけない現状があるのはなぜか。

「普通」「あたりまえ」の価値観は人によってそれぞれだから。

国が違う、出身が違う、性別が違う 等だけではなくて
そもそも人が違えば、それぞれに違うものが価値観。
逆に言えばそれが「普通」でそれが「あたりまえ」なんですよね。

それぞれがこの世に生きる唯一無二の存在。
ということは自分の価値観も唯一無二のもの。
ということは、他社と交わることで「違い」を知り、それを楽しみ
お互いにとってのプラスに笑顔に変えてゆくこと。
これが大切なのではないかとおもいます。

宇宙愛の学校の規則が1つだけあります。

他人との違いを楽しむこと
そのままの自分と向き合うこと
いいこと・悪いこと 関係なく
自分が思うことを
喜怒哀楽すべて出せるだけ出して
プラスに笑顔に変換していくこと
そして何でもOKにして生きることをたのしむこと

これっていたってあたりまえのことなのかもしれません。

みんな違ってあたりまえ。
そこに良いも悪いもなく、そうである事実があるだけ。
それをどのように捉え、過ごしていくのかは自分次第。
だったら、自分が笑顔になるように、自分がご機嫌になるように
自分の目の前に広がる世界が、心地よいものになるように
自分で工夫して、自分で選んで生きてゆけばいい

「そもそも」の部分をみつめていけば、それが「自然」だよね
というところがみつかるとおもいます。
そこをみつめていけば、自分がもっていた「普通」をみなおし
あらたな「普通」を身に着けることになるかもしれませんね

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