新しい夏、所感。

朝起きると蝉が鳴いていて驚いた。都市部でも蝉っているんだなあ、という純粋な驚き。そして、あんまりうるさくないなあという落胆に近い驚き。明らかに一匹しか鳴いておらず、夏の風物詩とはここまでか細いものだっただろうかと、少し思う。実家にいたころはもう少しうるさかったはずだ。というか朝にしては静かすぎないか。そんな感じの違和感が自分の勘違いではないことに最近気付いたから、いくつか書き綴ってみたいと思う。まあ自分の実家は1、2時間電車に揺られれば都市部に出れるような場所にあるので、正直田舎と言っていいのか怪しいのだが。

いきもの、いなさすぎ。
いなさすぎる。鳥も虫も例外なくいない。野良猫すら見ていない。いや、これが普通なのだろうか。でも朝があまりにも静かすぎてすごいな、と毎日思っている。
実家にいたころ、朝にはかならず鳩の声が聞こえていた。「ホーホー、ホーボー」という、あの声だ(これ伝わるのか?)。ほかにはカラスの声。夏になると朝から蝉の声もしばしば。これが引っ越してきてから本当にない。そういえばこっちにきてからカラスも見たことないな・・・。どういうことだ?
ただ、都市部で生まれ育った人は田舎に住むのかなりきついんじゃないかなと思うようになった。こんなにクリーンな環境で育ったら虫だらけの田舎とか無理すぎる。例えば実家ではめちゃくちゃ蜘蛛が出るんだけど、見慣れてないと厳しいだろうなあとか思っていた。

距離、なさすぎ。
なさすぎる。徒歩圏内にコンビニがあって便利!みたいな話ではない。感覚的というか概念的な話になってしまうのだが、「距離」を感じないのだ。コンビニは近いし便利な施設は近くにたくさんある。生活は近場をめぐるだけで完結させることができるから、遠くに出る必要がない、ということ。そうして便利な施設を密集させているためか、建物が高くなっている。家も多くの人が住む場所を確保するため高くなっている。それが密集しているから、遠くを見る必要がない、というか見えない。普通に前を向くだけでは空が見えないことに異常さを感じる。書いていて思ったがこれは距離がないというより「遠く」がないのかもしれない。「遠く」なさすぎる。これだけ「遠く」がないのにみんなUber頼んでいるのは何?便利だけども。

手軽に、エモすぎ。
エモが手軽すぎる。夜は外に出たらとりあえずエモい。シティポップってこういうことかよ、て素で思ってしまったのが田舎者感すごくて悔しい。夜でも都市部の明かりのおかげで暗くないし、夜の明かりのおかげでデカい川沿いがもれなくエモい。インスタントエモ。でもみんなその光景に慣れているのか素通りしている感じがすごい。関係ないけど最近はYouTubeで「マリマリマリー」をずっと見ている。良い。

書き出してみると案外あっさりしていたけど、まあこういう小さくてどうでもいい発見は大事にしていきたい。

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