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レジデンス日記⑧浅川奏瑛四季シリーズ Spin-off 冬-デイサービス楽らく-


12月5日(火)  はじめての曇り

"いかた"を引き続き考えている。

その前にデイサービスに満ちている、気遣いについて先に触れておきたい。
月から金まで毎日通う右半身が上手く動かないOさんの隣でご飯を食べていて感じた事。
いつもはスプーンやフォークで食べていたが、職員さんの心配りで今日から左手用の箸が用意された。一生懸命慣れない左手で食べようとしては落として、食べようとしては落として…。職員さんの気持ちに応えようと頑張るも上手くできない。私と目が合って少し照れくさそうな笑顔を向けてくれた。
動かしたいけれど動かせない、常に痺れて痛むのは相当な負荷が身体にかかるはずだ。誰にも怒りをぶつける事なくじっと耐え、毎日同じ1番奥の端の席で灯台のようにこのデイサービスを見つめている。
本当に強い人。
私も気がついたら左手でご飯を食べていた。
ご馳走様の後、少し右手を触らしてもらったが、グングンと心臓の鼓動が指の先まで届いていた。生きていることをちゃんと示していた。

デイサービスは気遣いの塊のような場所だ。
利用者さん同士も、ゴミ箱を近づけてあげたり、寝ている人を起こしてあげたり、お隣さん同士で助け合う光景をたくさん見かけてきた。
自分勝手な行動をとる人は誰もいない。寧ろ感謝の言葉があちこちで飛び交い誰もが楽しくそこにいる事を大事にしている。
温かさを保っているのは職員さんだけでない、ここにいる全ての人の気遣いによってこの光に満ちた空間は守られている。
私みたいな外から来たアーティストは花火のように一芸を披露して帰る、なんてことはザラにあるが、今回の目的はもっと別のところにあると思っている。今まではこのレジデンスで何か形に残るモノを作れないかと楽らくのオリジナルソングでダンスを作ろうかと考えたりお昼休みにパフォーマンスしたりと色々と挑戦してきたがなんだかしっくりこなかった。レジデンスを通して私がやりたいことってこういったことじゃない気がする。

平和と安らぎの真反対に存在する靄や揺れ、ノイズのカケラを拾い集めることが重要なのではないだろうか。光があるから闇があるのような対照的であり隣同士な存在について、利用者さんを通して、デイサービスの日常の中で見つけていくことが私にとって重要なことだと気がついた。もちろん、探そうとはせずに自然に心の中に入ってくるのを待つ。
という方法で。

だから、ふわっと利用者さんの隣にただ座っているだけの人になってみた。今までは話しかけに行こう、話を聞きに行こうと前のめりで利用者さんと関わり積極的になる事で距離を縮めようとしていたが、上に書いていたようにもしかしたら利用者さんに気を使わしてしまっていたかもしれない。ただそこに居る事で空間に馴染んで行く事だってできるはずだ。幽霊のように、妖怪のように。
なんだか心が軽くなりとても居心地が良くなった。

その状態で30分、
隣に座っていたFさんが急に、「私が若い頃はね…」と昔の話をし始めた。私に話しかけてるのかそれとも独り言かはわからない。その方は14歳の頃、大宮の軍事工場で特攻機の操縦席前方を作っていたと言う。挨拶に来てくれた人と2度と会うことがなかったこと、どんどん物資が少なくなりガラクタのような飛行機を作っていたこと、空襲に遭ったことを話してくれた。呟くように。私は変わらず空気になって耳を傾けていた。直接関わったことのある方のお話を聞いたのは初めてだった。
私が無の存在だったから話してくれたのか、若くて無知だから教えてくれたのか、理由は聞かなかったが、きっと特別に話をしてくれたのだろう。そんな気がした。

この話を聞いて私はようやく原爆の図丸木美術館へ行く決意ができた。デイサービスの温かな空間から丸木美術館に行くことが怖くて今まで向かえなかったのだが、この話を聞いてやっと美術館と関係を結べたような気がして、当初このレジデンスで企画していた「過去と現在を繋げる為のリサーチ」がもう一つ深い場所へ進めると確信した。

原爆の図丸木美術館は画家の丸木位里・丸木俊夫妻が、共同制作《原爆の図》を、誰でもいつでもここにさえ来れば見ることができるようにという思いを込めて建てた美術館で、戦争や公害など、人間が人間を傷つけ破壊することの愚かさを生涯かけて描き続けた絵を保管している。美術館の真隣には緑豊かな自然が広がり、都幾川のせせらぎも聞こえてきて、人の愚かさと自然の豊かさをダイレクトに体感できる貴重な場所だ。

作品を見て回っている時、頭の中で朝のテーマソングの楽らく日和の歌詞が流れてきた。
「大正昭和平成と令和まで続く道は、決して平坦ではなかったけれども、過去を物語る瞳には、現在(いま)を祝い合う光に満ちてる」
という部分がある。この歌も、レジデンスのアーティストが作ったものだ。全く知らない人だけどきっとこの方もここで紆余曲折しながら"いかた"を探り利用者を見つめ歌詞を綴ったのだろう。今になってフッと込められた意味が心に届いてきた。

過去と現在(いま)を繋げる。
決して過去を物語る瞳の中が明るいとは限らない。でも、今生きている喜びを分かち合おう。

私が作品を作る上で大切にしているモチーフは 「光と闇」だ。どちらも対に存在し一方がなければもう一方は存在できない。その境界を行き来する輪郭の定まらないグラデーションの部分にフォーカスを当てて創作を行っている。
何度も言うがここデイサービスは 光 だ。温かい色に包まれている。だからふと垣間見えるピリッとした空気の変化や私自身の心の中の暗い部分が色濃くハッキリと感じ取ることができる。
丸木夫妻は原爆の図を描き続けることによって希望を繋げようとした。
闇を描くことによって光の存在を強める。
光の場所にいることで暗闇が来ることを想像する。生があるから死がある。
死を知っているから生きる喜びを考えられる。
過去と現在(いま)を繋げられるのは人間だ。

いかたの研究からまさかこんなにも自分のこれまでのクリエーション内容や価値観と結びついてくるとは思っていなかった。
いかたを変えると人との触れ合い方や内容が変わってくる。無になればなるほど入ってくる情報量は多い。ここの日課である塗り絵に例えるなら、空白部分があればあるほど色を塗りたくなるような事と一緒だろう。肩の力が抜け、気持ちも張り詰めてアンテナが何本も経っていた頃と比べてずっと楽になった。まるで幽霊のように、妖怪のように。

デイサービス楽らくのキャッチコピーは
「楽に楽しくその人らしく」
私自身もそれでいいじゃない。
レジデンス第1期最終日前日、私は様々な事を諦め受け入れ、空気と化し、漂い続ける勇気を手に入れた。これまで日記を8回書いてきたが、とにかく情緒が不安定。職員さんも毎日テンションの違う私に戸惑っていたと思う。申し訳ない。
それでもこのレジデンスは、自分でやりたいことをゆっくり考えながら見出していけるので本当に有り難い。必要とされていないのも初めは辛かったが今は楽しい。最終日前日がこんなんでいいのかとも思うが、自分の中での収穫がありすぎるので良しとする。

書き疲れたのでもう終わり。

https://marukigallery.jp/


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