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レジデンス日記⑦浅川奏瑛四季シリーズSpin-off 冬-デイサービス楽らく-

12月4日(月)晴れ

今日は10:00〜14:00と短い時間での滞在
この後自分主催の企画があり、緊張でワナワナしながら電車の中で文章を書いている。

今日は特に目標は決めず、ふらっといるだけにしてみる。
3日ぶりにデイサービスに行くと、そしてその短い時間の中で"何もしない"ことを選択すると、今まで見えていなかった、考えられていなかった部分が見えてくるようになった。
ここは非常に温かく安全な場所だ。
だからこそ、少しのズレは大きな事故となる。
例えば、
・利用者さんがモノを落とす
・トイレが混む
・お風呂を嫌がる
・お茶を飲まない
・絵を描かないetc....
職員さんは柔らかい雰囲気を纏いながらテキパキと仕事をこなす中で利用者1人1人に気を配り少しの変化にも敏感に対応する。
だから温かさを保つことができている。
利用者との100%の信頼の中で風呂や歯磨きのサポートをし、会話をし、帰るまで見届ける。
1人1人の安全を見守る責任がある。
私は、必要とはされていない。滞在アーティストは"いかた"を自分で見つけなければいけない。どこにも責任はなく、でもここにいて、利用者との関わりの中で何かを見つける。
自分が見えないものになっていくような感覚が最初の頃は続き、どうにか自分がここに居る理由を見つけようと無理をして明るく振る舞ったりダンサーだという事をみんなに知ってもらおう、覚えてもらおうと努力した。
だが、疲れる。非常に。
宿泊スペースから廊下を通り利用者さんの居る部屋のドアを開けた瞬間に舞台に上がったような気持ちになる。パフォーマンスをしているような感覚に近かった。別に自分ではない自分を演じているわけではなくて、自分の中にある幾つもの面を選択して、その日その日の利用者(曜日によって人が変わる)に合わせて自分の"いかた"を変えていただけなのだが、どうも心地よさとは真反対のことをしてしまっていた。いろいろ悩んだ結果、全てを辞めて一度無になってみる。
今日は完全オフモードの浅川奏瑛で過ごした。
自分からは話しかけず、隣にそっと座るだけ。
話す雰囲気になったら自然に会話をする。
必要とされていない事を受け入れてみるとただただ漂う空気のような気持ちになってくる。
見えた人に見つかればいいな。ぐらいの気持ち。
そうすると今までよりもずっと遠くの変化に気がつくようになってきた。

といういいところで今日の滞在は終了した。

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