思いの連鎖と交錯と
色んな人がいて、色んな思いがあって、色んな関係性があって。
当たり前でもちろん学校や家庭によっては「そういうふう」に教えられるのだけど、大人になって知るどこか歪んだ「ふつう」や「当たり前」。
十人十色って言葉は、色んな人が居ていいという素敵な言葉だと思うのです。
でも「普通は」という圧力の前ではあっけなく組み伏される。
去年から少しずつ動き始めた当事者会は、まず「日本一醜い親への手紙」を発刊することに始まり、全国での講演会を開くことにつながり、そして年末のお祭り(毒親フェス)を終えて少しずつお茶会やミーティングなどの広がりを見せている。
その中で、当然だけれど色んな思いの人がいて、色んな関係性の人がいて、「これが良いかな?」と思った方向にもうまくまっすぐには進まなくて。
でもだからこそ、人間らしい、なんて思っちゃってます。
私が主戦場にしているweb業界は「キラキラ」した人たちが多い。
ブラック企業に対して愚痴不平不満を述べる意見もたまに見かけるけれど、主なインフルエンサーたちを見てると「幸せなんだろうな」って思っちゃったりする。
それが悪いことだとも、嫉妬しているわけでもないのだけど、
あーなんか根っこがちゃう人たちなんやろな、と。
「デザイナー?すごい!」「個人事業主?社長さんじゃん!」なんて言われても何も感じなかったのだけど、
講演会や毒親フェスを通じて知り合った人たちには「つらい」ことをきちんと「つらい」と受け止める人たちがいた。
「つらかった」ことを自分の笑い話にしてる人たちがいた。
あー、人間っぽいなぁって思っちゃって。
こういう人間らしい友人たちと知り合えたことにはなんだかホッとしてるとともに感謝もしていたり。
色んな人の思いが連なってできたご縁で、何かをしたいなって思っちゃったのです。
たぶん、何かを。
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