「お世話になってるから」に囚われない

おとなになって働いて、生きていると、たびたび誰かの「お世話になる」ことがある。
例えば落としたハンカチを拾ってくれたり、
例えば仕事を紹介してくれたり、
例えば差し入れをもってきてくれたり、
当然感謝の気持ちはもっておきたい。
相手が無償でしてくれたことに対しては特に。
だからこそこちらも気持ちがよく、また自分に余裕のあるときには誰かに優しくしたいと思えるのかもしれない。
そうなっていけたらきっと良い連鎖が続いていくと思う。
日本人らしい空気の読み方。

ただ、負の連鎖に入って行く場合がある。
「お世話になっているから恩返返ししなきゃ」という時。
もちろん、恩返しする事自体が悪いことじゃない。
でも恩の量を算段したり、やらなきゃって追い詰められる場合はまた違う。

「お世話した側」が頼み事をしたとき、「断れない状況」になるとそこには主従関係が生まれてしまう。
互いに意識しようとしなくとも。
そうなってしまうとあの時助けてくれたから思考が働き
「もやっとするけどやらなきゃ」とか
「なんか嫌だけど断りきれないし」とか
なるのは違う。
断じて違う。
その恩は返そうがスルーしようが、自由なはず。
少なくとも私の場合は返ってこないものとして振る舞うようにしてる。
そんなちっぽけなもので相手を誰かを縛ることはしたくない。

恩を売る。
そんな卑屈な言葉があるが、無意識のうちに友人、知人とそんな関係になっていないだろうか。
恩に縛られてボロボロになったり金をむしられたりするくらいなら、そんなものは川底にでも投げてしまっていい。

もっとフラットな関係でいい。
ただ、助けてもらったり嬉しいことをしてもらったら「ありがとう」と口に出すことは欠かさずにいたいけれど。

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