おじいちゃんの死

おじいちゃんが死んだ。
1/4の夜中、正月休みが終わってもう働くんだ〜なんて思ってたら急に。

正月は焼場が空いてないらしく、告別式、葬儀は1週間後になった。
正直この1週間は何をして過ごせばいいのかわからない。
実感もない。

ただ、何か、忘れないために、つらつらと書きたい。

1番の思い出はやっぱり17歳の時。
毎日が地獄で、今にも死にたい、と人生と世の中、周囲に心を閉ざしていた頃、
おじいちゃんちに泊まった。
現実から離れたかったんだと思う。

閑散としている街と、老人2人の暮らしは本当にゆったりしていて
あの街を歩いていると誰も自分のことを知らないし大きな夕日も目一杯浴びれて綺麗だった。
おばあちゃんの美味しい和食を3人で囲って食べて、温かいお風呂に入り、夜はフルーツを食べてみんなでテレビをみる。
深刻な話などせず、おじいちゃんとおばあちゃんと他愛もない話をして、それが助かった。
あの頃の自分は、家族内でも腫れ物扱いのような、自分からも家族に話しかけることが難しく、苦しかった。
日々一緒に暮らしてないからこそ、家族ではあるけど他人寄りで、その距離感に救われた。
祖父母と孫という、100%の優しさだけを受ける関係に救われた。

唯一あの時期に心が安らいだのはあの時だった。
実際に当時の日記にも、あの街での暮らしへの想いが綴ってあった。
救いのような思い出、存在だった。

もうあの頃みたいに、あの街とあの暮らしに縋るような状況ではなくなったけど
あの思い出がなければ、あの頃の自分は何をしていたかわからない。

私が天国に行ったら、一緒に美味しいラーメンを食べようかと思う。


あとがき
今日通夜告別式を終えて、やはりとても心が痛い。
だけど棺桶での目を閉じた姿、私の寝顔にそっくりだし、親族で唯一私とおじいちゃんだけ左利きだし、私の目が茶色で顔が濃いのもおじいちゃん譲り。
全部おじいちゃんの素敵なところを受け継いでいるんだなって(頑固なところも受け継いでしまったけど。。)思ったら、少しだけ前向きな気持ちになれる。
人はこういう風に、故人と自分の繋がりを見つけたり、内在化することで悲しみを乗り越えていくのかもしれない。
これが人生なんだなと思う。
2024年、頑張ります!

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