日本人は我慢強い? っていうか…

●映画がピンボケでも誰も注意しに行かない?
日本人は、主張しない。身をもって体験した話がある。飯田橋ギンレイホールでのことだ。映画が、もちろん、字幕もピンボケなのに、そのことを言いに行った人間は、私ともう1人の男性だけ。あとの客は、なにも言わないでおとなしいまんま。いや、きっと気づいていた人が大半だろう。でも、言いに行かない。こんなもの、と思っているのか。言ってもしょうがない、なのか。言いに行くのが面倒、なのか。言いに行ってぐだぐだなるのが嫌なのか。劇場にはたぶん200人ぐらいの客かいた。でも、主張したのは1%。その経緯を、以下に書いておく。

●そのときの経緯が、これだ
2011年1月24日のこと。上映していたのは『ペルシャ猫を誰も知らない』と『闇の列車、光の旅』。その、『ペルシャ猫』の方だ。この映画、すでに2009年11月のTOKYO FILMeXで見ていた。でもついでだからと見始めたんだけど、上映開始から字幕にピンが来ていない。とうぜん画面も。前の方から男性が1人、後方に歩いて行った。たぶん、そのことを言いに行ったんだと思う。これで直るかと思ったんだけど、しばらくしても直らない。仕方ないので私も受付に言いに行った。ちょうど女性スタッフが映写室からでてきたところで、ピンが合っていないことを言うと
「もともと画質が悪いといわれている。技師が調整はした」という。
「いや、TOKYO FILMeXではこんなじゃなかった」というと彼女も
「私も見てますが・・・状態が悪いフィルムと言うことで・・・云々」と主張を変えない。
「それは変だ」といったのだが、彼女は
「調整はしてみる」という返事。
とりあえず席に戻って見ていると、ピンがちょこちょこいじられている様子。でも、カリッとピンがくることがないまま。ボケボケの字幕を見ていると気持ちが悪くなるので、ダメだ、とあきらめて目をつむって音だけ聞き、ときどきピンが来たかどうか確認のため目を開ける程度。ゆううつなまま時間が過ぎていった。
上映終了後、合っていなかったよ。と言ったんだけれど、彼女はあいかわらず
「もともとフィルムの状態がわるい」といいつづけ、挙げ句に「手持ちカメラで撮っているので画質は悪い」とも言う。
しかし、字幕にピンが来ていないのだから、それはないだろ。憂鬱な気分のまま併映の『闇の列車、光の旅』の上映開始を待ったんだけれど、こっちは、カリッとピンが来ている。おやおや。
映画が終わってからいったん食事にでて、再入場。次の回の『ペルシャ猫を誰も知らない』の上映を、さて、どうなるか、と待ち受けた。おお、今度はちゃんとピンが来てる。
それを確認してからさっと場内を出て受付へ行き、例の女性スタッフに話しに行った。
「さっきまでの言い訳はみんな嘘だったじゃないか」といったら、彼女は
「そんなつもりじゃない」という。おお。強気。なので、
「もともとフィルムの状態は悪くない」と言ったんだが
「いい部分があったり悪い部分があったりする」と、相変わらず素直に認めようとしない。
「字幕にピンが来てないのだから、そういう話ではない」と言い、「手持ちカメラだから画質が悪い、みたいなテキトーなこともいったではないか」というと
「それは、そうでした・・・」となったが、他はいっこうに認めようとしない。なので
「上映されている状態がどうなっているか、見なきゃね」と言うと「見てます」と反論する。
「見てて分かんないの?」
なんてやりとりをしていたら、男性スタッフがやってきた。彼の話によると、ここは自動映写機らしく、専門の映写技師はいない。ピン合わせはスタッフがやっている。しかし「ペルシャ」のとき彼は不在で、『闇の列車、光の旅』から参加したという(もしくは、彼が最初に調整したのかも知れないけど)。なので彼に、
「彼女はピンの調整はできないの?」と聞いたら
「できます」という。
アホいうな。できるならなぜ改善できなかったんだよ。なんてやりとりをしていたら、いつのまにか、さっきから近くに寄ってきていた男性客が会話に参加してきた。
「ダメだったね、1本まるまる」という。どうもこの方は最初に言いに行った方らしい。「もっとゆっくりやればピントは合うのに。あせってた?」
なんてやさしい口調で女性スタッフに話している(私の口調と大違い)。彼も2度目はどうなるのかな? と残って確認していたのだろう。映画が見にくかったことが、私ひとりではないことが証明できた。だって、他に誰もピンボケだった、と言わないのだから!
あんなことを言いに行っても、どうせ「粘着おやじがぐだぐだ言いに来てまいっちゃった」で終わっちゃったかも知れないが。それにしても、観客の大半を占めるの奥様方が文句も言わずに出ていくのは、まったく信じられない。

●最近も、別の映画館でピンボケに遭遇した
このときは、すぐにピンボケ、とは分からなかった。字幕はボケて滲んでるんだけど、むかしの字幕はこんなだったよな、な許容レベル? と、疑問が渦巻いていた。でも、画面がいまいち芒洋としている。でも、全体に暗い画面が多く、しかもソフトフォーカスっぽいので、こんなものなの? と、確信がもてなかったのだ。
そんなことを延々考えていたから、話に入り込むことができず、うーむ、な感じでスクリーンを眺めていたのだけれど、1時間ぐらいして、突然、字幕がほそく締まったものになり、画調も、やわらかななかにちゃんとエッジが見えて、カリッとした輪郭が浮かんできた。ああ、やっぱりピンズレだったんだ。
どうやら2台のプロジェクターを使っていて、前半が終わってロールが切り替わったらしい。1台目はピンがズレていて、2台目は合っていた、と。なので、上映後、そのことを受付に言いに行った。受付の青年がいうには、上巻下巻とも同じ配給会社から提供されているので、上巻と下巻で画質が違うことはない、という。さらに彼は映写室に確認に行ったけれど、もどってきて話すには、映写技師は、前半がピンボケだとは確認できていなかったようだ、という。こうなると藪の中だ。けれど金を払って見にきてこれでは腑に落ちない。もういちど映画を見る権利をくれるよう要求すると、招待券を渡してくれた。
ところで、この映画の上映中、観客は私ともうひとり、中年女性の合わせて2人だった。彼女は、私が受付でピンボケだった、というのを耳にしたはずだけれど、なにもクレームを付けずに出て行ってしまった。そんなもんなんだろう。2人のうち1人が注文を付けたからと言って、そういうことを言う人間は、日本人の50%となるわけではない、と思う。他に観客がいたとしても、だれも文句を言いに行かなかったんじゃないのかなと思ったりする。

●声を挙げないのは、日本人の性格なのか
映画のピンボケにさえ、おかしい、と声を挙げないんだから、日常的にも主張しない人が多いんじゃないのかな、と思う。まして政治的なことや社会的なことは、だんまり、なんじゃないのかね。誰も文句を言わなければ、役人も経営者も上司も、「これでいい、上手くいってる」と思うに決まっている。それでいいのかね。引っ込み思案で目立ちたくなくて主張しない人だらけの日本国。思っているだけでは、なにも変わらない、と思うのだけれどね。

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