文化系トークラジオLifeへの投稿文

以下は、文化系トークラジオLife「2020年、現実化したユートピア/ディストピア」(2020年10月25日(日)25時〜TBSラジオ)に送ったけど読まれなかったメール全文である。Lifeには昔からときどき投稿していて、最近は無視されているけど、かつて4回ぐらい読まれている。4勝1敗ぐらいのときもあったけど、近ごろはさっぱりだ。まあ、意図して沿わないような内容のものを送ってるから、というのもあると思うんだが。今回もそうで、ちょっと挑発的な内容にした。政治や社会問題を意図して避けるような傾向が増えてきたので、そこを狙ったというのもある。

内容を手短に言うと、屋外でマスクをしている人って変じゃないの? というもの。でも、煽りや反マスクに思われないよう気を配って書いたんだけどね。

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予告編での、海猫沢めろんさんが、マスクなしでユニクロに入ろうとしたら、止められた話。まあ、そうだよね、って思います。

いまや、街を歩く人のほぼ100%がマスクをしています。教師や親の言うことなんか聞かない中高生まで街中でマスクをしてる。人気のない住宅街や、すれ違う人のいない川沿いの土手でも、みんなマスク姿。家ではマスク無しのカップルも、外出する時は並んでマスク姿。あれはコメディですか。

ソーシャルディスタンスも、そもそもあれは、マスク無しでの距離のはず。
厚労省のホームページでも、熱中症のリスクを避けるため、「屋外で人と十分な距離(少なくとも2m以上)が確保できる場合には、マスクをはずすようにしましょう。」と書いているんですけどね。

こんなことをいうことを言うと、「リスクが無いわけではないのだから、しないよりした方がいい」と言われそうです。オトナの返答ですよね。

先日、大竹まことの「ゴールデンラジオ」に出演していた感染症学の専門家が、「外を歩く人もマスクを付けてる。その生真面目さが、実は同調意識なんだろうけれど、よい方向に働いてる」と話していました。でも、その時ついでに、「外を歩くんだったら、いないんじゃないかなって思うんですけどね」と小さくつぶやいていました。街中にはウィルスなんかほとんどいないという本音が、つい口をついて出たんでしょう。

感染の原理やソーシャルディスタンスのことを調べれば、街中で、すれ違い様に感染するようなことは、ほとんどあり得ないのは分かるはず。でも、そうは言えないオトナの事情があるのでしょう。ウィルスのリスクより、社会的立場を失うリスクの方が怖いとか。

街中のマスクは不要と思いつつ、あえて反論するのも面倒くさいし、周囲の目を気にして、みんながしてるからしてる、という人は少なくないんじゃないのかな。自分で考えることを放棄した社会は、ディストピアじゃないですか?

これを、国民のコンセンサスなんて言う人もいたりするけれど、戦時中の統制社会と、まったく変わってないよね、日本人。

マスクは、ほんとうに必要な場面で使えばいいんだと思うんだけどね。いまやマスクは、ただの記号になっちゃってる。こんな状況は、社会学的にいい研究対象だと思うけど、ほとぼりが冷めてから、になるのかな。

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言いたいことは以上の通りで、屋外のマスクは過剰で、無意味なことが多いのではないか? それでもマスクをするのは、感染リスクへの配慮ではなく、周囲の目を気にしてのことだろう、ということだ。

意味がないことを多くの人は分かっている。分かっていても、する。これって、戦中・戦前の大政翼賛的な社会、空気と同じだろう。みんながそうだから、マスク至上主義の人は、マスクをしない人を非難したりする。いわゆるマスク警察だね。で、こうした風潮に、学者もマスコミも意見を言わず、黙殺している。

たぶんそれは、いまここで「屋外のマスクは不要」なんていうことをいうと、自身が責められ、炎上するからだろう。それを避けるために、あえて触れない。こういう態度も、日本が戦争に突入しようというとき、それを止めるような発言ができず、むしろ国策を賛美してしまった戦前のマスコミと同じだと思う。

マスコミも、文化人も、学者たちも、みな保身に走っている。異論を唱える人は、いなくなってしまった。だから、屋外でもみなマスクをしているんだと思う。

こうした状況は、社会学的に興味深いはずで、だったら何か言いなさいよ、という気持ちで投稿文を書いたのだけれど、まあ、予想通りまったく無視された(もしかしたらコロナに関する投稿は他にも来ていて、でも番組の趣旨に沿わないからと外されたのかも知れないけれど)。Lifeには、またしても失望というか、がっかりした。でも将来、新型コロナの影響が薄れたとき、メディアを発信する側があのときどのような対応をしたか、という切り口で分析がなされるのではないかと思う。されなければおかしいと思う。戦後になってから、「あのときは・・・」と自戒を込めて、マスコミが自らの対応を反省するように。でも、それじゃ、遅いんだけどね。

ところで、たまに専門家がメディアで、ちらりと過剰なマスク、人の目、について発現しているのを発見する。さっき投稿文で触れた「ゴールデンラジオ」で発言していた感染症学の専門家とは、白鷗大学教授・岡田春恵氏である。彼女の発言は以下の通りである。

「私、ヨーロッパに留学してたことあるんですけど、マスクをしてる人は病人っていうイメージなんですよね。いまはマスクしないと罰則ですけど。だけど春にいろんな報道でコロナがあって、みんなが気をつけてたってこともあるんだけど、症状があってもなくても、みんながマスクを付けてるってことが効いたと思うんですよね。あとで調べてみたら唾液にいっぱいウィルスがいたっていうのが分かっているし 無症状からもウィルスが出てたってこともわかっていると。あれが効いたんだろうと。いま、外歩く人もマスクを付けてると。これが、外歩くんだったらいないんじゃないかなって私は思うんですけど、でもその生真面目さって言うのが、実は同調意識なんだろうけれど、よい方向に働いてる部分の同調意識なんだろうと。」(2020年10月20日の、文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ』)

それからしばらくして、朝日新聞に、クルーズ船で有名になった岩田健太郎氏と落語家・春風亭一之輔の対談が掲載された。引用すると、

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岩田 大声を出すネタは選ばない?

一之輔 それは、個人の裁量で。僕はあまり意識しない。まずいですかねえ?

岩田 距離さえ保てばあまり問題ないでしょう。音楽関係の飛沫の実験では管楽器、ピアノ、弦楽器はほとんどだいじょうぶ。声楽とか、歌を歌うのは少しリスクがあって、コーラスやロックをどうするかは微妙なところ。寄席で掛け声は?

一之輔 「待ってました!」とか言う人はいますけど、掛け声は遠慮してくださいとお願いしている。出待ち、差し入れ、楽屋への訪問もご遠慮下さいと。だけど、出待ち禁止とこっちから言うのは恥ずかしい。「誰も待つって言ってねえじゃねえか」と返されたら困る。寄席でたくさんお客さんを入れる所もあるんですけど、お客さんが固くなる。笑わなくなる。緊張感が伝わってきますよ。満員は笑いにつながる一番の条件だったんですけどね。

岩田 大声でゲラゲラ笑うのが怖いというのがあるんですね。

一之輔 「あの人、しゃべってたわよ」という風潮になってきている。

岩田 日本で、マスクをつけないのがはばかられるのと同じ。マスクをつけるのはウイルス対策というより、ほとんど人間対策。

(2020年11月『朝日新聞』)

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という具合で「マスクは人間対策」と言っていて、これは飛沫ではなく、人の目のことだろうと思うんだが、どうでしょう。

この記事などは、朝日新聞の主張として「マスクは人間対策」とは言えないけれど、一文化人の発言として掲載することで、考え方の多様性があることを見せていると解釈することができるんだろう。とはいえ、人のフンドシで相撲を取っているようなものだから、腰がひけているのは変わりが無いと思う。



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