京都 徘徊つれづれ 6日目 その1

■河原町から四条大橋を渡れば祇園だけどそっちは行かない

夜中、廊下なのか隣室なのか。ガタゴト音がひびいたのは宿泊人がそのころ戻ってきたのか。でも以降は静かで。0時過ぎに寝て、うっすら覚醒はあったけど6時過ぎまで寝た。さらに少し寝て7時半起き。おにぎりと野菜サラダの貧しい朝食を食らい、お腹の調子はそこそこ順調で、疲労の蓄積もまた順調のようだ。
9時30分頃チェックアウト。新京極の裏あたりをとぼとぼ抜け、河原町方面へと歩く。昨日の夕方には見えなかった、街の別の顔が見えてきて面白い。

この傘は何なんだ。なんかのまじないか?

河原町に出て四条大橋方向に歩くと、左手に先斗町。富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も♪ の小路ね。こんな細い通りなのか。でも、とくに興味がないし、午前中だから人気もない。道の向かい側には、先日も見た、ヴォーリズの手になる東華菜館がどんと目立っている。

鴨川にかかる橋の上から見た感じ。

ヴォーリズといえば近江兄弟社でメンタムで伝道者で建築家である。関西学院の校舎や山の上ホテルも手がける一方で、個人住宅も数多くつくっている。不思議な人だよね。本拠地とした近江八幡にはヴォーリズの手がけた建築物が多く残っているようなので、機会があったら行ってみたいと思っている。

四条大橋の下は鴨川。渡り終えるとすぐ右手に京都南座。この日は橋幸夫コンサートが開かれていた。で、通りの向かいには、先日遠望したレストラン菊水が古ぼけて突っ立ってる。このあたり、いわゆる祇園エリアらしいんだけど、実はあまりよく知らない。事前に分かっていれば探索したかもだけど、今回は徘徊の予定はないのだよあしからず。どうも細道が錯綜し、古さと新しさが混沌とした街をつくっているらしいので、次に京都に行く予定ができたときは、徘徊してみよう。もちろん金に飽かせてではなく、貧乏人のレベルでだけど。

■まずは通りすがりの建仁寺に寄り道

本日のメインイベントは六波羅蜜寺に決定していて、でも、その手前に建仁寺というのがあるので、いくらなんでも無視して素通りはできない。ついで、といったら建仁寺に失礼だけど、事前の知識はゼロなんだからしょうがない。

こんな風景が当たり前のようにあったりする。

なんて歩いていたら、路地の奥から三味の稽古の音なのか、が聞こえてきて。おお。芸事の街ですな。などと耳を傾けつつ、参道の方へとぐるりと回り込んで建仁寺の入口へ。木戸銭600円は並でしょうか。で靴を脱いであがると、どん、と風神雷神図屏風のレプリカが出迎えてくれた。おお。宗達のあれは、ここが所有者だったのか。さらに、もらったパンフには「京都最古の禅寺」とも書いていて、じゃ、座禅の修行の場所なのか。とはいえ本坊とか方丈あたりはフツーのお寺さんの雰囲気。坊さんたちはもっと奥の方とか塔頭に分散配備されとるのだろうか。中庭には○△□がどうとかいう仕掛けがあるらしい。禅寺によくあるやつだな。でも、庭の造りをみてもよく分からん。これも禅問答なのか? そんなことより、素人には、こっちの「寝ころぶな」注意書きの方が面白いんだけどね。

喝! だね。

奥の方の座敷の襖絵は無防備にむきだしで、いいのかこれで、と思ったら元総理の細川護煕センセーの筆になるものらしい。そうか。それでこの程度の扱いなのか。
スリッパに履き替えて法堂とかいうところにみんな行くので倣って行ってみると天井一杯に竜が描かれている。けど解説に平成時代のものとあって、その世界では名のある人が描いたのかも知れないけど、これまた有難みが…。素人ゆえの、とりあえず古くないと、という単純な判断がこのような失礼千万な感想を口にさせるのであります。まだまだ修行が足りんって?

■いよいよ大本命の六波羅蜜寺に突入だぜ

建仁寺から100mぐらい下ると、ありました、六波羅蜜寺。正確には補陀洛山 六波羅蜜寺というらしい。補陀洛というと補陀落を連想してしまうのだけれど、これ、同じなのか。違うのかな。とか、六波羅というと六波羅探題を思い浮かべてしまうのだけれど、これはこの寺から来ている地名なのか。どうなんだ、とか。はたまた波羅密は、般若心経の「波羅蜜多心経」と関係があるのか。とか、いろいろ頭がぐるぐるですが、よく分かりません。
開祖の空也上人は醍醐天皇の子供だそうで、じゃあ乞食スタイルのような姿カタチしてるけど、実は皇族だったのか。へー。
といった具合にいろいろ曰くあるようだけれど、寺域はそんな広くない。建物もケバケバしく赤く塗られていて、なんか時代がついてないようにみえる。それではとWikipediaみると1363年に再建された重要文化財と書いてあって。でもそーは見えないんだよね。こちらの目が節穴なだけか。まあいいや。で、さっそく宝物館に行き、空也上人像とご対面である。どの教科書にも載っている、口から6体の菩薩像を吐きだしてる、あれである。

そのあれが、ガラス越しとはいえ数10センチの近さで独占して見られるのは、なかなかだった。きっと東博の春の展示では360度全周囲から見られたんだと思うけど、そこまでは望まない。これで、十分満足だ。そして他の仏像も、狭い館内に密度高く林立していて、照明もよく、なかなかの迫力。京都での再公開初日だから混んでるかと思いきや、そんなことは全然なくて。ゆっくりじっくり対面できた。1日延ばして正解だった。
境内には銭洗い弁天もあった。なので、ドンと奮発して千円札を洗ってきた。まあ、そのまま持ってかえるんだから奮発も何もないんだけど…。
でね。帰ってから京都の友人に「六波羅蜜寺も行ってきた」とメールしたら、「マイナーでディープなところに行ったな」と返されたついでに、六波羅蜜寺の近くに「小野篁が“冥途通い”に使った井戸のある六道珍皇寺というのがある」ことを知らされた。どうも鴨川の東側はかつて野原で、死体捨て場だったらしい、とも。そういえば小野篁の逸話はどこかで読んだことがあったな。そうか。異界・冥界にわずかながら興味があるなら、安倍晴明で満足してる場合ではなかったのだな。くっそー。次に行ったら、メイド、もとい、冥途通いの井戸を絶対に見てくるぞ、と後悔の念に苛まされたのでありました。

■そして、道すがらの寺や寺院も覗いてみた

六波羅蜜寺をでてそのまま南にくだり、五条通りを渡ってしばらくすると、左手に寺の気配。入っていくと、どでかい釣り鐘が目に入った。方広寺というらしい。でも、とくに観光地化されていない様子で、人影はまばら。あとで調べたら「奈良の東大寺・知恩院・方広寺と日本三釣鐘(重要文化財)に指定されている」んだとか。それにしてはとくに重要物あつかいもされてなくて、放置状態だったけどな。

この方広寺の隣は豊国神社で、境内には入れないようだったけど、唐門は国宝だとかでなかなかご立派。有料の宝物館もあるらしいけど300円取られるというので入るのはやめといた。しみったれなのだよ。

これが国宝なのか…

なんかもう、拝観料とらないお寺にも重文とか国宝とかが無造作にゴロゴロしてるのね。なるほど、さすがは古都京都。山門でいくら、方丈はいくら、庭園は別料金…みたいな有名なところとくらべると、こういうほうが親しみが湧くよね。近所の子供たちも小さいころは境内で遊んで、坊さんに怒鳴られたとかいう思い出があるかも知れないし、生活の中に根づいている感じもするしね。

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