見出し画像

ルターと贖宥状。ルターは何に怒ったのか?

おはようございます。あさひです。
今回は宗教改革に出てくる、カトリック教会の贖宥状(しょくゆうじょう)の販売とルターの抗議について詳しく解説します。まずは贖宥状の販売からです。それではどうぞ。

キリスト教(特にカトリック)において罪(盗みや強盗など、現実的な犯罪)を犯したらどうなるのでしょう?
そこには主に2つの道があります。1つは死んだ後「煉獄(れんごく)」と呼ばれる場所に行き、苦しみを伴う償いをして天国に行く道。もう1つは生きていく間に教会に自分の犯した罪を告白し教会に罪を許してもらい、寄付やボランティアをして死んだ後にすぐに天国に行く道です。生きている間に罪を償ったものには贖宥状が配られました。贖宥状は死んだ後に煉獄に行かずにすぐに天国に行けるという証明書だったのです。

ところが15世紀から16世紀にかけて教会がお金欲しさにこの贖宥状を販売してしまいます。お金さえ払えば煉獄に行かず、天国に行けると謳いたびたび販売されるようになりました。さらに贖宥状の販売を担ったのは神父だけでなく商人も含まれており、贖宥状の売上の何割かを商人に渡すことになっていたので、「贖宥状はまだ犯していない罪にも効果がある」「もうすでに死んで今も煉獄で苦しんでいる家族や友達も救い出すことができる」などとますます誇張されていきました。また、そのような販売を許すくらい教会も腐敗していました。

宗教改革の発端となったのが教皇レオ10世が行おうとしたサン・ピエトロ大聖堂の建設に必要な資金への献金に苦慮していた説教師、テッツェルが行った贖宥状の販売です。

マルティン・ルターはこれに抗議する形で1517年有名な「95ヶ条の論題」を示します。95ヶ条の論題には、例えば5条「教皇はいかなる罪も赦す権限を持っていない」や49条「教皇による贖宥(罪を赦すこと)が神を畏れる心を失わせるなら、この上なく有害である」(言葉はわかりやすくなるように変えています)といった明らかな教会・教皇批判をしました。

ではルターは何に怒っていたのでしょう?
ルターは教会や教皇が人が天国に行ける行けないを決めていることに怒っていました。ルターは天国に行ける唯一の道は、贖宥状を買うことでもなく、善行を積むことでもなく、教会から示された義務を果たすことでもなく、ただ神を信じることによって私たちは救われるのだと主張しました。神を信じてさえいれば私たちは神の愛で救われ、天国にいける。このような考えを「信仰義認説」といいます。

ルターの教えでは神の言葉が書かれている聖書のみを重視し、教皇や神父、儀式は必要なく神の前に皆平等ということになります。しかし実際にはルターは一部の儀式などは残したりしていたそうです。

ルターのこういった思想は様々に形を変え、ヨーロッパ、アメリカなどに広がっていくことになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?