廻る歯車
わたしがいない世の中に
なったとしても
困る人なんて
本当はいなくて。
例え
仕事を辞めたとしても
わたしの仕事なんて
ほかの誰でも出来る
ただの会社の歯車でしかない。
誰かの人生の歯車に
わたしというパーツは
なくても回る。
だけど、私自身が生きていくためには
知らない誰かが作った車や
道路があって
夜道を照らす灯りでさえ
自分で作れない。
そんな風に思ってはいるのに
わたしは
無くてもいいのかも知れないと
ふとした時に感じてしまう。
神戸の空から夜景を見ると
やっぱりこの街は
美しく輝いている。
小さな灯りが無数にあって
その無数のひとつひとつに
誰かの人生のドラマがある
帰りを待ってくれている彼女の灯
一人暮らしの独身男性の灯
はたまた週末婚をしているカップルの灯
おじいちゃんが亡くなった家の灯
赤ちゃんが産まれた家の幸せな灯
ペットのためにつけっぱなしの灯
まさにプロポーズをした後の甘い灯
別れ話がこじれた悲しい灯
…
人生なんてどうとでもなる。
そう口にした。
白い息と
共に出たのは
言葉ではなく
不安だったのかもしれない。
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かつてのわたしは、いつ死んでもいい。
生きる価値なんてない。
生きている時間は、ただ苦痛なだけ。
周りと違う事が苦しくて
誰にも理解されない辛さと
無意味な励ましに
更に傷ついていた。
自死をする勇気もなく
ただの生きた屍
だけども、人生とは不思議なもので
縁が繋がった先から
幸せを感じる瞬間があって
もうちょっと生きてみるか
もうちょっと楽しんでみるか
時々、胸がキューっと熱くなる
そんな瞬間もあって。
いつも笑われてしまうんだけど
世の中の美味しいものを食べ尽くすまでは死ねないし
死ぬのがもったいない。
美味しいモノ食べたいもん。
何度も自分を殺してきたけど
何度も生まれ変わってきた。
「 生きてて良かった。
あなたと巡り逢えただけで。 」
そう思える日が来るまで。
運命の歯車は
廻り続ける。
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