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【誉め感想】映画『100日間生きたワニ』を観てきました


 映画『100日間生きたワニ』を観てきた。

 変な形で話題になっているので実際どうなんだろうと思って観に行ったのだが、これが良かった。普通に涙ぐんでしまったし、鑑賞後は素直に「良いものを観た」と思えた。個人的に「100ワニの商業展開に求めているもの」のアンサーとして完璧である。100ワニのグッズは書籍だけが100日目より先にリークされ、その時点では商業化についても擁護の方が大きかったと記憶しているが、あの時求められていた「100ワニの本」がまさにこの映画のようなものだったのではないだろうか。

 自分は100ワニの商業展開は批難されるようなことではないし、炎上にも理不尽さを感じているが、結果として出て来たものが「なんか違う」代物であったことは否めないとも思っている。キャラクターではなくコンセプト、そしてそこから生まれるメッセージによって人気を得た作品なのに、商業展開の手法がことごとくキャラクタービジネスだった。人気投票の応募券がついてくるお菓子など、いくらなんでもズレすぎである。このコンテンツに関して皆が評価していたのは、ワニやネズミというキャラクターではなく『100日後に死ぬワニ』なのだ。
 
 その点、映画は『100日後に死ぬワニ』という作品と向き合っていた。そして『100日後に死ぬワニ』が見せなかったものまで見せてくれた。原作の一歩先を、原作から乖離しない、地続きの形で描けていたのだ。あそこまで映画化に向いてなさそうなスタイルの作品を生かしきり、プラスアルファまで加えてきっちり一本の映画を仕上げた上田監督の手腕は、本当に見事なものだと思う。

 ――という風に自分としてはかなり良かったのだがSNSでは酷評の嵐で「さすがにバランス悪くない?」と思ったので、どういう映画でどういうところが良かったのか感想を残したいと思った次第である。たぶん需要はないが気にせず行く。なおある程度ぼかすつもりではいるが、ネタバレも当然入ることになるので、そこは悪しからず。

①全体構成について

 まず作品の全体構成だが、以下のようになっている。

① 100日目(原作通りの最終回。3月)
② 1日目~99日目(原作の再構成。12月~3月)
③ 100日目(①をもう1回)
④ 100日目以降(100日目の100日後に飛ぶ。時期は梅雨)

 ざっくり言うと、原作を再構成した前半と原作の続きを描く後半の二部構成である。まずこの構成が上手い。映画化の話を聞いた時に大勢が思ったであろう「これこのまま映画にしてもつまらなくない?」という根本的な問題をある程度解消している。

 1日目ではなく100日目からスタートしたところも好印象だ。1日目~99日目は本当にただの日常であり普通に描くと間延びするのだが、100日目を先に提示することによって「回想」に近い形式を取り、前半部分全体にノスタルジーを付与することに成功している(と自分は感じた)。何の変哲もない日常描写でもそれが回想という形になると、不思議とするっと入って来たりするものである。

 上映時間は63分。妥当な線だろう。これ以上伸ばすとたぶんキツイ。というか63分でもキツイ人はキツイ。この映画、作りこそアニメーションだが、メリハリの利いたエンタメアニメ仕様には全くなっていない。『おもひでぽろぽろ』みたいな映画が無理な人は内容以前にコンセプトが無理である。それはもう向き不向きなので諦めよう。

 ではここからは前半・後半の概要と、その感想について語る。

②前半(原作部分)について

 前半は原作の1日目~100日目だ。もっとも原作の全てを再現したわけではない(されても困る)。そして逆に原作にない場面も追加されていて、後半の伏線になっていたりする。なお「死まであと〇日」のカウントダウンはない。妥当だと思う。

 全体的に、原作より話がスムーズに進む印象を受けた。例えば原作はワニが意中のセンパイにLINEを送るかどうか悩んで結局送らないだけの話を描き、「お前あと〇日で死ぬんだから無駄にしてんじゃねえ!」という感情を読み手に想起させたりするのだが、映画でその手の焦らしは無意味なのであまりやらない。あと雲ぶとんのようなワニ以外には関係のない話もほぼやっていなかったと思う。基本「誰かと何かをする話」が重ねられる。

 また表現に独特の「間」があり、感想を見るとそれがまどろっこしく感じる人もいたようだが、個人的にはあの「間」は原作にもあったと思うので気にならなかった。だらだらと日常をやっている感じが上手く表現されていてたと思う。それこそが冒頭で述べた「100ワニに求めているもの」の一つでもあるので、自分としては好感を覚えたぐらいである。

 いずれ死を迎えることが分かっている人物の日常を覗くことについての感想は、あまり語ることはない。というか、それぞれが生きてきた人生に寄る部分が大きすぎて語れない。とりあえず自分は実家との電話が一番心に来た。全編において何も感じなかった人も当然いるだろう。ただそれは原作でも何も感じないということなので、観に来たこと自体がミスな気もする。

③後半(新規部分)について

 後半は「ワニが死んで100日後」からのスタートである。時期は梅雨。カエルの新キャラが、ワニ亡き後のネズミたちに関わっていく話。

 この新キャラのカエルがウザいと評判だが、確かにウザい。チャラいノリで他人との距離をグイグイ詰めようとして、でも空気を読む能力がないから滑りまくっている。石田衣良先生の『4 TEEN』の「飛ぶ少年」がこういうウザい男の子の話だったのを思い出した。今ならリゼロの序盤スバルと表現すれば通りが良いかもしれない。

 このカエルを嫌わずにいられるかどうかが映画を楽しめるかどうかの分岐点っぽいが、自分は平気だった。滑っている感じがこれでもかというほど露骨に繰り返し描かれるし、ネズミも「なんだこいつ」みたいなことを言うので、意味のあるウザキャラとして作られていることが容易に理解できたからだ。自分は基本この手の「意図的に間違った姿として書かれているキャラ」を嫌いにならない。例えば『進撃の巨人』のガビはものすごく嫌われていたそうだが、あの子も露骨に間違った姿として描かれていたので、自分は「今後どういう方向に進むんだろう」と気になるだけで嫌いにはならなかった。こういうタイプの人ならカエルも問題なく行けると思う。

 そして多くの「意図的に間違った姿として書かれているキャラ」がそうであるように、カエルにも観る者の印象を反転させる場面が来る。総合的に見て、自分は映画の中でこのカエルが一番好きだ。不器用さが愛おしい。ただ印象反転の際に辛い過去を仄めかす発言があり、物語がそれを免罪符としようとしている気配があったけれど、そこは個人的には無くても良かった。そんなの無くても愛せる子だ。(自分の方が特殊だとは思う)

 ワニがいなくなった後のネズミたちはギクシャクしている。大事なパーツが外れてしまい歯車が嚙み合っていない。そこにカエルというパーツが組み込まれ、歯車がまた動き始めるのが後半の話だ。

 とはいえワニはワニであり、カエルはカエルなので、動き出した後も同じ形にはならない。その「同じ形にはならない」というのを表現した(と自分が解釈した)言葉がとても良かった。語りたいが強めのネタバレなしでは語れないので、これについてはこの記事の最下部にネタバレ防止用スペースを取って記載したいと思う。

 まあ要は、そういう語りがしたくなるぐらいには、自分にとって良い作品だったという話である。

④まとめ

 この感想は「みんな100ワニ映画を観に行こう!」という主旨で書かれたものではない。かなり良かったのに負の感想ばかりが目立ち納得いかないので、正の感想も残しておこうぐらいのノリで投入されたものだ。特に「手抜き」という評価は首を傾げる。最初からこういう商業展開が出来ていれば、映画のカエルに対する感想のように賛否両論はあったとしても、炎上はなかったのではないかと思えるぐらい丁寧な仕上がりだった。

 よって「観に行く価値はある?」「1900円払う価値はある?」という質問への回答は残さない。100ワニに限らず、そんなもの他人に聞くことではないだろう。時間やお金と言ったリソースに対する感覚、それを費やして得られるリターンに対する感覚が人によって違うのだから、それぞれの判断で動けば良い。一応、原作時点で「ワニが死ぬだけの漫画でしょ」みたいな感じだった人には向いていないということだけは、不幸なミスマッチを避けるために記しておく。

 自分は、ワニやネズミといったキャラクターではなく『100日後に死ぬワニ』という作品と向き合う派生展開が登場したことにより、およそ1年4ヵ月の時を経てワニがきちんと供養されたような気分になれた。そう思わせてくれた取り組みが、1コマも音楽聴いているシーンがないのに唐突に出て来たワニの音楽プレイリストなどと並列に扱われるのは、クリエイターの端くれとして虚しさを感じる。なのでせめて楽しめた自分からは労いの言葉をかけさせて貰いたい。

 映画製作に関わった皆様、素敵な作品を見せて頂き、ありがとうございました。良い仕事でした。

⑤強めのネタバレ感想

(以下、強めのネタバレ感想注意)



















 前半、ネズミがワニをバイクに乗せて山に連れて行き、雄大な景色を見せるシーンがある。そのシーンでワニは今自分が置かれている状況の素晴らしさを「102点」と表現する。

 そして後半、ネズミが今度はカエルと一緒に山に行く。そしてワニと見た景色をカエルと見つつ、かつてワニが点数をつけたように今の状況を「101点」と評する。

 この「減った1点」が良かった。生前のワニの言葉を借りることで過去と向き合い、だけど完全に借り切ってはいないマイナス1点。自分の小説で近いことを書いていて、それを連想した。

 それはブルーハーツの『1000のバイオリン』と『1001のバイオリン』についての話である。『1001のバイオリン』は『1000のバイオリン』のオーケストラバージョンなのだが、なぜ『1000のバイオリン(Orchestra version)』ではなく『1001のバイオリン』になったのか、増えた1はなんなのか、という考察を登場人物にさせたのだ。

 そして登場人物は「上書きしたくなかったから」と結論を出した。過去を現在で上書きせず、どちらも大切にするために1を足したのだと。この考え方が102点から101点に減った1点にも通じるのではないかと感じ、グッと来たのである。

 カエルと見た景色を「102点」と評すると、ワニとの思い出が上書きされてしまう。だから1点減らした。今はまだカエルとは仲良くなりかけぐらいなので点数は減っているが、仮にこれからワニと遜色ないぐらいカエルと仲良くなり、また同じ景色を見に来たとして、その時ネズミは「103点」と言うのではないだろうか。過去と現在、どちらも大切にするために、1点足すのではないだろうか。

 ――みたいな思考を広げた。その後、ネズミがカエルの背中を見つめるシーンが何度か挟まれるのだが、その度に「違うけど進む」ことを受け入れようとするネズミの心情を想像した。それが自分の中での感動に繋がっている節がある。

 なおこれらは全て自分の妄想である。マイナス評の方では「ネズミはワニの代わりが見つかって嬉しかった」みたいな解釈が多い。その解釈はさすがにネズミがサイコパスすぎるのではと思いつつ(リアルな感情で考えて死んだ友達の代わりが出来て良かったとか思わんでしょう)、自分の解釈もキモい自覚はあるので、特に解釈を戦わせるつもりはない。

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