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DV加害者の気持ちが少しだけわかった気がする

※注※
本記事はDV等を推奨する意図はありません。


こんにちは、朝霧です。
暗いタイトルですが、内容も負けず劣らず閲覧注意なものとなっております。
上記の注意文で察した方もいるでしょうが、お気を付けてご覧下さい。



ある日のこと

先日、私は知人とのやり取りにて、ちょっと相手をおざなりに扱うような言動を取ってしまった。
そのせいで相手を少し動揺させてしまったようだった。
誤解されるような言い方だったこともあり、翌日謝罪と共に訂正した。
元々ささいなやり取りだったし、相手も優しい人だったので、幸いすぐに事なきを得た。
だがこの時、私は安心感と共に、ある強い感情を覚えた。
「ああ。この人はこうして扱われても私を許してくれるし、むしろ動揺して軽く縋るような素振りを見せてくれるのか」
そのことへの高揚感と、そんな相手へのあふれんばかりの愛おしさ、である。


見捨てられ不安

私は多分見捨てられ不安が強い方なのではないか…と思う。

見捨てられ不安についてちょっと検索すると、幼少期の課題が〜性格の偏りが〜云々と出てくる。まあ、原因とかはさておいて、名前の通り親しい人がそのうち離れていってしまうのではないか………という不安である。
誰もが持ちうる心理だろうが、強すぎると対人関係に影響を及ぼすこともある。
私もこの不安感ゆえに、自分から距離を取りたくなったり、最初から近付かない方がいいのかと考えたりしてしまう。
特に前者は困ったもので、すでにある程度親しくなった相手とのせっかくの関係性を破綻させかねない。悲しい。
だから何とか上手く自分の中の見捨てられ不安とも折り合いを取ってやっていきたい………そう考えている日々なのだが、そこに先日の一件である。

私が冷たい態度を取っても受け入れてくれる。
そのことに高揚感と愛おしさがあった。
そして何より、見捨てられ不安が一瞬だけ溶かされた感覚があった。
ひどいことをしても受け止めてくれる。追いかけてくれる。愛してくれる。
その分だけ、その瞬間だけは、見捨てられる可能性が遠ざかる気がして。

しかし自分のそんな心理に気付いた時、同時に恐怖を覚えた。
これってもしかして虐待やDV加害者に発展しうる心理ではなかろうか。



心地いい空想

今回はささいなやり取りだったし、まあひとまず済んだ訳だけど、これがもっとエスカレートしたら?
私が延々と相手を突き放したり暴言を吐いたり時に暴力を振るって。
相手も相手で、離れていくでもなく、それに応え続けてくれる人だったら。
何度も何度も何度も傷付けて、それでもその度に相手が「あなたのことが大事だよ」と示してくれたら。見捨てないでいてくれたら。


嬉しい。
正直、そうなったら私は嬉しい。
嬉しいなんて言葉じゃ言い表せないかもしれない。
何しても離れて行かずに傍にい続けてくれるなんて………なんて甘美な幸福なんだろう。
本当の本当、一番の理想を言うと、私に突き放された後、そのまま死んでくれたりしないかな、とか。
疲れ果てた相手が、もう何度目になるかもわからない私の突き放し行為の後、真に受けて絶望して目の前で飛び降りて死んでくれないかな。
死ねばもう失う心配もしなくていいもんね。
何より、理由が、私に突き放されたからってのが最高。
空想だけでドキドキする。
私のために誰かが死んでくれた!それも大切な人が!私への愛ゆえに死んでくれた!
それはなんて無上の幸福なんだろう。
私はこれから先、もう自己肯定感の低さだとか無価値感だとか生きる意味だとか何者かになりたいかとか世間の価値観に合わせたいかとか、そんなくだらないこと、いっさい、気にしなくていいんだ!
ただ生きるだけでいいんだ!
生きてるだけでいい。存在してるだけでいい。
人に嫌われたり上手くいかないことがあっても、ちょっとへこんで、気を取り直して、好きなものに触れて、また明日から頑張ろーって、そう思うだけでいい!
だって、私の命の価値はもう証明されているんだもの。大切な人の命と引き換えに!
私を愛するあまり、ついに離れることに耐えきれず死んでくれた人がいる。それは奇跡だ。
本来なら幼少期に親から得るしかない絶対的な愛情、それを逃したらもうその後得ることは叶わないはずの愛情を、大人になってから得られたんだから。
それが奇跡でなくて何だと言うのか。
生き辛い人間にとっては祝福でしかない。


恐怖

ここまで書いて、ますます怖くなってきた。
楽しい空想である一方で、何らかの警告音が絶えず頭の片隅で響いている。
ここまで読んでもらえればわかる通り、これはもし現実のものとなった場合、完全にDV加害者とその被害者による共依存関係である。
非常によろしくない。実現してしまってはいけない。ましてや、相手の命を奪う所まで行き着いてしまっては絶対にダメだ。
そうなる前に専門家の介入などの適切な措置を取らなければならない。
ただ、そういう心理が自分の中にあるのだと今回気付いた。
見捨てられ不安が転じて何をしても離れて行かない相手を望む気持ち…どこまで好きでい続けてくれるのか試したい気持ち…冷たくしても変わらず受け入れてくれることへの快感…。
行き着く所まで行き着いたとしても、罪悪感よりも強く、自分への愛情ゆえに命まで捨ててくれたことを喜んでしまう、とか。
そんな怪物じみた心理が自分の中にも眠っているのだと気付いた。


虐待の心理(完全にただの想像)

現実の虐待やDVには複合的な事情や心理が隠れているだろうと思う。
だから私なんかには一口で説明し切れるものではない。
でも、今回の気付きを踏まえて考えてみると、子供というのは私たちみたいな人間にとってかなり都合がいい存在だ。
親の手を借りなければ生きられない、か弱く脆い存在で、それゆえにどこまでも親に無償の愛を注いでくれる。
それこそ殴っても蹴っても暴言を吐いても。
それでも、涙ぐみながらなおも申し訳なさそうに近付いてくる我が子………想像すると、安心感と嬉しさと愛おしさのあまり高揚する。可愛すぎる。
実際に育児中でなくてよかった。本当に。



自覚を持ててよかった

私たちのような見捨てられ不安の強い人間にとって、何らかの暴力を振るっても離れて行かない存在というのは、一種の薬のようなものなのだろう。
それに気付いて、こうして考えていて、怖くなった。
DV加害者になりうる要素を持っていたことに気付いて、怖い。
加害者側の心の奥底にどれだけ鋭敏な不安や人との繋がりを求める気持ちがあったとしても、大切な人に恒常的に暴力を振るうなんて許されない悪行だ。
そうなってしまったら人として終わりだとすら思う。
そんな形で愛情を実感し続けるなんて身勝手で自己中で最低だ。
だからこそ、そうなりかねない心理が自分の中にあったことが怖い。
でも、自覚を持てたという点では唯一幸運なのかもしれない。
どうかこの心理が暴走しないよう見張り続けていたい。
そして、もし暴走した時はすぐに専門家に相談できるようにするためにも。

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