ごぶさたしておりますm(__)m

すっかりご無沙汰してしまいました…。
母の容態がよろしくない、と4/22のnoteでお知らせしておりましたが、5月の上旬に永眠しました。

数年前から覚悟はしていたので立ち直りは早かったものの、“哀しみが癒えること”と“創作できる精神状態に戻ること”は全然イコールではなくて、(「早く復帰しなきゃ」という思いとは裏腹に)すぐにnoteに戻るのはまったくもって無理でした。
ここはつくる喜びや楽しみのエネルギーが溢れている場。
大好きな場所であるにもかかわらず、当分は見る気がまったく起きなかったのも事実です(自分の波動が、場のレベルに対し落差があればあるほど居心地に違和感を感じるのだ、ということもあらためて認識しました)。

現在少しずつ気分も上向いてきており、水面下での創作などゆっくりと活動を再開しています。
とはいえ、以前のように活発に作品をUPできるようになるには、もう少し時間がかかると思われます。「無理せず自分のペースで」を守るため、TLを見て回ることも引き続きお休みしようと思います。
わがままでごめんなさいm(__)m


母の若かりし頃の写真です
(私はあまり似てなくて、むしろ弟の方に面影が…)。

気持ちの整理も兼ねて、母のことを何かエッセイにまとめようと思ったのですが、あらためて書き起こしてみると本当にすごい人で…。
自慢話は母が一番嫌うので、やめておくことにします…。

それにしても。
母に対し複雑な感情があることは先日も書きましたが、あらゆる負の感情は、その相手が存在しなくなると同時に消えてしまうものなのですね。
それをぶつけることができる相手が(生きて)いる。すると、(上手く言えないのですが)受け止めてもらえると思うから、素直にならずそこに甘える(=ぶつける)、というか。
そういう意味では、母も私もお互いがお互いに甘えていたのだと思います。
母もまた、ぶつける相手が私くらいしかいなかったのだ…と、此度の葬儀を通して感じました。
親戚や近所づきあいのストレスの中で、やりきれない思いを抱えていたんじゃないかなぁ…。しんどさを顔に出さないだけで、母は母で頑張っていたんですよね。
生前はそれに気づいてあげることができなかった。正確に言えば、頭では理解していても、自分のことで手いっぱいで、母の気持ちを汲むことにまで気が回らなかった。
好き勝手なことを言う親族や、常識を知らないご近所さんとの関わり…面倒なことも「ちょろいちょろい」とばかりに当然のようにこなしていっていたけれど、その陰には我慢や忍耐、そして経験に裏打ちされた彼女なりの社交術があったのでしょう。
おそらく、そういった部分も含めて、母は私に享受したかったのでしょうが、最期まで報われぬまま、もどかしい思いを抱えていたと思います。
『親の心子知らず』『親孝行したいときには親はなし』と言いますが、本当にそうですね。
残り少ない生命を前に、なおかつその手を握っていてさえも、私は何ひとつ気づくことができなかった…。
それに対し自分を責めるつもりはありませんし後悔もありません。気づこうという気持ちはありましたから。
なので、亡くなった後に気づくというこの流れに「あぁ、そういうものなんだなぁ」と静かに納得しました。
彼女が小さな骨となってしまった今、感謝の気持ちでいっぱいです。


話が逸れましたが、そんなわけでnoteでの活動も、当分はかなりのんびりペースになる予定です。お知りおきいただければ幸いですm(_ _)m

で。とりあえず。
水面下で進めていたコラボユニットによる動画作品を、近日中にUPいたしまして、活動再開とさせていただこうと思います。

最後になりましたが、(Twitter経由で知って)温かいお見舞いやお悔やみのお言葉をくださった方々、本当にありがとうございました。

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