ここ数年のSNSの殺伐さが嫌だなって話
ギスギスしがちなワード片っ端からミュートして自衛星人、やさいせいかつです。
まあミュートしてても新しい用語がどんどん生まれては廃れていくこの令和の時代、何事も消費が早いので追いつかない。
まあ、ミュートワード貫通してきたバトルの中身を気になってみてしまうから、AIくんが「お前こういうの好きなのか?」ってしてくるんだろうけどね。
怖いもの見たさで見てしまう自分が恨めしい。
SNSは楽しいけれど、SNSは苦しい。
昔のインターネットも激しかったけれど、少なくともここまで胃もたれするようなトピックが飛び交っていたかと言えば違う気もする。
俺が歳をとって胃もたれするようになったのかな。歳をとるのは嫌だね。
今日自分の気持ちを整理したいなと思った今回のテーマを伝えよう。
題して「フェミニズムと、クソデカ主語で語る人」のお話。
Twitterで毎日のようにプロレスをしている一部の人達に怒られそうだけれども、自分なりの考え方とか思っていることを整理していきたい。
大前提として、俺はフェミニズム自体は否定しないし、女性と男性の立場の違いっていうのはまあ正直あると思う。
男女共同参画社会が叫ばれた時代に産まれて今年で26歳を迎える俺だけれど、やっぱり幼少の頃を振り返れば男女の社会的立場に差はあったと思うんだ。そして今もね。
昔のテレビ番組での女性の扱いであったり、男は外女は内とか、まあ一言でいえば偏見なんだけれど女に理系は無理だとか、男らしさだとか女らしさだとか。
女子の輪で遊んでいたら、男の子なんだからこういう遊びをしましょうみたいに言われていた同級生もいたし、その逆も然り。
俺が見ていたのは学校という局所的な環境だから、社会人がどうしていたのかは知らないし、分からないけれどね。
正直、ここに関して掘り下げても本題に入れないのでこの辺りでとどめるけれど、大前提として俺はフェミニズム自体は受け入れてると解釈して欲しい。
そして、1部のフェミニストの方の発言にも辟易としてもいる。
後で語るけど哀しきモンスターアレルギーを抱えた男の戯言だと思って気が向いたら読んでくれよな。
さて、題の通りフェミニズムだけでなくクソデカ主語で語る人としたようにメインの主軸は大きな括りで語りたがる人達のお話。
1を見て10を語る人達が嫌だなってことだ。
ここ数年、Twitterで女性VS男性みたいな構図でバトルを繰り広げている人達をよく見る。
その中でも一際言葉が強い人たちに共通して言えるのがクソデカ主語を使いたがるって事なんだよね。
こういう人、よく見ない?
「これだからオスは🤓」
「これだから女さんは^^;」
「オスは全員犯罪者予備軍」
「女は頭が悪い。論理的思考が出来ない。」
特定の思想を持っている人達の全てがそうだとは思わないけれど、1部のクソデカ主語の人達を見ているととにかくしんどい。
例えばこれだからオスはとかいう言い回しを使うツイートをしている1部の女性がいて、それを見た1部の男が大枠でdisられたと感じて不快になるのも分かるんだ。
ただ、そのさらに1部の男が同じやり方で返した時点で、同じレベルまで堕ちてるわけ。
何かをこじらせてモンスターと化してしまった1部のフェミニストの方も
「女さん/マンさん」って言い方をしてクソデカ主語で語る1部の男も同じで、両者共に哀しきモンスターじゃないかな。
差別は撤廃されたとか、男尊女卑だと語る人もいる一方で、「女は論理が死んでるm9(^Д^」とかクソデカ主語でレッテル貼る1部の男ももいるし
女性は苦しめられているとかクソデカ主語で語って周囲を煽った上で、「これだからオスは〜なんだ。」とか言って男性をこき下ろす1部の女性もいる。
結局、思考回路が違うのは当たり前だしどちらが優れてるとか劣ってるとかじゃない。
全ての個性の上で、調整できるところは調整して「みんなのんびり過ごせたらいいよね」っていう、あくまで「理想論の元譲歩し合う世界」を目指すのならわかるんだけれど
何かを引きずり下ろして這い上がるような様を見ていると、あぁ人間も動物なんだなってことを実感せざるを得ない。当たり前のことだけど、同種で共食いしている様を見ている気分だ。カマキリかな。
まあ、平等と対等の違いもあるとは思うし、完全な平等なんてのはやっぱり身体的な都合があるから不可能だとは思うけど、少なくともできる範囲で少しづつ均していこうとする意思こそが重要なんだと思える。
それでいえば、結局1部の平等を訴える反面何かを引きずり下ろすようなやり方には違和感を覚えるし
そういうやり方は結果的に争いを産んで最終的には男女の溝が深まっていく訳だ。
1を見て10を語る人間の戯言に振り回された結果、その戯言を抜かした1の人間を見て10を語る人間が現れる。
その繰り返しが、昨今のTwitterバトルの根っこだと思うし、そういう人たちが増えている気がする。
その先に待つ未来は対立だけで、お互いが譲歩して支えあう平等なんてないのにね。
同時に、広い視野で見れば平等を訴えた人を殴っている自分自身が差別主義だということも言えるかもしれない。
俺はそんな殺伐としたTwitterよりも、ねこかわいい、めしうまい、どこそこいった、激おこプンプン丸みたいなフワフワした語句が飛び交うタイムラインがいいな。
マンさんとか、オスとかそういうの辞めにしないか。やってるお前がキツいよ。
Twitterのフォロワーにも「女だから」ってクソデカ主語で語るやつはいるし、そういうのはまあ見ていて辟易とするし
地元の女友達でも「これだから男は」って俺に話してくる子もいる。俺も男だけど......って悲しくなるけど、きっと本人はそんなつもりで言ってるわけじゃないんだろう。
長くなってしまったけれど、結論から言えば争いは同じレベル同士でしか発生しないっていうのに尽きるのかもしれない。
どっちも哀しきモンスターだし、一部の人たちで噛みつきあうのは勝手だけれど、どこか山奥でひっそりとやっていてほしい。
TwitterのAIくんももう少し賢くなって欲しいな。バズってる=みんなが見たいお話じゃない。
ついでに触れてしまうと、AIがおすすめを判定してすすめてくるこの令和の時代。
便利になったなと思う反面、音楽アプリもSNSもYouTubeも、利用者の傾向に合わせてAIが判断してくれる世界になってから感じることがある。
それは一重に他の分野を開拓する機会が減ったなと。
昔はCDを買いに行ったり、本を買いに行ったりなんでもそうだけど自分の目と耳で新しいものを探すことが出来たけれど
いまはAIが便利に広げてくれる反面、同じような系統にしか触れないよなって。
そうなると特定の系統に偏った触れ方しかできないと気づいてから、積極的に仕事帰りに本屋に行ってみたりしている。
今まで知らなかった作家や、アーティストを知れるいい機会だし、割と楽しいのでおすすめ。
そしてこれは同時に特定の思想を持った人のタイムラインには、近しい人物で埋められるんだと思う。それがきっかけでバイアスに陥ってしまうんだろうな。陰謀論者とか典型的なこれだよね。
物事をできるだけフラットに見て、多角的に情報を集めて自分の意思で自分の判断を決めていきたい。そう常日頃思って生きているけれど、俺自身もきっと何かに寄せられていると思う。
特に音楽においては思想が強いと思うし、それをそのまま言葉にしてしまったら誰かを傷つけることも自覚してたりする。というか前科がある。
ふと、何かを攻撃したくなったり強い言葉を吐きたくなった時は一呼吸おいて、可愛いねこの動画でも見てみて冷静になってから自分の考えを多角的に纏めてこれからの時代を生きていきたい。今俺自身が出来ているかはわからないけれど、俺だけじゃなくこれを見た全ての人に心の平穏のあらんことを。
あぁ腹減った。
美味しい団子屋さんで茶でもシバいて餡子モリモリのもちもち団子頬張りたいな。
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