コロナウイルスと2つの三密
豊臣秀吉の御伽衆として仕えた曽呂利(そろり)新左衛門という人がいました。この人は、元々は堺で刀の鞘を作っていた職人で、本名は杉本新左衛門といいます。ですが、彼の作った鞘に刀を入れると「そろり」と合うくらい腕が良かったため、この名前で呼ばれるようになったそうです。また頭も良く、頓知の効いた話で人を笑わせるのが得意で、落語家の始祖だとも言われています。
ある時、秀吉が曽呂利新左衛門にほうびをやろうということになり、「欲しいものを何でもいいから言ってみろ」と言われ、それではと「今日は米1粒、明日は倍の2粒、明後日はさらにその倍の4粒と、日毎にもらう米粒の数を倍にして、それを100日間分下さい」と答えたそうです。秀吉は、「なんだ、そんなものでいいのか」と軽く承諾したそうです。ところが、新左衛門が1日あたりにもらう米の数は、最初の頃、例えば11日目は1024粒と、まだ大したことはなかったのですが、17日目になると65536粒(これで1升ぐらい)、33日目にはなんと42億粒にもなってしまいます。秀吉がいったい何日我慢したのかは分かりませんが、おそらく20日ぐらいになれば「これ以上続けるとヤバい」と気づいたでしょう。緊急事態宣言を発令し、ほうびを他のものに変えてもらったそうです。このように、例えば倍々で値が増えて行くような関数を指数関数というのですが、何かが指数関数的に増加する事象に出会った時、人間は、最初のうちはあまり増えた感じがしないので油断しがちです。ところが、ある時気がつくと物凄い数になってしまっていて、何をするにも手遅れ、ということが起こります。
実はこの話は、ヨーロッパやアメリカでの新型コロナウイルスの感染者や死者が爆発的に増える様子を見ていて思い出したものです。この号が出る頃にはどうなっているのかとても心配です。この原稿を書いているのは4月3日で、今の数字を書いても多分意味がなさそうなので具体的には書きませんが、日本は感染爆発のまさに瀬戸際の状況にあるようです。
ところで、落語の始祖が誰なのかは諸説あるようですが、Wikipediaによると、浄土宗の僧侶である安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)とするのが有力なようです(ただし、曽呂利新左衛門と安楽庵作伝が同一人物だとする説もあるようです)。策伝は、仏教の教えを滑稽にわかりやすく庶民に伝えるいわゆる「説教僧」で、仏教に馴染みのない庶民にも興味を持ってもらうために、仏教の教えを「笑い話」にして伝えていたそうです。その笑い話を集めた『醒睡笑(せいすいしょう)』という策伝の作品集があるのですが、これがいわゆるバイブルとなり、後に落語へと発展していったのだそうです。落語の噺に単なるバカバカしい笑い話ばかりではなく、人間の滑稽さや悲哀、さらには人生訓や真理のようなものまで語られるものがあるのは、ルーツが仏教の教えだったからということのようです。
例えば、「一眼国(いちがんこく)」という古典落語は、こんな噺です。
昔、「一つ目の国」があると聞きつけた男が、一つ目国から「一つ目小僧」をさらってきて見せ物小屋に売り飛ばして大儲けしようと考えました。ところが一つ目国に潜入した男は逆に一つ目人に捕まえられてしまい、珍しい二つ目だからと見世物小屋に売り飛ばされてしまったとさ。
この噺は、相手を捕まえようとして逆に捕まえられてしまう男の間抜けさや滑稽さと共に、人によって価値観には違いがあることを説き、そこから生じる差別を諫める目的で作られたもの、と考えて良さそうです。
コロナウイルスに関しても、少し前にはヨーロッパでアジア人が「コロナ」呼ばわりされて差別されていたようですが、最近は、ヨーロッパ旅行から戻った人が国内の感染源になっているそうですので、今や、白人の方こそ「コロナ、近寄るな!」と逆差別されてもおかしくありません。もちろんそんなことをしてはいけないことは、「一眼国」に語られている通りです。
ウイルスの伝染以上に悩ましいのは、こうしたデマや差別意識の伝染のほうかもしれません。少し前は「27度のお湯を飲むとウイルスが死ぬらしい」という、どう考えてもおかしな話(ウイルス弱っ!)が伝わってきて驚きました。このようなデマを一人が二人に伝えると、その二人がさらに二人ずつに伝え四人に伝わり、さらにその四人がそれぞれ二人に伝え‥という具合に広まっていくとすると、前述の指数関数的な爆発が起こります。ウイルスと違って潜伏期間がありませんし、ネットが発達した現在では、一人が伝えられる相手は桁違いに多いわけで、ウイルスの伝染を遥かに上回る超高速でデマが広がることになるわけです。
さて、私にもお気に入りの落語がありまして、それは「目黒のサンマ」という噺です。
江戸時代に目黒に鷹狩に出かけたある殿様が、昼食の弁当を忘れたため、近くの農家で焼いていたサンマを譲ってもらいます。炭火で焼いただけの素朴な料理ですが、脂ののった旬のサンマは、普段手の込んだ料理しか食べていない殿様には大変おいしく感じられました。その味が忘れられなくなった殿様が、後日、「またサンマを食べたい」と家来に命じると、家来たちは、庶民が食べる低級魚を出して殿様に何かあってはいけないと、身体に悪い油をしっかり落とし、喉に刺さらないよう骨を全部抜き、食べやすいように蒸し物にして出したところ、殿様はちっともおいしく感じませんでした。不思議に思った殿様は、「このサンマは、いずれで仕入れたか」と尋ねます。すると、家来が「日本橋魚河岸でございます」と応えます。そこですかさず殿様は、「それはいかん、サンマは目黒に限る」と家来を諫めましたとさ。
ざっとこんな噺なのですが、サンマを知らない世間知らずの殿様が、本来サンマの獲れるはずがない内陸の目黒を、サンマの本場だと思い込んでしまう滑稽さを笑う話です。でも、もしかすると、この時代にも、この話を聞いた庶民の間で「サンマは目黒がいいらしい!」というデマが飛び交って、サンマを買い求める人が目黒に殺到していたのかもしれません。
コロナウイルスの伝染を抑えるために、三密(密集、密接、密閉)を避けましょうと言われています。実はこれまた仏教にも、意味は違うのですが、同じ言葉があります。その意味するところは、生命現象は全て身(身体)、口(言葉)、意(心)の三つ(この「身口意(しんくい)」合わせて三密と言う)で成り立っているので、例えば空海の真言密教ではこの三つを大日如来と一体化させよ、と説いています。これをコロナ対策として解釈するなら、まず感染しないよう手洗いなどで身体を清潔に保ち、人に移さないよう口にはマスクをして、おかしなデマに惑わされないよう意識をしっかり持て、となるでしょうか。
いずれにせよ、この号が出る頃には感染者の増加が止まり、コロナも収束に向かっていることを心の底から祈っています。それまでは、湧き上がる差別意識は「一眼国」を思い出して抑えて、変なデマ話が聞こえてきたら、「目黒のサンマ」で笑い飛ばし、二つの三密をしっかり守ってがんばりましょう。
では、おあとがよろしいようで。
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