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成熟するアナログ 進化するデジタル

「ステイ・ホーム」が日常化するなか、 音楽業界には現状を反映したさまざまな変化が現れている。 YouTubeなどのデジタルメディアがミュージシャンの可能性を広げる一方、アナログの価値が見直されレコードの売上が微増しているそうだ。今回は、筆者のミュージックライフを通して、 テクノロジーの可能性に目を向けてみたい。

真空管アンプとレコードプレイヤーで音楽を聴く楽しさ

 令和3年は、1月8日の緊急事態宣言で始まりました。(3月21日に解除予定)

 またしばらくは「ステイ・ホーム」が続くことに少々うんざりした気分になり、そっちがそうくるならこちらにも考えがあると、以前から欲しかったレコードプレイヤーをついに買ってしまいました。さらに、どうせなら全部アナログにしてしまえと、小型の真空管プリメインアンプも一緒に購入し、本体が壊れて使わなくなっていた小型コンポのスピーカーを、まだ使えるはずだと物置から引っ張り出してつないでみました。これで準備完了です。

 とはいえ、大したレコードを持っているわけでもなく、学生の頃聴いていたダニー・ハザウエイとか、アレサ・フランクリンなど、ずっとダンボールの中にしまわれていた懐かしいレコードをかけているだけなのですが、これがなんとも気持ちがいいのです。ただの懐古趣味と思われるかもしれませんが、最近はパソコンのスピーカーかイヤホンでしか音楽を聴かなくなっていましたので、スピーカーのウーファーの振動に鼓膜や身体全体をも揺さぶられるような感触がなんとも心地よく、かつ、とても新鮮に感じらるのです。音楽って触れるものだったんだ、そんな忘れかけていた感覚を思い出させられた気分です。

 これはなにもレコードでなくCDであっても、ちゃんとしたオーディオで鳴らせばいいだけのことではないかとも思いますが、でもレコード盤を紙のジャケットから取り出してターンテーブルに乗せ、そっと針を落とすという一連の動作にはさまざまな感覚が伴っており、アクリルのケースから薄っぺらなCDを摘み出してトレイに収めてプレイボタンを押すのとも、散歩しながらスマホでアップル・ミュージックを開いてマウスでブラウズしてクリックするのとも全く異なる体験であることは間違いないのです。しかも、数値化されたデータをDSPで再現するデジタルオーディオの音なんかより、オリジナル音源を音の振動として溝に記録し、それを針で読み取って振動を再現するレコードのほうが、ホンモノに近いはず。ゼッタイそうに決まっているんです。どんなにクラスターが発生しようとも、ライブハウスに足を運んでしまう私のような愚か者が絶えない理由はきっとこの辺にあるのではないかと思います。これはアナログの魅力であり、そこにデジタルでは伝えきれない何かがあるはずなんです。

 では真空管アンプである必要があるのか。真空管アンプ初心者の私がこの議論を始めても、オーディオマニアの皆さんからという猛烈なダメ出しをくらうのが関の山なので、この話はこの辺でやめておきます。

デジタルが生み出す新たな音楽シーン

 一方、デジタルオーディオはこのコロナ禍でも躍進を続けているようです。最初の緊急事態宣言の頃は、オーディオインタフェースという、楽器の音をデジタル化してパソコンに取り込むために必要になる機器があるのですが、ステイホーム需要で一斉に品薄になり、なかなか手に入りませんでした。YAMAHAの21年3月期の第3四半期決算資料を見てみると、吹奏楽の活動停止や学校需要の落ち込みで、管弦打楽器は低迷しているが、電子楽器は全体的にステイホーム需要が旺盛で、むしろ供給が追いつかなかったために業績を伸ばしきれなかったと書かれています。近年の業績不振で数年前に上場廃止に追い込まれた電子楽器専門メーカーのローランドも、昨年12月に東証1部への再上場を果たし、決算発表前ですが20年12月期の業績は好調だったようです。コロナ禍におけるビジネスという面ではデジタルオーディオに分があるようです。

 一方、ライブがやりにくくなったためにプロのミュージシャンにとってはなかなか厳しいものがあるようですが、それでも最近は配信でのライブが当たり前のように行われるようになっています。私にとっても、軽井沢にいながら東京のブルーノートやピットインなど、以前より手軽にライブを聴けるようになったのは嬉しいことです。またYouTubeなどのオンラインメディアに活路を見出そうとするミュージシャンも増えてきていて、今までにない新たな音楽コンテンツも楽しめるようになっています。そんな中から、ストリートピアノのハラミちゃんとか、ストリートドラムの里英さんのような新しいタイプのスターも生まれつつあります。

 彼女たちがプロとしてスゴ腕なのはもちろんですが、それにもまして公共の場で通りすがりの聴衆の前で楽しく演奏する姿が、音楽の本来を思い起こさせてくれているようで心が温まります。そんな彼女たちを応援しようと広瀬香美がやってきて「ロマンスの神様」を歌いながらピアノを連弾してみせたり葉加瀬太郎がバイオリンと共に現れて、里英ちゃんのドラムに合わせて「情熱大陸」を熱演した時の現場の大興奮の様子は、YouTube映像を通じてもしっかり伝わってきます。広瀬さんも葉加瀬さんも、スポンサーや事務所の意向に気を使いながら思い切ったことができないコンサートの場よりも、実はこっちの方が楽しいんじゃないかとさえ思わされます。

 彼女たちのコンテンツは多いもので数十万から数百万、広瀬香美の回に至っては、千百万回も視聴されており、既存のメディアを凌駕する勢いです。ストリートパフォーマンスという本来はローカルで小さな活動を、その本来の楽しさや意義を保持したまま新たな価値を加えた上で、既存のマーケティングを飛び越して一気にグローバルに押し上げることができるのは、まさにデジタル技術の真骨頂とも言えるのではないでしょうか。

デジタルだからこその変革を

 ところで、こういうことを言うときっと怒られると思いますが、スポーツコンテンツだってYouTubeで見れればそれでいいじゃない、と私個人的には思っています。なので、オリンピック無観客開催で全然オッケーですし、別に全競技の全選手をわざわざ東京に集めなくっても、その競技に適した安全な場所を世界中から選んで、分散開催でいいんじゃないの?なんてとんでもない妄想すら抱いています。まぁ東京オリンピックはもう後には引けないのでしょうけれども、今後のオリンピックのあり方をどうするか、デジタル技術を駆使する前提で考え直してもいいんじゃないでしょうか。逆にその方が、アマチュアスポーツ本来の楽しさや意義を取り戻すチャンスになるかもしれません。

 コロナ禍を機に、デジタル化やDX(ディジタルトランスフォメーション)という言葉が流行し、政府もデジタル庁を立ち上げるべく準備が進んでいるようですが、ぜひ、何を本来のものとして強調し、何を余分なものとして切り捨てるか、メリハリをつけた議論の上で進めて欲しいものです。少し前に話題になりましたが自動で判子を押す機械だとか、あと最近増えているコンビニやスーパーの現金自動支払機などは本当に必要なものだとは思えません。判子や現金など、単なる道具で本来は無くてもいいもの。それらがなくても、本人の認証や、市場での価値の交換といった、判子や現金の果たしていた本来の機能を、デジタル技術を活用してどのように強化するべきか。そんな議論を望みます。

 え? いやいや、だからアナログレコードは本当に必要なものなんですよ。何
言ってるんですか。昔からそうと決まっているじゃないですか。

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