一人でも応援してくれる人がいる間は
アミーゴ、わたしはなぜかきみを好きになれないんだ!
山ピーのことを、かのじょに好きではないんだ、といってみる。
「ふーん、そう」と簡単にあしらわれる。相手にしてくれない。
そんなに二枚目か?そんなに歌も演技もうまいのか?とわたしは、アミーゴをあしらいたい。
嫌いだに近い感情があるとき、わたしはじぶんの何かを相手に投影していることの方が多い。
負けまいとしている?おれの方が二枚目だとでもいいたいんだろうか?
何を競ってるのか、じぶんでも分からない。
だから、ふんって思った時は、かのじょにじぶんが山ピーを好きではないんだ、といって確認している。
そうすると、いつも、「ふーん、そう」と簡単にあしらわれる・・。
彼が主演を務めた『正直不動産』は面白かったです。
毎週欠かさずみました。ご覧になりました?
1.山ピーが泣いた!
我が聖典、ウキペディアによるとこうある。
「千の言葉のうち真実は三つしかないという意味で、千三つといわれる不動産業界。
そんな業界に身を置く永瀬は、契約のためなら嘘をいとわずに営業成績をあげてきた。
しかし、地鎮祭のときに祠を破壊してしまったことで、嘘がつけない体質になってしまった。
わがままな顧客の要望、一癖も二癖もある資産家大家たち、次々起こる不動産にまつわるトラブル、そしてライバル不動産会社としのぎを削る闘いに、嘘をつかない正直営業で立ち向かう永瀬の姿を描いた皮肉喜劇。」
突然、ぴゅーと風が下から山ピーの顔を吹き上げるんです。
そうすると、祠の呪いにかかった山ピーが隠していた本音をずばずば言いだしちゃう。
契約があと少しの所でゴワサンになってしまうんだけど、正直にいったがゆえに、結局成約になる・・みたいな展開です。
役者として深みが無かろうが、セリフが棒読みだろうが、とても山ピーにぴたりあった役どころだった。
へたくそ?
だけど、彼は彼なりに真剣だった。
あまりに評判がいいので、2回再放送され、さらに、ドラマに出演した役者や監督、脚本家が振り返るというスペシャル番組も流された。
そのスペシャルもわたしは見た。(隠れ山ピー、みたいな行動)
先輩名優である山崎努からの手紙を山ピーが黙読したシーンがあって、彼、そこで泣いた。
おお、、山ピーが泣いた!
見てて驚いた。ああ、、彼ってピュアなんだ・・。
悪く言っていたじぶんがちょっぴり申し訳ない。
山ピーがひどく辛い時に、山崎さんは彼をサポートしていたのでした。
がんばれよって。
有名人でかつイケメンであるだけで、常にわたしのような男にひがまれる存在ですし、どう考えても役者の才能があるとは思えない。(私見です)
イケメン度が低い、ニノや中居くんに比べたら、演技は劣るんです。(私見です)
彼はそこを引け目に抱えてずっと生きて来たんだと思う。(もちろん、私見です)
2.さんまさんの、がんばれよっ
実は、以前の「行列のできる法律相談所」のスペシャルで、明石家さんまさんが自分の引き際について語り出したことがあったのです。
「ファンがもっと少なくなったら辞めようと思って、60歳で引退をしようと思っていた。
でも、周囲から落ちていくところが見たい、今辞めるのはカッコよすぎると言われて引退を辞めた。
次に辞めるのは65歳やなと。あとひと月。でも、そういうチャンスも失った」、と語った。
そこには山ピーもゲストで呼ばれてた。自分の人生を変えた人としてさんまさんの名をあげ、こんなふうに質問しました。
「20年ちょっとの芸歴で、何度も挫折しそうになって心が折れる瞬間があるんです。
その度にモチベーションをどのようにキープしていらっしゃるんですか?」と悩みをさんまさんに相談した。
さんまさんは、真剣にアドバイスした。
「一人でも応援してくれる人がいる間はやらなあかん商売だから。
山ピーをカッコいい、ステキって思う人がいる間は、悩む必要ない」と。
山ピー、「ありがとうございます」と、深々頭を下げた。。。
いいよな、芸能人や俳優は。定年ないし、有名人だし、と一見羨ましいような職業ではある。
いっぽう、わたしたちは、じつに地味な仕事を毎日してる。あまりお金にもならないし、誰に認めてもらえるわけじゃなし。
でも、山ピーはわたしたちでもあると言えるかもしれない。
常に評価され、また自分でも周囲と比べへこんでばかりいる。
上司(世間)は、おまえは才能無いといわんばかり。
これを続けていていいだろうか?もっと自分に合う仕事で輝いてみたい・・。
でも、今やっているこの仕事以外に思いつくのもない。。。目の前のことを必死にやるしかないんだ。
けっきょく、さんまさんが山ピーに伝えた言葉がわたしをうるってさせたのは、会社員であろうが、有名人であろうが、自分の才能の無さに悩み続けるという背景が共通にあるでしょう。
いっけん、すべてに恵まれたように見える山ピーと、わたしたちとは実はそんなに違わないかもしれない。
わたしにもある。
仕事もブログも「何度も挫折しそうになって心が折れる瞬間」があった。
そんなとき、やっぱりどうにか堪えられたのは、「一人でも応援してくれる人がいる」からでした。
自分のことだけ悩んでも答えは出なかったのです。
やっぱり、「やらなあかん商売だから」なんです。(ブログは1円にもなりませんが人生という商売をしてるように思ってる)
誰かが喜んでくれるから、わたしたちの存在価値が生じる。
それが商品であればお金が動き、それがブログの記事であれば共振という想いが動く。
商売とはそういう動きそのもののことで、悩んでる暇があったら、もっと多くを喜ばさんかい、ということでしょう。
あなたの価値はあなたが決めれない。
でも、あなたの支援しようとする周囲へ向かうエネルギーは唯一、あなたが管理できる。
もうだめだ・・とあきらめそうになった時、
こころのザワザワを落としてみて、どんなお役立ちが出来るんだろうと振り返ります。
小さな頃、母や父を喜ばせたかったんだし、友達が喜んでくれた。
あれと同じ心持に戻って、また、1からはじめればいいだけなんだと気が付く。。
山ピーに伝えた山崎さんの言葉も、さんまさんと同じことを言っていました。
2.横浜のこと
最後の5年間は横浜の職場でした。
行くたびに、わたしも、周囲に喜んでもらうということを念じた。
それは、おべっかやゴマすりとは逆で、相手が最終的に喜んでくれると思うときは、きついことも言ったのです。
喜んで相手の困り処を探りました。
困っていることがあったら、代わりにどんどん引き受けた。もっとくれ!とまで言った。
なんで冷徹に成績をあげてきたわたしが、突然正直不動産になったのかというと、それは祠の呪いのせいではなかった。
サラリーマンの最後の期間は、人と比べたり争ったり、バカにされまいと虚勢を張ることに意味がなくなるのです。
再雇用期間というシーズンでは、組織はわたしを必要とはしなくなる。
誰もおじさんを相手しない。評価もされず、何をどうやっても給料は以前の数分の一のままなのです。
だから、これは美談ではないのです。
しかたなくじぶんが出来ることを探しているうちに、「とにかく同僚を助ける」ということに集中していったのでした。
困ってることない?と聞くと、相手は最初、モゴモゴいってるんですね。
何度も、困ってることない?と聞いてゆくと、段々と「実は」と言い始める。
こちらは経験も人脈も豊富ですから、な~んだそんなことか、と思う。
で、やっておくよといって、ちゃっちゃとする。
できたよーと報告すると、とても喜んでくれる。。
やがて、困ってることない?と聞くと、今度は「相談したいことがあるんです」という。
ふむふむと聞いてあげるだけで、相手は混乱が整理され、すっきりする。
ありがとうございました、なんて礼まで言われる。
当事者というのは、ほんとにたわいもないことに悩むのです。
みんな競ってる職場でしたから、なかなか相談相手がいないだろうという点をわたしは掘って行った。
とにかく、暇が出来たら、同僚を捕まえては「困ってることない?」と聞く日々でだった。
みんなは競争状態にいて、最初はそんなわたしを信用してくれないのです。
そんなねぇ、、無償だなんて。カンプキン詐欺?みたいな。しかも、うんと年上だし。
何も見返りも求めず期待もしない、そういうわたしを確認してしまう。段々と信頼関係が出来て来る。
そうすると、実に意外なことに、彼のためにやることがわたしにとってすごく嬉しいのでした。
ああ、あの人のためにやってあげたいって、思う。
月曜日にはまた、かれに会える。
ほんとに働くことが楽しかった、給料のすごく低い、5年間でした。
わたしは、じんせいで初めて競うのではなく、人の為に働くという喜びの経験をしたのでした。
3.彼の素晴らしい資質
「喜んでもらう」というのは、すごく難しいスキルだと思います。
意図的にそうしてしまうと、相手を操作してしまう。
けっきょく、それは自分のために相手をコントロールしようとしている。
満足したい、評価されたい、褒めて欲しい・・という背景を相手はちゃんと感じてしまう。
だから、喜ばせたい、励ましたいという意図を持たずに、まったくリターンを期待せずにそっとできないとなりません。
でも、まったく意図をもたないと、なんにもしないままに。
誰にも期待されなくなったわたしは、もうじぶんの処遇は諦めてた・・。
山ピーもいよいよ窮地に陥り(年齢的にも)、腹をくくって演技した不動産だったのかもしれない・・。
きっと商売のプロ(芸人も俳優も会社員も)とは、そこの微妙なところを超えている人たちでしょう。
たとえば、さんまさんは、「やらなあかん商売だから」と商売の目的に身を捧げていて、そこに自分の欲や恐れを差し挟ませない。
悩むなんて無駄なことで、そんな暇あったらもっと商売に励みなはれというでしょう。
おのれの我欲を明け渡すなんて、専門ボウズにだって難しいのだけれど、
そこの1点を超えたから、さんまさんはいつまでもメディアに呼ばれつづけている。
彼は結果を狙ってなくて、ひとえに身を捧げるというプロセスだけを気にしているように思う。
告白すると、わたしはさんまさんが好きでもないし、その芸が面白いとも思わない。
だけど、そのプロ根性には頭がさがる。
じんせい、思う通りに行くことは滅多にないし、結果に満足することもないのですが、
けっきょく、わたしたちに唯一できるのは、他者のために在るという過程をたいせつにすることぐらいなんでしょう。
仕事を辞める、仕事を変えるという問題の根っこには、
わたしたちがたいせつにすべきことにまい進できていないという事実が1つあるんだと思う。
結果は、プロセスの延長線上に来るのですが、そのプロセスをないがしろにして、良い結果ばかりを欲しがっているのかもしれない。
いつまでも、良さそうな他者を羨ましがって終わってしまう。
わたしは、山ピーが好きでもないし、演技がうまいとも思っていない。
でも、きっと、わたしは山ピーにじぶんの未熟な揺れるこころを重ねているんだと思う。
と投影させるほどに、彼はわたしに素を出しているともいえる。
山ピーが折々に周囲から励まされてきたのは、かれが素直に聞く耳をもっていて、また、正直であるということによって担保されてきたんだとおもう。
それは彼の素晴らしい資質だと思うんです。
こころがわざわざする時は、そのざわざわをよく味わって見る必要がある。
卑しさ、浅ましさ、ひがみ、ねたみ・・そういう感情を無きものとしないで、その事実をちゃんと味わってあげる。
そういうネガティブは本来あってはならないんだと決めつけことなく、掌に載せてみる。
誰にも相手にされないで惨めだと思ったという事実。
会社のせいにしようとしていた事実。
給料が数分の一に減らされたことを屈辱と感じたという事実。。。
ちゃんと受け止めてあげれば、じゃあ何が出来るんだろうかと自然と答えはいつも出て来ました。
素直であるということは、ちゃんと自身を見ている人だからなんだと思うのです。
誰でも働いていますが、仕事を「自分自身をみる訓練」と捉えている人は少ないと思います。
1つ1つの小さな積み重ねが、やがて、あなたを周囲にとってたいせつな人に育てる。
もちろん、金持ちにも有名人にもさせてはくれないのですが、他者比較の地獄からは抜け出せます。
そして、「一人でも応援してくれる人がいる間」は、その人のためにやるあなたのすべてのことが「やってみる価値がある」というのです。
P.S.
わたし?
偉そうに言っていますが、まだ修行中。
すくなくとも、ほとんど好きでない、さんまさんと山ピーに敬意を表せる人にはなれました。
もちろん、来年1月3日のスペシャル、1月9日からの『正直不動産2』制作決定!はたいへん喜んでおります。
楽しみぃー!
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