ピタッと書けなくなる
想像上の他者からの期待だったり、じぶんへの期待が勝手に膨らんだのでしょう。
時々、こんなふうに書けなくなります。かなり、困る。
いや、でも、ずーっと読んで来てくれたあなたが、声無き声を上げているんだ。
わたしは、あなたが危ないって直感する。
おいら、がんばらねばっ。
ああ、、ますます辛くてよろよろ。
1.気に入らないっ
パソコンの画面にいくつか記事卵が放置されたまま。
どの子にも、しっとりとした、ガシッと握ってる感じがぜんぜんしない。
じぶんの胸が動かないものを書いたって、あなたには届かないし・・。
もう3日目です。
なんとかならんかこのモヤモヤ!ってわたし苛立ってた。
わたし自身が混乱してる?
じゃあ、この子たちを並べて見てみたらどうなんだろう?
何をあなたに届けたいかが分かるかもしれない。
いや、なぜ書けないのかが分かるかも。
① 期待が押し殺すとき
ある記事卵は、歌人のことを書いています。
皇后美智子さんに歌を指南した女性だった。
歌人は、過剰な期待と管理で娘を窒息させてた。
過剰な期待を背負った娘は、東大に入学した年に自殺してしまう。
歌人自身も自分の母親の期待と戦ったのだけれど、それを娘にも強いたでしょう。
で、歌人は自分の傲慢さを真摯に背負い、一生娘の鎮魂に歌を作り続けた。
歌人が亡くなった時、皇后は歌人に歌を捧げる・・。
もっとわたしの肌の近くにもって来て書きたいのにそうは書けない。
② 期待がまったく無い関係
ある記事卵は、期待がなかったらどうなるんだろうかと問うている。
思わず、古い友人からメールをもらったのです。
彼とは27歳の前後の数年間を供にした仲だった。
あなたは、こんなことを言った、こんなことを教えてくれたと彼が言う。
わたし、ぜんぜんそんなこと覚えていない。
昨日もポリーニが弾いた曲を聴いたんだという。
彼は青年の時から、わたしが薦めたクラッシックにはまって行ったようでした。
彼は、何十年もわたしを覚えていてくれていたんだ・・。
時が満ちて、またわたしに近況を教えてくれるようになった。
いったん途絶えた関係が長い伏流の後にまた地表に現れた。
なんの期待も無かった関係だったからこそ、こうして再開されたのかもしれない。
いや、期待をまったく持たないなんて無理だ、たまたまだ。
③ 無責任な期待
「こうしたらいい!」を言いすぎた方の記事を読んだのです。
大事だと考えたからそう発信して来たという。
でも、ふと、自分がそうは成っていないから、そう有るべきだと言っていたに過ぎなかったと気が付いた。
彼は自分の足元見て、自分がぜんぜん出来てないことに気が付いた。
ただ主張しているだけの、その無責任さ。。。
徳のある人は、徳を持ちましょうなんていわない。しあわせである人は、しあわせを探さない、ですからね。
期待自体が良い悪いという以前に、自分自身に目を向けてないとわたしが書き出している。
「正しさ」という期待を、自他にぶつけているだけだったと気付いたと思う、と書くわたしはいったいどうなんだろう?と気になって仕方ない。。
こうして並べてみても、期待ということを書きたがっていることは明らかです。
けど、なぜ書けないのかがちっとも分からない。
期待ってしてはいないものなん?
きっと、ナイフが料理を作ることも人を殺すこともできるように、「期待」も手段でしかない。
けど、人は、「期待」というもろ刃の剣自体を意識することがまず無い。
この子たちにわたしが「期待」を持ってしまってるのか。
いや、そうなんだけど、なにか外してる。
なにかから、逃げている?
2.自由から逃げる
うまく行けば、美味しければ、満たされれば、またそれを願ってしまう。
読み手が反応してくれればくれるほど、期待フーセンは膨らむ。
自他に期待しないという人は、あんまりいないでしょう。
それは、でも、記憶に縛られて、今在る苦を単に逃れようとするあがきとなる。
今が「苦」であれば、すぐさま逃れようとする条件反射に近いもの。
ああ、でも、自由からの逃走は、何も解決しない・・。
自由って、なんでも好きに出来るというんじゃなくて、きっと掌の上にじぶんそのままを置いておけるということ。
自由って制約が無いことではなくて、制約をリアルに分かっているということ。
嬉しいじぶんも、辛いじぶんも、不安なじぶんも、どんなじぶんも解釈無く受け取っている。
良いこと来い!苦痛は去れ!は、自由な状態ではないです。
掌にじぶんを置けば、どうするかの次の起点がつかめでしょう。
次の行動が呼び出せる。
わたしを制約するリアリティは去らないけれど、そのリアルの制限を分かっている。
だから、なるようになり、するべきことをすることが出来る。
自由にのびのび書きたい!ってわたしは思うのだけれど、制約がないことじゃなかった。
自由って、記憶からの解放を言う。
3.救われた朝
じぶんで書いているくせに、どれもこれも気に入らなかった。のびのび書かせてくれーっ!
いや、良いこと来い!苦痛は去れ!は、自由な状態ではなかったのです。
そういう日が3日ほど続き、こりゃもう一生、じぶんは書くことなんかできないんだと辛かった。
わたしは、この辛さから逃げたかったし、あなたは、相変わらず、きっとこころがヘロヘロのようだし・・。
が、今朝、目が醒めて来て、
意識が夜の世界から、またこの昼のリアリティに来る間際に、あって気が付いたのです。
そうだ!、絶望が深いほど、望みも大きかったんだと。
期待ではなく、わたしの望みだったんだと。
突然、書くことが救いに変わった。
絶望は、希望の裏返しだったと分かった。
うまく表現できないし、ちゃんとお伝えできそうもありませんほろほろ。
けど、病むほどに、しかし、変容をみずから望んでいたんだということに納得したのです。
大きな苦しみならば、大きく変わりたいのだと。
大きな変容を望まなければ、こんなにモンモンなんてするはずもないのです。
ならば、わたしは再び、力強く書き始めることができると瞬間に分かった。
ああ、ぜんぜん、うまく説明できない。
期待という制約から逃れようとしていたじぶんに、ようやく制約をリアルに受け取る覚悟をさせた朝でした。
う~ん、ぜんぜん、説明になってない。
まっ、とにかく、ほろほろ君よ、期待を打ち破ってくれてありがとうっ。
あなたにまた、書きますほろほろ。
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