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たとへば君・・・ たとへば君・・・


衝動的な性、ずっと生きないといけない生。

いつも男と女は、この矛盾した両者を携えて出会うのだけれど、運命をまっとうするには1つの前提がいる。

このお話は、美しくもあるけれど、とてもありふれてもいるのですほろほろ。



1.あなたの物語


21歳のあなたは、1歳年下の彼にこう歌った。

「たとへば君 がさっと落葉すくふように
     私をさらって行ってはくれぬか」


お互いが学生で、歌会で出会った。

あなたには他に思いびとがいて悩んでいた。

彼は、あなたの向こうに感じるその男からあなたを奪い取りたいという想いがつのる。

最初は半年に一度会う間隔が、月に一度へ、週に一度へ、2日に一度へと変わるのに時間はかかりませんでした。

冬の植物園の誰もいないプラタナスの木の陰で、彼は急にあなたの唇をうばう。

驚いてあなたは泣きだす。

あなたにとって初めてのキスでした。


彼があなたに惹かれたのは無理もないのです。

あなたの繊細で大胆なこの歌は、内面の大きさと深さ、女性というものの神秘さを示していた。

いっぽう、あなたは病気がちで高校の1年間休業してから、人の身のはかなさをよくよく実感していた。

それがかえってあなたの夢見るロマンチシズムというようなものを掻き立ててしまったでしょう。

あなたは、病院に疲れながらも通ってくれる母にすまないと思う一方、

少女から大人になる潮がからだをめぐり始めていた。

そうして、青の未知に踏み込んだ時に知り合った。



彼は知的なものの未だ少年の細き首のままでした。

青の時空をどうやって突き進んだらよいかが分からなかった。

粗野と繊細を併せ持つ彼にどんどんと惹かれて行くあなたは、この歌を同人誌に発表した。

とうぜん、彼がこれを読むことは知っていた。

そうして彼はやがて冬の植物園にあなたを誘う。。


たとへば君・・・ たとへば君・・・。

たぶん、彼はつよい衝撃を受けたでしょう。

落ち葉をかき集めるようにまったく無造作に扱われることを乞いながら、でも、異性に少しも媚びていないのです。

女というもののプライドをばんと突き出し、待っている。

だから、彼は、ひがんだりねたんだりする己の矮小なこころをあなたの高みにふさわしいものにして行こうとした。

けっしてへりくだらず、媚びもしないあなたに反発しながらもだんだんと近づいて行く。

はかなげで無垢だけれども、あなたの心は激しく求めているんだと彼は確信したでしょう。

この歌は、生と性に目覚めた者たちの背中を押して行った。


たとへば君・・・ たとへば君・・・。

まるで普通の会話であるかのように「たとえば」という軽い誘いです。

けれど、そんなふうにしてあなたはおのれの性を正直に語りました。

でも、そう性を語ると言うことの一方には語られぬこともあったのです。

それは、ひとりの人間としての生もわたしにあるのよと。

性は乱暴に強制的に両者を傷つけ結ぶものだけれど、

ひとは何十年もにんげんとしての生も生き延びねばならないのです。


たとへば君・・・ たとへば君・・・。

ぜんぜん例えになっていないのです。

例えばと言いながら、あなたは直接的に性を語った。

その大胆な宣言が彼をさぞ驚かせた。

ええ、わたしたちは、内に秘めたるものを相手に差し出すことはしないのです。

でも、あなたはそれをした。

若くして死に直面したからだと思うのです。

40キロほどの体重しかなかったひ弱なあなた。

結婚し子をもうけ、そして、64歳で死んで行きました。

その間の40年あまり、彼と数百の歌を取り交わした。

性が結んだ生が、こうして全うされました。


たとへば君・・・ たとへば君・・・。

ええ、たとえば君でなくともよかった。

たまたま出会わなければ他の人とつがいとなっていたのです。

それは偶然でした。

でも、その偶然を通じて織りなされる生で、あなたの凛としたものが必然に試される。

相手、環境、境遇にけっして屈することのできない、あなたの中の何かがそれを貫けと命令して来る。



2.絶対の条件


『たとへば君―四十年の恋歌』は、 河野 裕子 (著)、永田 和宏 (著)となっているけれど、既に河野さんは亡くなっており夫の永田さんが書いたものです。

二人の出会いから40年を経て河野さんが亡くなるまでふたりがかわした短歌が載せてある。

わたし、泣いちゃいました。

10年前にこの本のことは書いたのだけれど、もういちど読み直してみた。

のだけれど、やっぱり泣いてしまう。


もちろんこの地の掟に従い責務を背負うのですが、相手が縛っているわけではないのです。

相手を従わせようというエゴが、自身を縛るのです。

この世に妻を所有物として扱う夫は多いのですが、ふたりの間にそれはありません。

同志と言う言葉がふさわしい。

いつもこころは自由に開かれることを望んでいます。

相手をモノ扱いする時、実は自分自身もモノ扱いしています。


ふたりが運命をまっとうするには1つの前提があるでしょう。

生涯、相手を尊敬できるのか、という問いです。

それは、外見でも学歴でもお金でも無いのです。

自分が心地よいか、安心か、性的に惹かれるか、有利か不利かでは無い。

「あなた」という存在そのものへのリスペクトがあるか。

尊敬のこころを持てないのなら、最初から近づかないに限ります。

喧嘩してもいいのだけれど、別れてもいいのだけれど、相手の中にたった1点でもいい、ゆるがぬ尊敬が必要です。


歌の才に恵まれた彼女は、若いころ、生きるのが「しんどくてしんどくてしようがなかった」といいます。

繊細すぎるのです。

そんな時に永田和宏さんと出会い、「あなたはそのままでいいよ」と言ってもらった。

「それまで自意識が裸になって歩いていたけれど、永田和宏という存在が、私に薄膜を張って生きやすくなりました」と言っています。

ええ、でも、彼女は夫に頼ったわけではないのです。

永田という鏡を手に入れたでしょう。

突き詰めれば、わたしたちはひとりぼっちなのです。

その寂しさや不安を埋めようと他者を持って来て利用するのには、無理がある。

自分がひとりぼっちだと認めれば、もう一人のひとりぼっちも認められます。

「尊敬」という言葉は、自己認知の深さを示しています。



3.あなたたちの最後の歌


河野裕子さんは、中学のとき、国語教師に「河野は短歌がいいね」と言われてから俄然やる気になった。

高校に入ってからは積極的に新聞、雑誌に投稿を始める。

で、ふたりが出会った頃の21歳の河野さんの歌が、「たとえば君・・」。

恋の苦しみと性を彼女は歌い、とても有名な短歌となりました。

時が流れます。

彼女は病院のベッドに寝ながら、横にあるものなら何でも、ティッシュの箱や薬袋に書きつけた。

「兄のような 父のような夫がゐて 時どき頭を撫でてくれるよ」

「一日に 何度も笑う 笑い声と笑い顔を君に残すため」

「さみしくて あたたかかりきこの世にて 会ひ得しことの幸せと思ふ」

彼女の最期の歌が、これ。

「手をのべて 

  あなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が」。


妻が亡くなってから永田さんが読んだ歌です。

「亡き妻などと どうして言へようか てのひらが覚えてゐるよ君のてのひら」

「女々しいか それでもいいが 石の下にきみを閉じ込めるなんてできない」

「わたくしは死んではいけない わたくしが死ぬとき あなたがほんたうに死ぬ」


ふたりは、ずっと歌を交換したのでした。

いいえ、生涯連れ添うことが素晴らしいのではないのです。

相手を生涯尊敬できるという、その生き様が素敵なのでしょう。

生き様はおのれが決めるもの。

おのれ対するプライドをここにみます。

見事な本にほろほろします。

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