あなたが蝶へと変わるとき
なぜ、かのじょのことを書くのか、聞いていただけます? 長いですほろほろ。
1.アンビバレントなわたし
かのじょはわたしが書いた文を読もうとはしません。
そもそも、識字障害があって文字を読みたがらない。
で、あなたのこと、こんなこと書きましたというと困った顔をする。
何やら自分とは微妙に異なる人がそこにいる。それ、わたしじゃないって言う。(でも、相棒は既に書き終わってUpしている)
ああ、、あなたはそんなふうに描きたいのね、、とため息つく。
書いて欲しく無いなぁ・・、という。
いや、わたしが書かないでどうするん!
わたし以外のいったい誰があなたを書けるというんだっ!
ネタ無い信徒が教祖を脅す、みたいな構図になっている。
かのじょを書いてしまうのは、わたしに友だちいないせいばかりじゃない。
”競う”とか”比べる”がかのじょから脱落しているのです。
始終イライラしてばかりのわたしからしたら、今世ぜったいに行きつくことのない境地にいる。
書かずにおられようかっ。が、わたしは、失敗ばっかりしているかのじょに時々呆れ、苛立つ。
2.かのじょの日々。
些細な笑いを拾って来ては、「こんなことあったのよぉ」、「あんなことしちゃったの」とか嬉しそうに言う。
付き合い程度にわたしは、笑う。ふーん、そうなんだ。わたしは真面目なので、笑い手としてはあまり適していない。
ひとり寂しい時は、かのじょはテレビに相手をしてもらってる。
「つまらない」という言葉をかのじょから聞いたことが無い。
関心が高いドラマか、低いドラマかとしか思っていない様だ。
暴力がなければ何でもよくて、いつまでも見ていられるという特技がある。
寂しかったりするのか、時に歌をふんふんと口ずさむ。
母のことを話す時は、きまって鼻をすこしすすってから話す。
あっ、と思い出してはお菓子を食べてる。(目が合うとへへっていう)
この景色の中では、わたしへの”期待”ということは、ない。
かのじょには、「こうあるべきだ」が欠落している。
そうなら、そうで生きている。批判も解釈もしてこない。
なので、わたしから思わぬ”親切”が為されると、素直に喜ぶ。
わたしたちは趣味趣向がぜんぜん合わない。
わたしは、出会った時からずっとかのじょに「みやこさん」と呼びかけてきた。
リスペクトというと大袈裟になってしまう。
どうしてそんな穏やかで在れるのか、わたしはずっとあなたが「不思議」だ。
怒ったことがない。誰も批判しない。いつも笑ってる。
話し掛ければ、100%の集中でこちらに向き合う。
きっと、わたしはとんでもなく不思議がり屋なんだろう。
その生態が謎で、わたしのワンダーが尽きない。
相手へのなんらかの尊敬があるからと言って、相手や自分が完全体である必要はないんだろう。
パーフェクトでなければ尊敬できないというような、交換条件にはない。
実際、お互い、すごくデコボコしている。
だから、イラチなわたしは時々、かのじょの気の利かなさにイラっとする。
「おおーいっ!」と、!が付く。
いつも穏やかで、人が喜ぶ姿を望むこのひとは、生まれつきだったのか?
3.つまぐれ、みやこ
母は、姑と始めた駅前食堂の切り盛りで大忙しだった。
上の兄たちは仲良しで始終外で釣りばかり。
近所には女の子は生れない。街のまずい水のせいだと大人たちは言った。
駅舎の裏にレンゲ畑が広がってるだけ。
朝早くから深夜まで食堂は家具職人たちのためにあけられていて母は解放されない。
お酒も出していたので酔客はいつまでも帰らない。
かのじょは、食堂の続きの居間でずっとテレビに子守してもらっていた。
やがて、店が閉まる。ああ、、まだ起きていたんだねとようやく母が戻って来て声を掛ける。
それから、テレビがこんなこと言っていたとか、子猫が道にいたのとか母にあれこれ話す。
ふたりでようやくお風呂に入る。深夜1時を回ってから寝ていた子供だった。
3歳か4歳ぐらいだったそうです。
”つまぐれた”記憶にあるというのです。(すねていじける、という筑後の方言です)
「わたしね、腹を立ててたの。すごく。
でね、わたしは足をぷいって通路に投げ出して座り、通りを塞いだの。
でもね、みんなそこを通る時、おお、みやこがつまぐれとるって笑いながら、簡単にヒョイッて跨いで行くのね。
ぜんぜん、わたしの小さな足なんか役に立たないの。
わたしが怒ってたという記憶があるの。」
あなたがそんなにプンプンしてたなんて想像もできない、とわたしは言う。
「たぶん、心理学的に言えば、社会的欲求が満たされちゃったのね。
わたし、こんなに怒ってるんだ!-って意思表明した。そして、誰もそれを咎めなかったの。
3歳で出したいだけエゴを出したんだと思うの。わたし!、怒ってるぞぉー!ってね。
だから、小さい時にわたしの”表明したいぞっ容器”の中の水はぜんぶ空になったの。
それからはもう自我を出したいってそれほど思わなくなったのかしらね」。
たしかに、その理屈はあってるかもしれない。
わたしの母はわたしにエゴを出させなかった。
わたしがそういう表現をするのをとても嫌った。なので、今もわたしはエゴまみれだ。
マズローのいう社会的欲求うんぬんの前に、早期に満たされないといけないことがあるだろう。
5歳ぐらいの時の、年中さんの思い出もあるという。
「幼稚園だったの。わたし、おもらししちゃったの。先生はひどく怒り、わたしを部屋の隅に立たせたわ。
下着のパンツも履かせてもらえなかったの。替えもなかったのかしらね。
ずーっと立たせたままにしておいたわ。
今なら、信じられないようなことをその先生はしたの。
大きく成ってから、その先生の家に出前を持って行かないといけないこともあったんだけど、ほんとに、行くのが嫌だったわ。
でも、母に頼まれたら、行くしかないの。。」
「わざとじゃないんだもの。ねぇ、小さな子におもらしって普通にあると思うの。
なのに、ずっと隅っこで立たされてた。
みんなからジロジロ見られてるようで、ひどく居心地悪かったわ。
そこでの居た堪れない時間がすごーく長かった記憶があるの。
で、やがてみんなが帰る時間が来たわ。
みんなが立ち上がる。立ちんぼはわたしだけだった状態から、ようやくわたしがみんなに紛れ込むの。
それは、今でもわたしにとって激烈な記憶の1つになってるわ。」
4.チェンジが起こる
やがて、小学校にあがる。
以前にも触れたけど、自分をいじめた男の子が場面変わって、クラスで虐められた。
胸がほんとうにキリでグリグリとえぐられたという。見ていただけの自分の胸が物理的に痛かった。
理不尽なことが起こると、自他の区別なく胸はえぐられるようになった。
3歳ぐらいから10歳の間に、つまぐれみやこの視座が自己から他者へと切り替わったのか?
もう、自分のためにプンプンしなくなっていた。
蛹は蝶にメタモルフォーゼした。
わたしたちは、ネガティブを人から浴びて行く。
怒り、悲しみ、悔しさ、寂しさ・・。子どもは覚えて行く。
その時、苦しい感情をじっと見つめるということが起こって行くひともいる。
なぜ相手はそんなことをしたんだろう?なぜ自分は傷ついたんだろう?を延々と考えていたと、本人は言う。
つまぐれみやこも、思考育つにつれチェンジして行ったんだろうか。
辛がってるじぶん自身を熟慮するってわたしには難しかった。
母のせいにする方が簡単だった。
じっさい、孤立無援だった母はわたしによく自分の苛立ちをぶつけた。
わたしは、途方に暮れ、ただただ悲しかった。
でも、だんだんと、批判できるようになった。
母を嫌う。好きなのに、嫌いなのだ。
わたしは母親らしくない母が許せなかったし、母に完全を求め続けた。
「こうあるべきだ」というこの完全体神話は、じぶん自身も染めて行く。
わたしは、ずっと、良い人で、勉強できて、立派で、人に尊敬される一角の人物にならなければならなかった。
相手が、あるいはじぶんがパーフェクトであればうまく行く、しあわせに成れる、であろうという神話だ。
人を恨むということは、交換条件をじぶんにも強いる。
もちろん、わたしは、じぶんが完全体神話を信奉してるなんてずっと気が付かなかった。
わたしの母は、わたしが「つまぐれて」いることを許さなかった。しかし、許された者が地上にはいた。
5.何に怯えていたのか
ある方が、こんなこと書いていた。
54歳で直腸がんと診断された。
残された寿命があとわずかだと知ったとき、意外に自分が落ちついていた。
がん細胞も自分自身だと気がついたという。
少年時代からその人にとって、この世界は恐怖そのものだった。
生きていることが恐怖そのものであったんだけど、
でも、がん宣告の衝撃で、自分自身が一番恐ろしいのだとようやく気がつくことができたという。
すると、自分以外恐いものはなくなった。
予想外のこの発見が、ひとすじの希望の光となったといいます。
以来、十六年間、まだ元気に生きていますと結んでいた。
それまで抱えていた恐怖の対象が、外部から自分自身へと移り、
自分自身を受け入れることによって、外の世界に対する恐怖が消え去ったという。
これも、1種の完全体神話かもしれない。
怖さに対して、それに完全に太刀打ちできなければならないと思い込んでいた。
リアルな自分を否定し、完璧な対応を自身に強制したんだと思う。
でも、自身も完全体として対応しなくていいのだ、そんなの無理じゃんって気が付いたでしょう。
一番の根っこは、デコボコしている自分を受け取ったことだと思う。
病気にもなるし、免疫さがるし、自分を責めたりする存在なのです。ビビリもし、怖気ずき、ひがみもする。
それでも健気にがんばってくれるこの自分というものを、見た。
がんばってるなぁーって、はじめて自分自身をリスペクトできたでしょう。
かのじょは最初から傷を持っていたし、スペクトラムのせいで人並のことは出来なかったのです。
悪気なくとも気を利かせてあげれない。なんでも、忘れっぽいし識字障害だし。
みんなが虐めてくるかもしれないという恐怖があったと思う。
いつも人の機嫌をうかがってたのかもしれない。
世界は自分を傷つける所であり、自分は対処できないひと。
あまりに己がデコボコすぎる。
ぜんぜん完全体じゃないことをかのじょは最初から受け入れざるを得なかったでしょう。
がんばれば報われるという交換条件は最初からあり得なかった。
6.激烈なる記憶を他者に伝える者
この世には、かのじょや作家の岸田奈美さんのように、苦痛を笑いに変える者がいる。
かのじょたちは、じぶんに起こった悲劇を面白おかしく他者に話して行く。
「そげなこと、あるけんね」(そんなこと、あるものね)って他者も共有してくれる。
わははと笑ってくれると、なんだか、たいしたことじゃなかったように思えて来るそうだ。
そうだ、弱っちいわたしでも楽しさをちょっとは人に分けることができるんだと気づく。
いつから、自分がそんなふうにし始めたのかは分からないとかのじょはいう。
「~べきだ」と言う限り、「許せない!」がどうしても出て来てしまう。
と、他者にこの胸の内をさらせない。
でも、「あるべきだ」ではなく、「こうなんだから、では、どうしようか」という選択肢が見えてくるひともいる。
その時、ようやく「自分で選ぶ」ということが起こる。
かのじょは、「~べきだ」は振り回さずじっと見つめたでしょう。
きっと、今、へらへらしている人たちは、そういう苦難の時を送ったのだと思う。
辛い想いをなぜ掌に載せて見ていられるのかというわたしの問いに対して、
「じっと見てるとね、ほんとはね、そんなに熱くないってことが分かって来るの」とかのじょは答えた。
かのじょに完全体神話は無い。
だから、わたしは、いつも淡々と笑ってるあなたを書きたくなるんだな。きっと。
P.S.
ボロボロに泣かされた人も多いでしょう。韓国ドラマ、「天国の階段」。
その曲をりえさんが日韓の歌合戦で歌ってる。
亡き妻と見て涙していたドラマだったなら、
妻の一周忌を終えて仏壇の前で聞いているとしたら。
ドラマと重なり、これから先何を楽しみに生きていったらいいのだろう?
あなたは、俺と結婚して幸せだったかい?
俺は幸せいっぱいだったよ、という。。。
実際、仏壇の前でこう涙した方がいた。
あなたと織りなす日々。ありふれた、ささやかが繰り返される。
でも、いつまでもあなたと居れるわけではない。
ふたり居たその情景が涙で浮かぶようになる前に、
多少、余計にあなたのことを書いておいても許されるよね?
聞けば、いや、書かないでってあなたはきっと言うんだよね。
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