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書けないことが、わたしを大丈夫にする


今週のわたしにパワーが無いっ。

モヤモヤして書けないっ。



1.見慣れた風景が来た


思考が決めつけて来る。お前、出来てないだろっ、だめだろっ。

数日、のたうち回ってました。

書く気が挫けたのは、人と比較したためかもしれない。

うまい人、人気のある人は常にいる。活発に交流し、なにやら楽しそう。

そこを、思考が脅して来た。

お前も価値ある、有用な、一人前の人間でないといけないぞっ、人に負けてはいけないっ。

守っていた結界が無くなり、やられ放題、傷だらけに。

勇者の剣も彼女を守る盾も無い、無い、無い。


何故書くのかですが、食事を毎日することに似ています。

書くことで名をあげるとかいう社会的な観点とは別に、それ自体が生存に関わってるように思います。

ちょっと大袈裟かもしれない。

けれど、書くことでわたしは世界からエネルギーをもらう気がするのです。

書いて差し出さないと、それは頂けない。

もらうエネルギーが血となり肉となりわたしを構成する。

書くことがこの身を構成している。


書くことで逆に日常が構成されても行く面もある。

食べ物と同じように、書くことでわたしの生のリズムが整えられている。

もし書けなくなってしまったら、死んじゃいそうです。

誰とも、何も話さず無言でずっと生きるに近い感覚です。

時々書けなくなるのは、辛い。

けど、見慣れた風景でもある。

十数年書いてきて、2か月、あるいは3か月間隔で来る。必ず、来ています。



2.ウ〇コの謎


たとえば、骨は、破骨細胞による骨の破壊と骨芽細胞による骨の形成の厳密なバランスにより維持されています。

壊れたら直せばいいや、というのではないのです。

常に、破壊と生成がペアとなって強制的に新陳代謝を繰り返している。

骨に限らず内臓も筋肉も、わざわざ壊してはまた作ってる。


ウ〇コが臭いのは、ずっと不思議でした。

そんなところで個性を主張しなくてもいいのに。

バナナや野菜や米の残りかすにしては匂いがきつ過ぎる。

単に食物の残りかすだからではないからです。

体を構成していた細胞たちも、同時に大量に捨てられていることを知りました。

壊され腐敗した骨や内臓や筋肉の細胞たちも毎日、大量に排出されていたのです。

吉永小百合さまも、上皇后美智子さまも、例外なく。


書きたいのに書けないということが頻発してきた。

わたしを構成するこの書くという行為は、書かないという行為とペアになっているのかもしれない。

わたしは、才能のある他者を羨んだり、じぶんの力の無さを悲観したりします。

でも、書けなくなるのは、ほんとは書くための必須なことかもしれないのです。

こうしてもんもんと転がる時、頭はウ〇コを出しているのかもしれない。

書けないことが、わたしを大丈夫にする。



3.諦めの景色がわたしを染め始める時


ほんらい、書くことは、認めてもらうためでも、有名に成るためでも無かったのです。

長い間、ずっと記録するためのものだった。

今風に解釈すれば、じぶんのこころに触れた記憶、それを感じた仲間との記憶なのです。

だから、本来、そこに他者比較や他者期待はなじまない。

でも、書くことを誇る人、それを称賛する人、それを職業にする人たちがどんどん紛れて来る。

と、評価や期待という思考が当然のような顔して道案内をし始め、わたしはさ迷い出す。

わたしは、いつの間にか、どこかの誰かのマネをしようとしている。


気が弱まります。

やがて行き詰まり、数日、もんもんとする。

やがて、わたしはそんな思考たちにウンザリする。

ええ、書くのを辞めましょ。辞めちゃいましょ。

思考に縛られて書くなんてことは辞めないとと、諦めの景色がわたしを染め始めるのです。


あなたも自我を落としてしまう時があると思う。

部屋を整理整頓する。

掃除をする。

洗濯をし乾かす。

お香をあげるのかもしれないし、ネコと遊ぶのかもしれない。

その時、あなたは何かに成ろうとはしません。

学ぶんだとか、進歩するんだとは考えない。過去を悔やんだりもしてない。

目の前の行為にだけ終始しています。

と、なぜかこころは整えられスッキリする。

思考をほぼ落とすからでしょう。

思考の下に、もっと本質的なあなたが居るということです。

あなたは、溶けてそこにすこし触れるでしょう。


自分自身の人生は、自分自身で歩む。

現実から逃避しないように、自己憐憫にひたらないように、過去に戻らぬように、

注意深く自分自身の思考を観察し理解していくわけです。

いいのです。

自分がダメダメでも、1行も書けなくとも。

また組み上げるために、そういう破壊の時が必要でしょう。

その時、思考の束縛を正しく見ることになる。

そうしないと、思考は手放せない。

スッキリなれない。

うんざりして書けなくなるのも、きっと大事なのです。

どんな荷物も携えず、軽やかに何の努力もせず、ただ一人旅をしなければならないということを始めるために。


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