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【ネタバレ】舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」感想

舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」プレビュー公演(2022/6/23(木) 12:15~回)

赤坂ACTシアター、S席:2F3列目センター。
※原作ファンの子供が大人になった、脚本は数年前に読んだという視点での感想ですが、脚本に関しては上演されたものが最終版だと思っているので、本との差異には言及していないので、「読まずに見た」感じの書き方をしています。
 また、何か所かささりすぎて瞬間的に正気を失った自覚があるので、セリフ等はうろ覚えです。
※細かいストーリーバレ自体はあまりありません。主に演出面の話です。

詳細等は公式サイトとYoutubeをご参照下さい。
https://www.harrypotter-stage.jp/
https://youtu.be/9i2PRUPvmzE

■構成・時間
 二幕構成、休憩20分をいれて約4時間。
(12:15〜16:00)

■観劇回の主要キャスト
 ハリー・ポッター:藤原竜也
 アルバス・ポッター:福山 康平
 スコーピウス・マルフォイ:斉藤 莉生
 デルフィー:岩田 華怜
 ハーマイオニー・グレンジャー:早霧 せいな
 ロン・ウィーズリー:竪山 隼太
 ドラコ・マルフォイ:宮尾 俊太郎
 ジニー・ポッター:馬渕 英里何
 マクゴナガル校長:榊󠄀原 郁恵
 嘆きのマートル:美山 加恋

 あと、劇場では「今日のキャスト」が本棚の本で表されているんですが、これがかなりよかったので、こういう表現を別の作品でもみたいなと思いました。

■簡易あらすじ
 ヴォルデモートが死んでから19年後の2017年、親となった「生き残った男の子」ハリー・ポッターがホグワーツに入学する子供たちをキングス・クロス駅で見送っているシーンからはじまる(=死の秘宝終章)。
 ハリーの次男アルバス・セブルス・ポッターは「【偉大な父親】と同じグリフィンドールではなく、スリザリンに組分けされたらどうしよう」という不安に駆られていた。一方、ドラコ・マルフォイの息子スコーピウス・マルフォイも、「本当はヴォルデモートの息子なのでは?」と噂され孤立し悩んでいた。
 アルバスの不安は的中し、入学式の組分けでスリザリンに組分けされる。入学後も飛行や魔法が自分だけ上手くいかなかったりと「"あの"ハリー・ポッターの息子なのに……」といじめられ、劣等感に苛まれていた。そんな中、「父親の噂」で同じように孤立し、母を病気で亡くして失意のスコーピウスと互いに惹かれあい親友となる。しかし、父親のハリーはスコーピウスとの友情を認めてくれず口論となるなど、父親との関係はぎくしゃくしていた。
 ハリー自身も親を知らず、叔父叔母には虐待されて育ったため、親の愛とはなんなのか、どういう振る舞いが父親らしいのかと、子供との関係に悩んでいた。
 ホグワーツ入学から3年後、過去にすべて破壊された(不死鳥の騎士団参照)はずの「逆転時計(タイムターナー)」が魔法省で押収される。
 それを聞きつけたエイモス・ディゴリー(=三大魔法学校対抗試合…炎のゴブレット参照、で殺されたセドリックの父)はハリーの家を訪れ、逆転時計を用いて息子を蘇らせてくれと頼んでくるが、ハリーはそれを断る。帰省中のアルバスはそのやりとりを聞き、「セドリックは父親のせいで殺されたのではないか?」と考えるようになり、父親への反発心をさらに強めていった。
 アルバスは親友のスコーピウスとともにホグワーツ特急から脱走すると、ポリジュース薬で変身して魔法省に潜入し、逆転時計を盗み出した。
 そうして、二人は過去を変えてセドリックを生き返らせようと奮闘する。

 といったような内容です。

■ストーリーについてなど
 ハリー・ポッターシリーズが大好きだった子供だったので、呪いの子の上演をずっと楽しみにしていましたが、全く期待を裏切られない最高の舞台化でした。
 映画版は原作好きからすると毎度なかなか不満があり(シナリオの謎の改変とか)、あまり好きなメディアミックスではなかったのですが、こちらはそもそも舞台用に企画されただけあって、まさに「ハリー・ポッターの世界だ!」と納得のできるものだったと思います。そもそもは魅力的なシナリオがきちんと再現されているため、あんなに原作は面白いのに……とがっかりする場面が全くないのが良かったです。

 ハリー・ポッターシリーズ(ファンタビを含む)はキラキラ魔法使いのワクワクファンタジー要素だけでなく、思春期や大人になってからも親や友人との関係に悩んだり、生きていれば避けられない人間関係でのギスギスで嫌な目にあったり、物事を良い方向に変えようとしたが、手段や方向性が誤っていたために逆により悪いことが起こって悲惨なことになったり、世の中の汚さに苦しめられて傷ついても、それでも愛と平和を信じて正義(=善)を全うしようと生きていく人々の話だと思っているので、「呪いの子」も当然、そういった要素がきちんと含まれたままなのがよかったですね。

 ハリーは全然完璧な人間ではなくて、普通に嫌な人間だな、なんだこのクソな父親は! と思う瞬間があるのも好きだし、息子のアルバスも思春期特有の無知からくる傲慢さで人を傷つけたり、それに気づいて反省したり、己の所業に苦しみ、悩みながら成長していく姿が(これは大人たちにも言えることですが)描かれていて好きでした。

 思春期の無知や傲慢さからくる無謀な「勇気ある」行動は、ハリー・ポッターシリーズ過去七作でずいぶんと描かれてきたことなので、J.K.ローリングの定食はいつでもおいしくてすごいなぁと思いましたが、今作は《大人になった今でも》有名すぎる名前や親というものがどういうものなのかわからない、という苦悩が描かれていたのもとてもよかったです。

 個人的にはハリーとダンブルドア先生(の肖像画)の会話シーンがとても好きで、ファンタビ3で15年ごしに死の秘宝の答え合わせが来たこともあり、二人の会話は見ていてかなり苦しかったのもよかった(フィクションに苦しめられている瞬間が好きなオタク)。

 あとは普通にワクワク魔法シーンもきちんとワクワクキラキラだったのが楽しくてよかったし、コメディシーンが全力でコメディなのも好きでした。
 最後のハリーとアルバスの和解の前に挟まる、スコーピウスとアルバスの「絆を深める?」「「ゲェ〜」」とか、苦手なものを息子に説明するハリーとそれに対するアルバスの将来は魔法使いにならずに…のふざけたやりとりが笑えてよかったです。

■構成やスピード感、お芝居の所感
 今回は1幕が「過去改変によりアルバスが存在しない世界になってしまった……」、でおわり、2幕が変えてしまった過去を基に戻そうと奮闘する話で、個人的には1幕のスピード感はかなり良かったんですが(特にアルバスが3年生になるまでの時間スキップは気持ちよかったです)、二幕は終盤やや尺不足を感じてしまったので、もう少し2幕の序盤のスピードを上げるか、終盤の尺を伸ばしたほうがいいかなぁと思いました。

 一幕の序盤の展開が早すぎる、といった感想もみましたが、アルバスとスコーピウスがホグワーツ特急から脱走するところからが本編だと思っているので、個人的にはあのくらい早い方が飽きがこなくてよかったです。
 早口すぎてセリフが少し聞き取りづらい人がいたのも事実ではあるので、そのあたりは今後に期待していますが、一幕はハリーとドラコの決闘シーン(後述)以外はお芝居、照明、演出のかみ合い方が恐ろしく高く、大変良かったです。

 一幕の演出、照明、お芝居の完成度に対して二幕は明らかにまだまだ練習不足だな……を感じるシーンがあったので、そのあたりの「かみ合わなさ」が少し残念だったかなと思います。
 演者のお芝居によって場が持っているシーンも多いのですが、お芝居がなんだかまだあんまり自分のものにできてなさそう、と感じる役者がメインで進行するシーンは、場面の緊迫さとはうらはらに、なんだかちょっとのろく感じて退屈でした。ただこれは練度の問題だとしか思っていないので、数か月後にはあまり気にならなくなっている気がします。

 個人的には現時点でのデルフィーが豹変してからのお芝居があまりピンとこず、「ラスボス感」が全然出ていなかったので緊張感が薄く説得力を感じませんでした。彼女は「ヴォルデモートの娘」で呪いの子の要になる人物なので、なんとか回を重ねていくうちにうまくなるといいなと思っています。
 また、ハーマイオニーもちょっとイメージと違っていて、なにを参考にしたんだろ……? というシーンが少なからずあったんですが、こちらは個人の好みの問題かもしれません。

 アルバス、スコーピウス等その他の主要人物たちのお芝居は特に予想と外れることもなくウンウンいいねいいねと思ったんですが、多分誰が見ても満場一致で「本物だ!!!!」となるのは「嘆きのマートル」で、次いで「マグゴナガル先生」だと思います。マートル、本物じゃん!!!!!!!!!!!!! ですごかった。本当に彼女一人だけお芝居のレベルが違いすぎてびびった。本物じゃん。
 マグゴナガル先生@榊原郁恵のお芝居、きちんとみるの初めてだったんですが(ドラマ等で見る際はあまりお芝居を意識したことがなかった)、「私の知ってるマグゴナガル先生そのものじゃん!!!」と思えてとてもよかった。常に厳しく正しくそして優しいマグゴナガル先生……大好き……。

 藤原竜也のハリーはおおむね予想通りというか、理想通りの「大人になったハリー・ポッター」でとてもよかったのですが、やはり苦しんでいる時とそれをダンブルドア先生にぶつける際のお芝居、ラストの殺される両親を黙ってみているしかないシーンは特に「藤原竜也、芝居がうますぎる……」と号泣しながら感じました。
「君がわしの愛情を欲しているとは知らなかった……」
「先生が僕をちゃんと愛してくださってるとしっていたら、こんなに傷つかなかったのに……」 
 というシーンがマジでつらくて、ハリーが親として絶対に子供にいってはいけないことをいってしまったのはいくら君の出自がかわいそうでも許せない!!! と思っている私でも(※別にハリーが嫌いなのではなく、君のことは好きだがそういうところは人として本当に最悪だからなおしたほうがいいよ! みたいな意味です)「ハリー・ポッターがなにしたっていうんだよ、かわいそうすぎるだろうが~~~!!」でびちゃびちゃに泣けてよかった。

 ダンブルドア先生(の肖像画)もア~~~~最悪で最強で優しくてひどくて冷徹で強くて弱くてかわいいダンブルドア先生~~~~をビシバシ感じられてよかった、し、「やっぱりアルバス・ダンブルドアとかいう男がなにもかも元凶だよ……」と怒りを覚えたのでとてもよかったですね。ファンタビ3でワーーーッになり死の秘宝を読み直したので、多分余計にダンブルドアの「誰かを愛すると悲劇を呼んでしまう」というセリフがささったように思います。

 息子たち、アルバスとスコーピウスはとにかく可愛くて一生懸命な「十代」でとてもよかった。大人びているのに子どもで、傷つきやすくて傲慢で優しくて勇気があって、そういうところが好きだった。
 それはさておきスコーピウスが推しを前にしたオタクみたいに「ハリーポッター???!!///本物!?!///」ってなってるとことかめちゃくちゃ可愛かったな…。スコーピウス、本当に可愛いんですよ。ありがとう呪いの子。

 あと、お芝居というよりは演出になるのかもしれませんが、ディメンターがすごい……この世のものとは思えない動きをしていて…………映画より100倍くらいちゃんと怖くて……めちゃくちゃよかったです……。
 なにあの霞みたいな黒い霧みたいな存在感のなさと恐ろしさ……よすぎた……。

■魔法(魔法界)の演出に関して
 事前にいくつか感想で「本当に魔法みたい」といったようなものを読み、「つまりどういうこと?」と長年思っていたのですが、ようは「マジック(イリュージョン)ショー」だというのがわかり、新鮮な驚きと「なるどね!!」という納得がありました。
 昔デビット・カッパーフィールドのイリュージョンショーを1度だけ見たことがあり、「なにこれ?!?どうなってるの!?!!?」にひたすらなったことがあるんですが、呪いの子も大半は「どうなってるの!?!?」になってとてもよかった。

 オープニングの時点でパントマイムの要素が見えた(カバンに引っ張られているように見える系)ので、そういうことなのかな? とちょっと思ったんですが、照明や衣装、舞台装置を絡めて全編で行われるマジックショーはさすがに規模が凄すぎて驚きました。

 ローブを翻すとなにもなかったはずの空間から人が物が出てくる、電話ボックスに人が吸い込まれて消える、空から落ちてきて人を抱えて消えていくディメンター、なぞかけを外した人を吸い込む本棚、1秒前に下手に消えたはずの人がシームレスに上手から現れる、いきなり耳から蒸気が噴出する、湖水の中に見せかけた空中を”泳ぐ”魔法使い、目の前で瞬間移動してくる魔法使い、ポリジュース薬で目の前でロンに変身するアルバス、ドラコとハリーの魔法での決闘……などなど、様々な「魔法」を目にすることができます。もちろん「炎」や「呪い」も。

 照明の使い方がとてもきれいで、息をのむ瞬間が多数ありました。炎、光、魔法を行使した際のエフェクト、それから「闇」。特にこの舞台は「闇」の暗さが素晴らしかったと思います。
 2Fの3列目は「闇」がほぼほぼ完全に「闇」で、人がいるのかいないのか特に1幕は全くわからなかったので、「急に出てきた」「消えた」がまるで映像を見ているかのように完璧でよかった。1Fの前方席だともしかしたらある程度見えるのかもしれないので、個人的には驚きたいのであれば2F席前方から見るのが良いかなと思います。傾斜もきつめなのでしっかり見えます。

 いわゆるプロジェクションマッピングのようなものはあまり目立たず(ないわけではないが、非常に限定的・効果的でした)、基本的に俳優たちの肉体と照明、衣装で「魔法」を表現しているのがとても素晴らしいと感じましたが、同時に「芝居しながらマジックやるの大変すぎるな……」と割と引きました。めちゃくちゃ体力使うからすごく大変だと思いますこれ。
 上映中に使われる衣装が185着あるとか、照明が1132回変わるとか、規模が異常で最高ですね。
 結局舞台ってお金が潤沢であればあるほどきちんとリッチでいいものが出てくると思っているので、資金を回収する当てがある作品のお金のかけかた、健康にいいな……としみじみしました。

 マジックって「だまされる快感」みたいなのがあると思うんですが、照明や演者の所作による視線誘導が洗練されていてずっと気持ちよかったから、ああいう気持ちよさを味わいたい人は原作しらなくてもぜひ呪いの子を見てほしいです。
 マジックショーだけでも席代におつりがくる! と感じたので、シナリオも音楽も照明も衣装もお芝居も質が高くて「こんなに安くていいのか…?」と思ってしまいました。

 ただ、これまでに少しだけ書きましたが「ドラコとハリーの決闘」と二幕の一部はややまだ演者と演出がかみ合いきれていないなと感じたので(スピード感がなくなるので、結構露骨に我に返りそうになりました)、今後ますますよくなることを願っています。

■音について
 まず、これはよくないなと感じたことを書きます。
 2F席で見たのですが、2Fはスピーカーがないのかセリフを拾うマイク音源だけがながれているのか、音楽をかなり遠くに感じて、ちょっと序盤は作品に入り込みづらく感じました。
 ディメンターのシーンだけ音楽がなぜか爆音になるんですが、あのシーンが個人的には一番音をそばに感じてのめりこめたので、もう少し音響周りは改善してほしいなと思います。
 A席以下であれば気にしない方がいいかなと思うんですが、まがりなりにもS席であの音の遠さはちょっといまいちに感じました(そもそも赤坂ACTシアター自体、別に音響がよい劇場ではないと思っているので、余計にもう少しなんとかなってほしいと思います)。

 曲自体はほとんど聞いたことがないものだったと思いますが、どれもあっていてすごくよかったし今すぐサントラがほしい。前述したように、2F席は音が遠くて「いい曲な気がする…もっと大きな音で聞きたいな」と思う瞬間が多かったです。
 ローブを翻す際のSEは最初のうちすこし違和感がありましたが、すぐに慣れました。

■そういえば:既存の翻訳と差異があったもの
・「ヴォルデモート」→「ヴォルデモー」。
 それが本来の発音に近いから、とJ.K.ローリング氏が仰ったのことで、そうなったようです。個人的には慣れ親しんでいないのでやっぱりちょっと違和感。

・ゴドリックの谷→「ゴドリックス ホロウ」
 ここ、英語で記載する必要があるから……でこうしたようなんですが、まあこれが音で聞くと分かりづらいことこの上なく、知らないと本気で「?」になるのではと思いました。
 HollowをHelloと誤読するシーンが生かせなくなるし、《たんじょびーおめでと》みたいに簡単な内容でもないので、代替語を探すのが恐ろしく難しく、しょうがないのかなとも思うんですが……。

■作品とはやや関係ないファンサのこと(作文)
 赤坂駅を出て階段を上ったところに大きな逆転時計のフォトスポットがあるんですが、私が行った日はたまたまついたらダンブルドアと「名前を言ってはいけないあの人」が決闘していて、撮影タイムになっていて驚きました。
 人によってはツーショットとかも撮らせてくれたみたいです。個人的にはこういうサプライズかなり好きなので、今後も続くといいな〜と思います。

■おわりに
 チケットは10月以降で有ればまだまだ買えるし、ロングランでいつ終わるかもわからない公演ですが、ちょこちょこ何度も見に行きたいな〜と思える良い作品でした。
 とりあえず数ヶ月後のチケットを買ったので、また見たら感想を書くかもしれません。

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