見出し画像

世界ふしぎ発見!240316

ついに終わってしまう。
『世界ふしぎ発見!』が最後を迎えてしまう。

オープニングテーマのてれててーも。
「InspiretheNEXT!日立グループがお送りします!」という竹内海南江さんのナレーションも。
黒柳さんの素敵なお召し物も。
土曜日の21:34~21:40分頃を知らせるこの木なんの木のCMも。
没シュートのSEも。

日常的にあったものが日常ではなくなってしまうときが近づいている。

20240316放送感想

私はやっぱり『世界ふしぎ発見!』が大好きである。
なぜ、好きなのか。
色々理由はある。

1つは番組の作り手が本当に丁寧に作っていることがわかる瞬間が多々あり、信頼して見ていられたこと。
例えば、空撮に手を抜かないところが好き。ドローン撮影はもちろんのこと、不景気といわれて久しいなか、『世界ふしぎ発見!』はヘリレポートをはじめとする空撮の手間を惜しまなかった。
『世界ふしぎ発見!』の空撮からしか得られない栄養が確かにあるのだ。
それを支えてくれた日立グループさんにも本当に感謝。

それから諸事情により撤廃されてしまったが、新型コロナウイルスで行動制限されていたころのアクリル板も、スタッフさんの丁寧な取り組みが感じられてとてもよかった。
円形のアクリル板の縁に彩られた古代エジプトの象形文字のレリーフは、日常を縛られていると感じていた私に、縛られている中でもできることはあるしよりよくできることもある、と改めて気づかせてくれた工夫だった。
エジプトの象形文字というあたりもふしぎ発見らしかったし。

そういう意味でいうと最終回のフリップも最高。
色んなバラエティ番組を見ていると、フリップの後ろに違う番組で使ったとおぼしき痕跡が見えることがある。
もちろん番組の制作費やスタッフさんの工数などなど、どうしようもないこともあるのだろうと思うので、視聴者としては「後ろになんか書いてあるなあ」くらいの認識なのだが。
その気づかいを怠らないところが本当に『世界ふしぎ発見!』。
スタッフさんの丁寧なお仕事が感じられて、気づいたときに思わず息を飲んでしまった。

もし、レギュラー放送の終了とともに番組で使用した備品が視聴者プレゼントなどされるのであれば、私はヒトシ君人形か例のアクリル板かこのフリップを希望したい。


久しぶりにご登場いただいた吉村先生のお言葉も粋だった。

「別に何にもないんですよ。好きなだけ。」

伊集院光リスナーとしては、6代目三遊亭円楽が仰られていた「好きなことに社会性を持たせれば食っていける」とはまさにこのことかと、心底腑に落ちた。

「探したいものがあるんだよ。言わないけど。(中略)最終回だから言わないよ。ミステリーですよ。」

最終回だからこそ言わない。謎は謎のまま。とても粋なお答えだ。

個人的な話になるが、私はおそらく、結論だけを求める今の時代に疲れてついていけていない部分がある。
まがりなりにもWeb広告業界の末席で、SEOだのなんだのと言って、真っ先に結論を求められる。
なんだったら結論以外求められていないことも多々ある。

しかし、ときに思うのだ。結論がなんだというのだ。

結論=わかりやすい答えばかりを求めるコスパ至上主義、リソースの費用対効果だけが正義になってしまってないか?
そういう風潮が知識のすそ野を痩せ細らせて、嘘を嘘と見抜けないエセ教養が出回ることになっているのではないか?という老害じみた疑念がどうしてもぬぐえない。

そう言いつつ、このブログも当初PREP法に基づいて構成を見直している自分に気づいて何かもう、何もかも嫌になった。
もう嫌。下書きの書きなぐった状態でブログにあげてやる。
仕事ではGoogleさんへの感謝が尽きないが、プライベートに関してはユーザーニーズに基づいた検索エンジンの評価やらアルゴリズムなんぞくそくらえだ。
YMYLの考え方は全面同意。

『世界ふしぎ発見!』は謎が残っているからこそ面白い、この世はすべて正解でなくてもよい、正解を自分の力で見つける意義を伝えてくれる番組だから大好き。

アーカイブの大切さ

いつも『世界ふしぎ発見!』を見ていて思うのが、「アーカイブ」の意義である。
私は昔からアーカイブに対する執着心が強い。
IT企業にいるくせにデジタルに対する不信感が拭えていないことが1番強い理由だ。
物質至上主義と言われてしまえばそれまでなのだが、「Del」ボタンだけでなくなってしまうものを信用しきれていないのだ。
そのおかげでいまだに電子書籍には手を出せず、紙媒体の本が増えていく。
正直現状は意地だけでゴミ屋敷化していないが、ちょっと気を抜くとおそらく坂口安吾の例のあの写真と同じ状態になるだろう。

※坂口安吾の例のゴミ屋敷写真
https://museumcollection.tokyo/works/86527/

本題に戻ると『世界ふしぎ発見!』はアーカイブありきの番組だったのだと思う。
一度気になって「今日の放送で行ったスポットGoogleマップでピン止めしてみたろ!」とやってみたことがある。
すると、たった1回の放送でおよそ10~20地点くらいはピン止めが増えてしまった。
38年間の放送をすべて録画したわけではないが、もし、すべてピン止めできたとしたら、おそらく世界中ほとんどの国が真っ赤なピンだらけになるはずだ。

つまり、それだけ先人たちは歴史的な遺産をアーカイブしてくれているということだ。
その先人たちのたゆまぬアーカイブへの情熱と努力によって、私たちは、38年もの間、『世界ふしぎ発見!』が日常的にあるという幸せを享受できていたのだと思うと感慨深い。

また、それと同時に「アーカイブ」という行為の危険性を教えてくれたのも『世界ふしぎ発見!』のおかげだ。
アーカイブが残っているからこそ、私たちは過去に何があったのかを知ることができる。
灰に埋まったポンペイがあったからこそ、私たちは火山の噴火の危険性も、古代ローマ時代のナポリの人々の暮らしや文化も知ることができるし、『世界ふしぎ発見!』のポンペイ回も見ることができた。

日本の歴史でもしばしば起こってきたことだったが、ときの治世者が自分たちにとって正当な歴史を残すためにアーカイブをコントロールしたのは珍しくない
例えば日本最古の書物と言われる古事記と日本初の歴史書と言われる日本書紀とか。戦国武将の肖像画とか。

つまり、力のある者がアーカイブをコントロールすれば歴史はある程度作れる。
カワイイは作れるみたいな言い方をしてしまったが、世界遺産や文化財などでなくてもそんな例は多々ある。

例えば昔自分が好きで聞いていた曲やアーティストなど、アーカイブが残っていないばかりに、自分より下の世代にまったく知られていないということは日常的に珍しくない。
わたしが好きだったアーティストや曲の何割かは、わたしより下の世代にとっての歴史上なかったことになっている。

アーカイブの怖さは、残すか残さないか、ちょっとした判断の結果次第で歴史が大きく変わってしまう点にある。

だからこそ『世界ふしぎ発見!』は意義ある番組だったのだ。
Googleマップが真っ赤になりかねないほどの歴史のアーカイブを毎週、時間をかけ丁寧に作り込んで紹介してくれる。
正しいか正しくないかは提示せず、判断は視聴者に委ね、ただ疑問の種を提案し、視聴者に結論を委ねてくれるところが好きだったのだ。
繰り返しになるが、わかりやすく結論だけを提示するだけなんてまったく面白くもなんともない。
知的好奇心は一切くすぐられないし、脳みそのしわも増えない。

結論だけが提示されたわかりやすい正解の提示なんて、エンタメ目的でムーと東スポを読むときだけで十分だ。
街裏ぴんくさんの漫談に本気で苦言を呈してる人いないよね?嘘をエンタメとして楽しむ余裕がなくてどうすんだ。

※今年のR-1は本当におもしろかった。ぴんくさん優勝おめでとう!

最後に

惜しむらくは『世界ふしぎ発見!』の有終の美はエジプト回100回記念で飾ってほしかったというところだ。エジプトネタでトータル91回。それでもエジプトのふしぎがまだまだ残されているところに震えるし、あと9回…という無念さもある。

ただ、レギュラー放送終了のニュースを聞き、私は1つだけ希望を持っていることがある。
それは、「レギュラー放送」終了という決定だ。
現状、改変期ごとのスペシャルなどの放送は未定だが、ビフォーアフターみたいな感じでスペシャル放送があるのではないか。
もしかしたら、より綿密なリサーチにもとづいたエジプトぶちぬき5時間スペシャルがあるのではないかとちょっとだけ期待している。もちろんレギュラー陣の体力などなどあるので、できる範囲でかまわないから。
関白宣言ぽいことを言ってしまったが、ほんの少しだけ希望がもてる終わり方でそこだけは救いになっている。
TBSの営業部の方々がQOLしっかり確保しつつ、がんばってくれますように。

とりあえず、次回の最終回3時間SPまで、TVerの再生回数をぶん回すことに集中するのでしばらく忙しくなりそうだ。

※勢いで書きなぐってしまったので、後々校閲しなおすかも。でもこれでいい気もしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?