No Donut,No My Life

一番古い記憶は、おばあちゃんが買ってきてくれた箱。
お寺に参拝した後にドーナツを買い、孫の顔を見に何度か遊びに来てくれた。
祖母の家からお寺、ミスド、私の家を経由して帰るまでに6km以上あるのだが、いつも徒歩だった祖母の健脚ぶりに今更ながら脱帽する。
当時の幼い私は突然現れたスペシャルなおやつに興奮したものだ。
箱を開けた時の甘い香り、みんなが笑顔になった瞬間を今でも思い出す。
それからもミスドは私の生活のそばにあった。
母とお店に寄ると必ずカレーパンを買ってもらったり、中学生の頃に友達だけで訪れてちょっぴり大人の気分を味わったり。
家族へお土産に買って帰ったら、父と弟の間でエンゼルクリーム争奪戦が勃発し、以降は2つ買うようになったり。
時が流れて大人になっても、保険の契約を悩みながらカフェオレをおかわりしたり、住宅ローンの借換金利が下がったのを喜びながらドーナツを食べたこともあった。
ある日行きつけのお店へモーニングに訪れた時のこと。
そろそろおかわりもらいに行こうかな、と思ったタイミングでレジが急に混雑し、ひとりだった店員さんはフル回転。
もう少し後にしよう、と腰を落ち着けてからほどなくして、勢いよくレジを閉める音がした。
その音に顔を上げると、店員さんがポットを掴み、速足でまっすぐ私のところへやって来て、笑顔でこう言った。

「おかわりいかがですか?」

おそらく、あのお客さんそろそろおかわりだ、と同じタイミングで思ってくれていたのだろう。
レジが混雑している間も忘れないでいてくれたのだ。
思い返すに、私はこれ以上の接客を受けたことがない。
できれば、この店員さんを超える店員さんに、いつかどこかのミスドで会いたい。
ちょっと良い時間を過ごせるように。
今日がへこんだ一日でも、明日を思って笑えるように。
ミスドのドーナツで育ってきたこれまでの私を笑顔で思い出せるように、これからの毎日にもそっと寄り添ってほしい。

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