最期
誰かを看取るという事が日に日に自分の現実として近付いてきているのを感じる。
今年に入ってすぐにはっきりとそれを意識する出来事があり、回復と停滞、そしてゆるやかに衰退していきとうとう夏の暮れまできた。
感謝しなければいけないと思う。
残される者達へ、ゆっくりと心の準備をさせてくれているように、この人は緩やかに衰えていく。
不甲斐ない自分達へ最期の孝行をする機会をくれるこの人に、自分は生涯かけても追いつけない気がした。
今まで聞いたことのない感謝の言葉をたくさんくれる。
人っていうのは、元気な間はどうにも周りへの感謝だとか、礼儀というものを忘れてしまうものなのかもしれない。
少なくとも自分は、元気だった頃のこの人にありがとうと言われた記憶が全くない。謝罪も。
衝突ばかりだった。
少なくとも自分が子供の頃から20代前半頃まで悩み苦しんでいた事の大部分はこの人との間に生じた軋轢だった。
仕方ない。あまりに価値観が違いすぎる。
そのひと言で片付けるには当時の自分は幼稚すぎたし、そこまで人生を俯瞰できなかった。
過保護で過干渉なこの人の思う通りに生きることができない自分に、この人は数え切れないほどの罵詈を浴びせた。
我が強く天邪鬼だった自分は、価値観の違うこの人の躾にいつも反発したし、外出する時頻繁にかけられる嫌味の言葉に辟易していた。
恐らくこの人は、距離が近いあまり自分の事ををこの人自身の一部のように感じてしまい、この人の手が届く範囲外へ出ようとする事が許せなかったのではないかと思う。
愛情があるから。家族だから。
それが免罪符にはなり得ないぐらい、自分は傷ついてきたと思う。思春期の頃は特に、逃げ場も少なく何度も最悪を考えた。
感謝も謝罪もない環境で自分だけそれらを要求される不条理さにも、一時は本気で縁を切ろうと考えた事もある。
何かを褒められた事もほとんどなかった。
大前提として、この家にはあまりにも言葉が足りなすぎた。
愛されていないわけではない。むしろ人一倍目をかけられている。
だからこそ、さり気なく吐かれる八つ当たりに近い発言や過干渉は本当に辛かった。
1番手放しに褒められたり、認められたい相手だったから尚更苦しかった。
それでも、結局この世界で1番私を心配し私の幸せを願ってくれているのはこの人だった。
分かってた。
分かってたつもりでいただけだった。
入院するひと月前、酷い事言ってごめんなさい。
ガンかもしれないと血液検査で言われた時に、もっと強く内視鏡検査を勧めれば、今あなたは毎日苦しむことはなかったのではないかと、今更いくら考えたってどうしようもない事を考えてしまう。
自分が1番辛いのに、私に迷惑をかけるなら死んでしまいたいと泣くあなたの足を摩ることしかできなくてごめんなさい。
代わってあげられなくてごめん。
前に2人で温泉行くかと言われた時、いつでも行けると適当に聞き流してごめんなさい。
もう一度また旅行に連れて行けば良かった。
ひ孫の顔を見せられなくてごめん。
お土産の安いビーズの指輪をすごく綺麗だって後生大事に毎日つけてくれていてありがとう。こんな物でしか励ますことができなくて本当にごめん。
苦しむのが続くなら、1秒でも早く楽にしてあげたい。
でもごめんなさい。もう少しだけ生きて傍にいてほしいと願ってしまう。ごめんなさい。
目の前で泣くことは絶対にしたくないから、ここで吐き出させてほしい。
明日も会いに行く。
食事を作る。すっかり骨と皮になってしまった体を拭く。
迷惑じゃないよ。
たった1人の、本当の母より母親のような人なんだから。
お世話してあげられる幸せな時間をくれてありがとう。
最期までちゃんといるからね。
最後の玉子焼きおいしかった。
本当にありがとう。